>>ブログトップへ

4月 23 2019

神の愛の深さ

11:08 AM ブログ

昨日は暑かったですね。

名古屋は昨日、二十八度もあったものですから、辻説法もそこそこに(理解しない人たちばかりだからよけい暑くなるので)庄内川に行きました。

これだけ暑くなれば生き物もたくさん出てきているだろうと思ってです。

予想通りたくさん出てきていました。

鳥は大騒ぎしているし(ツバメやすずめ、ムクドリなど暑くなるとよけい元気になるようです)細かい魚はたくさん水面まで出てきていたし(声をかけるとピチャピチャやって楽しそうでした)南陽大橋の下で休んでいると、チゴガ二がわんさか出て来てバンザイをしています。(あちこちから固まって出てきました。何十匹もです。今年になってはじめてカニを観ましたので、挨拶がわりでしょうか。〔笑〕)

「お前ら久しぶりだな。元気しとったか」と声をかけているとこのカニたちもまた喜んでバンザイしているのが分かるのです。(先ほどの鳥や魚たちもそうですが、急に動きが活発になるので喜んでいるのがよく分かります)

鳥といい、魚といい、カニたちといい、本当に可愛いものです。私が声をかけると素直に喜んで楽しんでいるからです。

この生き物たちの爪の垢でも煎じてこの辺りの人たちに飲ませてあげたいくらいです。そうすれば、少しは反省する人も出てくると思うからです。(苦笑)

それにしても、バカの一つ覚えのように怒っていても仕方ないでしょう。怒っている間は、その災いは止まらないからです。

特にどこかの会社などその典型なのですが(今日も朝からすさまじい怒りようです。昨日も半狂乱みたいになっていましたから)自分たちが悪いのだから自分たちが頭を下げればいいのです。

何年たったら分かるのですか?自分たちの間違いがです。

自分たちが悪いにもかかわらず、それをいつまでも認めず、突っ張っているから悪いことが止まらないのです。

運転手連中もそうですが、潔く自分たちが悪かったと認めてください。(実際そうなんだから)そうして(自分たちは私に心が救われているのだから)感謝して布施でもしてください。

そうすれば、災いは起きなくなるからです。

反省し、心を変え、行いを変えれば、私のように愛ある奇跡が次々に起きてきます。

一度体験されてはどうでしょう。私のような奇跡をです。本当に楽しいものだからです。

今は猫カフェとか、何とかカフェとか、動物がさわれるカフェなどが人気ですが、そのような動物の癒しが、歩いているだけでそこらじゅうからもらえるのです。

これだけ楽しい話もないはずです。

そういう楽しいことがこの教えを実践するなら本当に起きるのです。これだけ癒される毎日もないでしょう。

皆さん方は神の愛の深さを知らないのです。だから、それだけ怒れるのです。神の心を全然理解しようとしないからです。

自分のことしか考えていないからダメなのです。だから、神の心など分かりもしないのです。自分のことだけで一杯一杯であるからです。しかし、それではダメなのです。

自分のことだけしか考えないでは絶対に幸せになれないのです。もっと心を広げないといけないのです。それも神の心であるからです。(広い心もです)

本当に哀れですね。心を変えるだけで百八十度違った人生が歩めるのです。

そんな自分が確実に幸せになれる方法が目の前にあるのに、それを一切無視して、わざわざ災いが起きる人生を歩き続けている、これだけバカげた行いもありません。

くだらない意地など張っている場合ではないのです。すでに皆さん方の怒りより、神の怒りの方がはるかに大きいからです。

だから、これだけ災いが起きているのです。神の怒りの現れでしょう。

しかし、その神の怒りにまるで気づいていない。哀れとか、バカとかいう言葉ではもういい表すことが出来ない、すさまじい外れようです。

いい加減、分かりませんか。そのような態度を取り続けている人々に神が怒らないわけがないということがです。

だってそうでしょう。目の前に幸せになる方法があるというのに(この教えの実践)それを無視して、わざわざ不幸になる道を歩んでいるのです。

これだけ神の心を無視した行いもないはずです。神はすべての人の幸せを願っているからです。

しかし、この辺りの人たちは、わざとその幸せの道を歩もうとしないのです。わざわざ不幸になる道を自ら望んで歩いているのです。

では、これだけ神の心に背く行為もないはずです。

だから、神はこの辺りの人たち以上に怒っているといっているのです。

これほど神の愛に背いている人たちもいないからです。

神はすべての人の幸せを常に願っているのです。それにもかかわらず、その幸せの道を自ら進まないということは、神の心を自ら裏切り続けているということになります。

それでは神の怒りも買うでしょう。自らをわざと不幸にするということは、神をも不幸にすることと同じであるからです。

この辺りの人たちは、そういう自覚がまるでないのです。「お前のいうことなどきけるか」とただ私のいうことに逆らっていると思っているだけなのです。

しかし、それは違うのです。そのような行為は(自らを不幸にする行為は)神をも不幸にしているということを知るべきなのです。

神と私たち神の子である人間とは一心同体であるからです。

そのような愛のない行いを(自らを不幸にするとはこれだけ愛のない行いもありません)続けていては、当然そこには神の愛もなくなります。(自ら神の愛を拒否しているのですから、当然そうなります)

神の愛のないところに愛ある奇跡は起きません。だから、災いが起きるのです。

愛のないところには災いしか起きないからです。

この辺りの人たちは自分たちの浅はかさをもっとよく知るべきでしょう。神はそのようなすべての人たちに愛を与えようと常に考えていられるからです。

その神の深い愛の心も知らず、よく奇跡が起きているこの教えにいつまでも逆らい続けているものです。

それだけ神の心に背いている(報いていない)行いもないのです。

もう少し神の深い愛を理解し、その神の心に感謝して、素直にこの教えに従いませんか?

そうすれば、愛にあふれた人生を送ることが出来るからです。

(ほんと、このブログを書いている最中だけでも、どこかの会社など大騒ぎです。〔何かもう起きっぱなしのようです〕神の愛の深さ大きさをもっとよく知ってください。そうすれば、自分たちの考えがどれだけ小さいかよく分かるからです)

0コメント

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。