4月 30 2019
御代替わりで心も変える
さて、今日で平成も最後となりました。
本当に平成はいろいろありました。感慨深いですね。
特に、平成の終わりの十年は不思議なことがたくさん起き出してよけい感慨深いのですが(奇跡ばかりでなく災いも含めて)新しい御代である令和では、奇跡ばかりが次々に起きる(ほんと平成は災いが多かったですから)そのような時代にぜひなってもらいたいものです。
ただ、天気があまりよろしくない。(平成最後の今日は、カミナリなど荒れた天気になるところがあるそうですし〔名古屋は雨が降っていますし〕令和初日の明日も天気があまりよくないとかいわれていますし)
単に時代が変わっただけでは何も変わらない、それを天が教えているのです。このような天気を通してです。
実際今日も朝からやたら(でかい音を立てて…周りは休みのところばかりで静かなのにです)怒っている人がいます。(と思ったら、どこかの会社は誰か出てきているみたいです。どうせこの連中でしょう)
今日、明日は日本にとっての歴史的な日だというのに、最後の最後まで変わらない人は本当に変わりません。
これでは日本にとって「御代替わり」という重要な日であっても天気は悪くなるでしょう。日本の人々の誰も心を変えようとはしないからです。
今日、明日は、天皇陛下が皇太子殿下に皇位を譲られる日本にとって歴史的な日でもあるのですから、その時に合わせて我々日本国民も心を変えないといけないのです。(それはそうでしょう。御代が替わるのですから、その心も変わるからです)
それなのに、その肝心の心を変える人が日本国民の中に誰もいない。ただ、時代が平成から令和に変わると浮かれているだけ。そうであるなら当然その日の天気は悪くなります。
平成のままの心の人たちばかりであるなら、天はまた平成同様の(それ以上の)災いを起こさなければいけなくなるからです。
平成の人たちの心が悪かったから、平成はこれほどの災いが起きたからです。
では、御代替わりとともに、私たち日本国民はその心も変えないといけないのです。多くの人が心を変えるなら、新しい令和の世は平成の世とは打って変わって奇跡ばかりが起きる、そのような時代になるはずだからです。
しかし、このまま誰も心を変えることなく、時代が変わるだけでは決していい世は来ないのです。
それを天が教えているのです。
このような日本にとって(平成から令和に変わる)歴史的重要な日を、このような(悪い)天気にしてです。
それは平成の世を知るなら分かるはずです。
平成の世も始まりは雨だったようですね。
このような重要な日はちゃんと晴れないといけない。晴れてこそ、天も同じように日本を祝福しているということになるのですが、平成の始まりの日もやはり雨でした。
ということは、天は平成の世を祝福していなかったということになります。
その通り、平成の世はすさまじい天変地変が起きたのです。天が平成の世を(まったく)祝福しなかったからです。
何で天が平成の世を祝福しなかったのか?
それは平成の世の人々の心が昭和の世の人々より悪かったからです。それどころか平成の世が進むにつれドンドン退化していったからです。
それは、このブログでも何度も指摘しましたが(平成の常識は他の時代の非常識などで)平成思想は、これまで(の日本)にないほど低い思想であったのです。
天はそうなることをすでに知っていました。だから、平成の始まりに天は平成の世を祝福しなかったのです。
ドンドン心が劣化していく人たちを天が祝福など出来るはずがないからです。
天は心が向上していく人たちだけを祝福されるからです。
では、平成の最後も荒れた天気になり(これは仕方ないにしても)令和の始まりも雨。
そうであるなら令和の世はこのままではまた……ということにもなるのです。
令和の世を平成以上の災いが起きる世にしてはならないのです。このブログを見ている人たちが、今すぐにでも心を変えるなら(このブログに合わせてです)明日は晴れるのです。
どうですか。平成から令和に変わる、この時に、心も同じように変えませんか?
そういう人が多ければ、本当に令和の世は(先ほども書きましたが平成とは打って変わって)奇跡ばかりが起きる、そのような世となるからです。
しかし、そんなこと知るかと、自分は自分の道を行くと、これまで通りの人が多ければ、令和は平成以上に災いが起きる、そんな世となるのは必然です。
それを天は(天気を通し)教えているのです。
令和をよい世とするのか、それとも平成以上の悪い世とするのかは、日本の人々の心次第です。
御代替わりとともに心を変えませんか。
それ以外で令和の世をよい世とすることは出来ないのです。



人目の訪問者です。

私は今回、元号の節目に伊勢神宮への参拝に行きましたが、その記念すべき節目であるとかの理由ではないのです。これには偶然が重なったことが結果として伊勢への参拝となったのです。もともと私は思い付きで動くタイプなので、こうしたら格好が良いとかこの方が良い、そんな計算高くないこともあり、その時は元号の節目だからなんて考えもなかったのです。ただ連休がありどこかへ行こうかなと思い家内に話をしたのが切っ掛けでした。いつもなら家内は別のところへ行きたいと提案するのですが、今回は私は行ったことがあるからのんびりと一人で行ってきたらと、そう言うのです。これまで子供中心で出掛けたので気遣ってくれたのです。だから家内がそう言ってくれたことも重なったかとになるのです。しかし、それは四月始めのことで伊勢に行くなら熱田神宮もとのことで、ホテルの空き状況を確認したら既に満室のところが多くてなかなか見つけられず、数日がたったその晩に近場でキャンセルがあったのか空きができていたのです。早速に予約して手続きをおえて
続きです。手続きを終えてホッとしていたら、先生の顔が心に浮かんでこられたのです。そーだ、どうせ名古屋に出向くのだから先生とお会いして来ようと、ここでも思い付きがありそれで連絡をさせて頂いたということなのです。これで伊勢参拝の段取りがついたそれからなのです、神に今回の伊勢参拝に伴い先生おお会いてできるのであればそのような順序をお与え下さい、と伊勢参拝への感謝をはじめとしてそのような祈りも続けたのです。そうした諸々のことを道すがら考えていたのですが、やはり偶然が重なったことで元号の変わる節目に参拝ができることになり、更には順番としても神宮の主祭神であり皇祖神でもある天照大御神をはじめとする諸々の神々への参拝をしてからの先生とお会いできたことも、私の思い付きにしては筋が通っているのであり、これも偶然が重なった良い結果となったのではないでしょうか。元号の節目に連休を控え家内の判断、そして宿泊先の確保、先生とのご縁全てが行程上で一致して今回の伊勢参りがてきたのであります。これを神の導きとするかは各々の判断となることでしょうが、そこが要であり自身の未来にかかることになりましょう。たまに自分は頭の回転が良ければな、と思うことも多々ありますが今はそんな自分を受け入れて感謝で令和を進もうとお思います。途中操作ミスにより話が途切れましたことお許し下さい。
それは偶然ではありません。ウナッシーさんはそのように神に導かれたのです。
その神の導きにより、平成から令和に変わる時代の節目に不思議と一人で伊勢神宮に参拝され、私とも会うことが出来、また熱田神宮も参拝出来て、そうして、その熱田神宮で亀の不思議な愛があふれる姿も観ることが出来たのです。
神がそのように導いたからです。
令和は平成以上に神の奇跡が現れる、そのような時代になると私は思っています。
これからも法の実践にこれまで以上に頑張って参りましょう。そうすれば、これまで以上の神からの導きもまたいただけるからです。