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4月 29 2019

自分本位の無理解

10:58 AM ブログ

いよいよ平成も終わりですが、その平成の終わりにウナッシーさんと会いました。(笑)

ゴールデンウィークにウナッシーさんが伊勢神宮に参拝されるとのことで「その帰りに名古屋にも寄りますのでどこかで会いませんか」といわれたからです。

いつもなら、午前中はブログを書いて(またはユーチュウブなど見て)昼過ぎから外に出て辻説法や祈りなどして(または動物たちとたわむれる。〔笑〕)そうして、夜は夜でまたブログなど書いたりした後(夜は半分テレビを観ながらですけどね)祈ってから(この祈りで昼間、私に嫌がらせをして来た人たちをしっかり祈ります。覚悟してください。〔笑〕)寝るというのが、毎日のパターンなんですが(こう考えると私は毎日、正法神理に埋もれた生活をしています。〔笑〕)昨日はウナッシーさんと待ち合わせをしていたため、そのパターンを少し変え、昼から熱田神宮でウナッシーさんと会ったのですが(名鉄神宮前駅で待ち合わせしてです)駅を降りた瞬間、ウナッシーさんは名古屋の異様さが分かったそうです。

活気がないというか、ザワザワしているだけで元気がないというか、名古屋の人たちのおかしさが分かったそうです。

それに道路など見てもトラックが走っていなくて(昨日はまたトラックがほとんど走っていなかったものですから)ガラガラです。(いくらゴールデンウィークとはいえ、それを差し引いても走っている車が少ないのです)

他の町にはない異様さがあったのでしょうが、それそうでしょう。本当の神の教えにこれだけ逆らっている人たちは他の町にはいないのです。

それは車も減り活気もなくなるでしょう。

皆(神により)生気を抜かれてしまっているからです。(本当の神の教えに逆らうということは神に逆らうということです。それでは神から与えられている生気もなくなるでしょう)

こうなるとおかしな病気になる人も増えるでしょうね。(実際に増えているし)生気がないのであれば、おかしな病気にかかるのも必然であるからです。

それで、熱田神宮を歩きながらウナッシーさんといろいろ話をしたのですが、ウナッシーさんは園頭先生の下で講演会もきき、研修会まで行かれて指導を受けていた時より、今の方が成果が出ているような感じでしたね。

それが心の向上した結果なんでしょうが、後になっていろいろ結果が現れてくるというのも面白い話です。

やはり毎日の正法神理の実践の積み重ねが大事なのでしょう。

そうして、その正法神理をより深く広く深化させるのはもっともっと正法神理をよく知ることなのです。

そのような意味で、このブログはずいぶん貢献していると思います。高橋先生と園頭先生が説かれた正法神理をより細かく分かりやすく書いているからです。(高橋先生や園頭先生のご著書までどんどん抜粋してです)

だから、ウナッシーさんも次々に奇跡が現れだしたのです。園頭先生がいられた時以上にもっと深く広く正法神理を知られたからです。(さすがに園頭先生も毎日のようにブログを書かれたわけではありませんでしたから。〔その当時SNSなどなかったですから〕)

本当の神の教えが、これだけ分かりやすくたくさん書かれているブログもないのですが、それなのに、それをまったく活かそうとしない。(読んでいるくせにです)

この辺りの人たちは、本当に大丈夫なんでしょうか。他の町の人たちと比べてもうずいぶん生気がなくなっている人が多いようだからです。

同じところにいるから(または、自分のことだけしか考えていないから)それが全然分からないのです。(他の人と違うということがです)

もう少し、今の状況の危なさに気がついた方がいいのではないでしょうか。この状況で、本当の神の教えを無視しているということは相当危ないことであるからです。

それが自分のことしか考えていない人が多いため分からないだけなのです。(昨日ウナッシーさんもそういう話をしていました。仕事仲間もそういう人たちばかりであるとです)

自分のことだけしか考えていないと危なさも有難さも何も分かりません。(だから、何年にもわたり平気で布施の一つもされないのですね。このブログを見ている人たちはです。〔苦笑〕自分のことしか考えない人が多いからです)

その無理解に多くの人たちは一体いつ気づくのでしょうか。

追伸…昨日、ウナッシーさんと熱田神宮に行った時の話なんですが、熱田神宮の中には池もあるのです。

その池には鯉や亀がいます。

その池にいる鯉や亀は私が行くとよく寄って来ますので、昨日も「この池の鯉や亀など寄ってくるんですよ」といいながら、ウナッシーさんと一緒に池の脇まで行ったのです。

そうして池の中をのぞくと鯉がいました。そこでウナッシーさんと話していると段々鯉が近くに寄って来てバシャバシャ泳いでいます。

私が「お前ら元気か」と声をかけると喜んでいます。

そうして、一匹、亀も寄って来たのですが、その亀が近くまで来て水面から顔を出して私の顔をまじまじと見つめているのです。

あまりにこちらを見ているので「この亀、見てくださいよ。こっちを凝視していますよ」とウナッシーさんに声をかけると「ほんとですね」といいながら、ウナッシーさんもその亀を見ていました。

そうしたらその亀はこちらを見ているだけではあきたらなくなったようで、しばらくすると池の岸まで来て首をグイグイ伸ばしてきて、そうして池から体まで出して(半分くらいです)私の方に来ようとしています。

とにかくもう必死の形相なのです。(笑)

あれには笑ってしまいましたが、ウナッシーさんも「凄いですね。なんか飼っているみたいですね」と驚いていました。

熱田神宮など私はほとんど行かないのです。そのほとんど行かない場所の池の鯉や亀が、私たちの方にこれだけ寄ってくるのですから驚きもするでしょう。

このように、どこにいても、どのような動物からも愛がもらえるのがこの教えなのです。

ウナッシーさんだけではなく、他の人たちも、もう少し興味を持ってやられてはどでしょう。

この正法神理をです。

そうすれば、これまで出来なかったような愛ある体験がたくさん出来るようになるからです。

(ウナッシーさん、今度こちらに来られる時は海にでも行きましょうか。そうすれば今度はたくさんの魚に出会うことが出来るからです。〔笑〕)

2コメント

2 コメント to “自分本位の無理解”

  1. うなッシー2019/04/30 at 12:53 PM

    名古屋でお会いできましたこと感謝致します。また当日は私の都合に合わせて頂きましたこと心よりお礼申し上げます。しかし、熱田神宮での亀には特に驚きましたね。池に向かい声を掛けられると、亀がその体を半分くらい出して、首を精一杯伸ばした姿は今も忘れられません。私には「抱っこしてよ」と言っているように見えました。きっと猫でしたらきっと抱きつきてきたでしょうね。私は亀があれまでして人に寄ろうとするのは初めて見ました。そして熱田神宮周辺を話なから散策しましたが、私は辺りの雰囲気とは違い、心地よい時間を過ごすことができました。そのお姿からは決して分からない、話を通して感じるお人柄に、今思えば終始心を寄せていたように思いました。お一人で頑張っていられる姿に、私も新たなスタートに立った気がします。またブログを通して御指南頂きながら参ろうと思います。今回は誠にありがとうございました。

  2. gtskokor2019/04/30 at 1:52 PM

    こちらこそありがとうございました。
    私も久しぶりに正法神理のことを話せることが出来てよかったです。
    亀に関していえば、あのような現象は心が変わってくればいくらでも起きてきます。
    時代が変わっても(平成から令和に)また共々に頑張って参りましょう。
    平成の世はいろいろお世話になりました。

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