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5月 01 2019

心の退化

10:37 AM ブログ

ついに令和の世が始まりました……が、雨ですか。(こちら名古屋は雨が降っています)

明日からは打って変わってよい天気になるそうですが、令和初日の今日は大雨に見舞われているところまであるとか。(沖縄など)

まずいですね。

天が令和の世を祝福していません。(だから令和初日にこんな天気になるのです)これでは令和は、平成以上の災いが現れるかもしれません。

多くの人々の心が退化して行っている様だからです。

テレビでやっていましたが、令和に変わったとたん、またバカ騒ぎです。(渋谷とか、大阪の道頓堀などで)少しは、心静かに新しい御代を迎えるという落ち着いたことが出来ないのでしょうか。

何でもかんでも騒げばいいというものではありません。あまり騒いでばかりいては心は成長して行かないのです。

静かに自分の心を見つめ直すということをしないと、自分の長所も欠点も分かって来ないからです。

ただ、毎日を仕事や遊びやバカ騒ぎしているだけでは、心は向上しないのです。

そのいい例が昨日です。昨日でも休みだと思って近くを通ったらガンガンやってきた工場がありました。(平成最後の日だというのにです)

それで「何だ、自分たちは人のブログを読んで心が救われているくせに感謝もせずに嫌がらせか。そのブログには本当の神の教えが書かれてあるんだぞ。だから、実践すれば奇跡が起き、逆らうなら天罰も食らうんだ。そういうことが起きることが本当の神の教えである何よりの証拠なのに、その神の教えをきくだけきいて、自分たちは、散々心が救われているくせに、感謝もせずに嫌がらせしかしないのか。それで悪いことが起きたらこっちのせいか、どれだけ都合がいいんだ」とかいっていたら、よけい怒りだしてもうガンガンやってきます。

何をいってもこの連中、きこうとしないのです。私が近くを歩いている間中、ガンガンやっていました。

こういう連中がそうなのです。

本当に罰当たりな態度なんですが(だから罰も当たるでしょう)こういう連中は、仕事だけして、心の勉強などまるでしないのでしょう。(私のブログを読んでいるにもかかわらずです)

だから、いつまでたっても同じ場所にいて、そこから進まないのです。だから、私が通れば嫌がらせです。悪いことをみな私のせいにしてです。(自分たちのそのような感謝のかの字もない不遜な行為はまるで反省せずにです)

しかし、せっかく私のブログを読んでいるのならです。少しは責任転嫁を反省するなり、いろいろ知らなかったことを(神や心のことで)教えてもらえたのだから感謝するなりしてです。

少しずつでも自分の心を変えて行けばいいものを、それはまったくしようとしない。どれだけ私のブログを読んでいても、自分の心を変えようとしない。(どこに抜けて行ってしまうんですかね。それが不思議です)同じ考えてずっといる。

それでは起きてくることは変わりません。むしろひどくなって行きます。時間がたっているのに、それだけ心が成長しないということは、それは退化しているのと同じであるからです。

時間が過ぎれば過ぎるだけ同じ位置にいるのなら、それはその分(時間がたった分だけ)退化しているということであるからです。

心がドンドン退化しているのなら、よいことが起きてくるわけがありません。

よいことは(奇跡は)心が向上しないと起きてくるものではないからです。

そういう人が(この辺りだけでなく)全国的に多いのでしょう。だから、天も新しい御代である令和の世を祝福できないのです。

心が退化している人たちが多いからです。

しかし、もうこれ以上の心の退化は許されないのです。そのような心の退化の激しいこの辺りは、すでにすさまじい災いが次々に現れ出しているからです。

人や車がドンドン減り、活気もなくなりつつあるからです。(ウナッシーさんのような心の勉強をしている人にはそれがよく分かるのでしょう)

何度もいいますが、せっかく平成から令和に時代が変わり、新しい御代となったのです。

では、日本の人々は、心も変えるべきではありませんか。日本の中心である天皇陛下の御心も変わられたのですから。

どちらにしてもです。今のままの心の人たちばかりであるなら、令和は平成以上に災いが起きる、そのような世となるのは必然です。

それを令和初日の天気が教えているのです。

時代も変わりました。これから科学は益々発展していくことでしょう。(いろいろ予想されていますから。5Gとか、AIとか、自動化、ロボット化とかいわれてです)

しかし、それ以上に発展向上していかなくてはいけないものが、私たちの心なのです。

新しい時代になったのです。では、新しいことを始めませんか。そうすれば心も変わってくるからです。

(しかし、このブログを長年見ている人も多いのに、全然行いを変えようとしないというのもまた不思議ですね。行いを変えないと起きてくることも変わらないからです。行即光です。令和の時代は少々行いを変えられてはどうでしょう。そうすればまた違った体験が出来るからです)

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