5月 09 2019
前代未聞の愚行
もういい加減にしませんか。神と本当の神の教えを感謝もせず無視し続けるのはです。
間違っているのです。(しかも大きくです)そういう態度はです。
昨日もやたら怒っている人たちがいましたが(何をいっても自分が悪いなどとは思わないようです。お前が悪いの一点張りのような人ばかりでした…今日も朝からいますが、そういう人たちがです)しかし、その間違っていることをこのブログを見ている人たちがし続けている間は、災いは止まらないのです。
どれだけそれを認めなくても、その自覚がなくても、本当の神の存在をこれだけ教えられ(現れる現象と合わせて)本当の神の教えもこれだけ知らされているのに、平気で、神も、神の教えにも感謝せず(ほんとまったくしません、この辺りの人たちはです)無視し続けているというのですから、これでは災いが起きない方がおかしいのです。
これだけ前代未聞の愚行もないからです。(本当の神の教えを教えられていて、まったく感謝せず無視している人たちなんていないでしょう。これまでならです。現在の人たちは、多分、史上最強の超傲慢な人たちです。〔苦笑〕)
だから、そのような「信じられないほど傲慢な」罰当たりな行為はもうやめることです。そうしない限り、起きる災いは激しくはなっても止まることはないからです。
しかし、この辺りの人たちはもちろんなんですが「反省」ってしないんでしょうか?このブログを見ている人たちはです。
私が何をいっても一切、自分たちのしていることを変えようとしないのですが(特にこの辺りの人たちなどすさまじいまでの頑なさなのですが)何度もいいますが、もはやこの辺りだけではないのです。
不幸な現象が起きているのはです。
日本全国で、天変地変が激しいのはもちろんのこと、癌のような大病を患う人はドンドン増えている(そればかりでなくインフルエンザやO―157のような疫病も凄く増えています)そうして、おかしな現象もドンドン増えて(電車が止まったり、大きな火事が起きたり、暴走事故で多くの人がはねられたり…昨日もありましたが)不幸が続出しているのです
次々に不幸なことがこれでもかと起きているのです。
いくら何でもおかしいでしょう。戦争が起きているわけでもないのに、これだけ不幸ばかりが増えていくのはです。(多分、日本に起きている多くの不幸をグラフ化したら右肩上がりでしょう。誰かそういうグラフもつくってくれないのでしょうか。経済関連のグラフばかりでなくです。〔苦笑〕)
このような災いが、現在の日本にはドンドン増えていっているから、私は反省してくださいと、そうしないとこのような災いは止まりませんよと、そういって(いい続けて)いるわけです。
このようなことはすべて(すべてをこのブログを見ている人たちのせいとはいいませんが)日本の人々が、神に対する態度が悪いから起きているからです。
前回も書きましたが、神に対する態度が間違っているため(しかも大きくです)日本の多くの人たちが神のご加護をもらえていないのです。
昨日のあの園児たちに車が突っ込んだ事故でもそうです。わざわざ園児たちが信号待ちしているところに車が突っ込みますか?
ああいう事故を見ても分かるのです。すでに小さな子供まで守られずに災いが起きているのです。神のご加護がないからです。
だから、これだけの災いが日本に次々に現れるのです。神の加護のないところには災いしか現れないからです。
実際、私たちのような神に対する態度が正しい者にはちゃんとご加護(次々に起きる奇跡)があるのです。
昨日もそうでした。庄内川に行くとずいぶん水が引いていたのです。
その水が引いた庄内川を見ていたら、しばらくすると黒い塊が浮いて来ました。
「ん、何だあれ?」と、その黒い塊をよく見てみるとなんとその塊はたくさんの小魚たちでした。
大量の小魚がまとまって浮いてきたのです。
「うわ、凄い数」とちょっと引き気味に見ていると、そのような黒い塊があちらからこちらからと、あちこちから浮いてきたのです。
「おいおいお前ら、どんだけいるんだ。元気だな」と、その塊たちに声をかけると、そのあちこちから浮いてきた小魚たちがパチャパチャやりはじめました。
先ほどまで静かだった川面が、あちらでパチャパチャ、こちらでパチャパチャと急ににぎやかになったのです。
その小魚たちに声をかけながら見ていると「ひゅん」と何か飛んで来たんですが、それはツバメでした。
数羽のツバメが私が騒いでいたので飛んで来たようで、もうあっちから飛んて来たり、こっちから飛んで来たり、ツバメも小魚同様飛び回っています。
それ以外の鳥も鳴きながら何羽も飛び回り、川も空もにぎやかなものでした。私の顔を見ると、みな喜んで、泳ぎ回り飛び回っているのです。
本当に可愛いものです。そのような鳥や魚たちの愛をヒシヒシと感じたからです。
そういう場面を見ていたのかどうか知りませんが、後にある道路では、たまに通るトラックがよくブシュブシュやって走っていきました。
そのようなことをして走り去っていくトラックの運転手連中は、私の周りを飛び回り、泳ぎ回っている、鳥や魚たちと違い、怒りや憎しみ、ねたみやひがみの心で、そのような嫌がらせをしていくんだろうなと思うと、そのやっていること(心)のあまりの違いに、そのような運転手連中が哀れでした。
釈尊が次のような例え話をされたことがあります。
私がある人の家に招待されたのですが、その家に行くと食事を出してくれました。
私は腹が減っていましたので、その出された食事をおいしくいただいたのですが、そのいただいた食事は一体誰のものなのでしょうか?
人の家で出されたとはいえ、出してくれた食事を、私は食べて、その食事はもう私の腹の中に入ってしまっているのですから、その出してくれた食事は私のものでしょう。
しかし、その出してくれた食事を、もし私が食べなかったとしたら(お腹が一杯で)その食事をそのまま出してくれた人に返したとしたら、その食事は一体誰のものなのでしょうか?
その場合はです。
それは食事を出してくれた、その人のものということになるはずです。元々は、その人が出してくれた食事であるからです。
私は、鳥や魚たちの愛はいただきますが、後ろで走って行くトラックの運転手の怒りや憎しみ、ねたみ、ひがみの心はいただかないことにしています。
そうすると、そのような怒りや憎しみ、ねたみやひがみの心はどこに行くのでしょうか?
もちろんそれは、先ほどの例え話でも分かりますように、そのような心は皆だした人に返って行くのです。
そのような心が、自らに災いを現していると知ってください。
自分たちの出した、怒りや憎しみ、ねたみ、ひがみの心が自らを不幸にしているのです。(何度もいいますが、私がその人たちを病気にしているのではないのです。そういうことをすれば自分も病気になるからです。自分が出した間違った思いが自分自身を病気にしているのです)
この教えを実践し、私のように愛をふりまいていれば、そこらじゅうからまた愛が戻って来て、様々な奇跡が起こります。
しかし、せっかくこの教えを知っていても、まったく実践しようと(理解しようと)しなければ、知らない人と同様の(もっと悪いほどの)災いが現れるのです。
善因善果、悪因悪果の法則が、この教えを知っている人にはより以上に現れてくるからです。
このブログを書いている最中にも次々に災いが現れているようです。(どこかの会社などです。どんどん出ているようです。災いがです)
一番の神のご加護がもらえる方法が、この教えを実践することなのです。
いつまでこの教えを無視しているのですか?
それほどの愚行もないのです。



人目の訪問者です。

昨年膝の手術をしたのてすが、昨日はその経過観察のために診察に行ってきました。あれから半年も過ぎて今は軽いジョギングもやっている位に回復して手術を受けて良かったと思いました。診察の順番を待っていると、診察を終えた入院中に同部屋だった方とお会いしたのでその後の事を聞いてみました。その方も順調に回復して私と同じように今は走っているとのことで、お互いその快復ぶりに喜びました。しかしですね、そして会計を済ませ帰るところを見ていたら、走れているとはいえ私に比べるとかなりぎこちない様子がわかりました。実はこの方の仕事は事務職なのです。一方の私は現場仕事で、しかも通勤は徒歩がメインということです。だからその差が出ているのでると感じました。でも大事なことは、お互い今の自分の快復を喜んで受け入れているということです。今の自分に必要な、その必要な求めるレベルを神は各々に与えて下さっているのであり、その結果として自分を受け入れて喜べるのは良いこどだと思いました。ただ、私に限って言えば、もし私がこの方より先だったらその姿をどう感じたかと考えると、神はその順番さえも与えてくださっと感謝する他ありません。
さて、先生からなご質問にお答えさせて頂きます。単刀直入に言いますと、書きたいことがある時のためなのです。ブログの更新は受け手が勝手に期待するものであり
先生におかれましてはその使命の高さゆえに、時期不確定となっているのが事実なのです。そして今回はブログに上げたい事が二つあったのでそうしました。また
、たまにそうしていたのは適時に上げれるように確保していたのが理由でした。今後もこのブログで発信させて頂きたいものですから、ご容赦のほど宜しくお願い申し上げます。
そうですか。いろいろコメントも考えてしていられるんですね。(笑)
また頑張ってコメントしてください。