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6月 04 2019

堕落と退廃

10:55 AM ブログ

東海地方の水不足は深刻のようですね。

宇連ダムだけでなく、その辺りの各地のダムの貯水量も減って給水制限も広がっているとか。そうして六月も雨は降るようですが少雨が続くとのこと。

これはもしかすると未曽有の水不足に(すでになってはいますが)陥るかもしれませんね。三河地方などです。(主に愛知県東部や静岡県の一部の水ガメが〔宇連ダムをはじめとした〕その辺りのダムだそうですから。名古屋は木曽川が水源ですから今のところ大丈夫のようです)

私が祈れば一発なんでしょうが、求められてもいないのに祈ってはまたどこにどんな大雨が降るか知れません。

頼まれてもいないのに勝手には祈れませんね。

それに特別、私が祈らなくても、三河の人たちが、これまでの行いを反省し「神よ、これまで神を思わなかったことを心から反省いたします。これからは神の心を一として生活していきます。ですから神よ、どうぞこの地域に必要な分の雨を降らせてください。この地域に光をお与えください。調和と安らぎをお与えください」と祈れば、すぐにでも雨は降ります。(しかも必要な分だけです。決して降りすぎる〔大雨や豪雨〕ということはありません)

別に雨を降らせることなど、そんなにむつかしいことではないのです。たやすいのです。それを多くの人たちは知らないだけなのです。(しかし、そういう祈りをしたら、本当にこの教えを実践しないといけませんけどね。口だけだと後でもっとひどい災いを起こされますから)

だから、そのような調子で豚コレラも祈れば、その地域に豚コレラが発生することもなくなるのです。

本当にもったいない話です。この如来の教えを多くの人たちが無視し続けているからです。

まあ、それだけこの教えを多くの人が毛嫌いしているということなのでしょう。そういう人が多ければ、それは祈りも実践もしないのでしょうが、しかし、もし、そういう心の人たちばかりであるなら、それは自分たちが堕落しているからと自覚してください。

堕落しているから、この教えを(如来の教えを)毛嫌いするのです。それだけ心が退廃しているからです。(心が退廃しているのなら神の心からはドンドン離れていきます。当然、如来の教えなど毛嫌いするでしょう。それこそ本当の神の教えなど堕落した心が受け付けないからです)

結局、これだけ多くの災いが平成以降に現れたのは、それだけ心が堕落し退廃した人が多かったからです。

だから、これほどの災いが平成以降現れているのです。

物質文明は、昭和から平成、平成から令和へとドンドン発展していくものですから、それと同じように心の面も発展していると多くの人は思っているのでしょうが、しかし、心と物質は違うのです。(しかも全然です)

同じように発展するわけではありません。物質は発展しても心が退廃するなどいくらでもあるのです。

それどころか、過去の歴史を知るなら、物質の発展とともに心が退廃し、滅びて行った民族は数多くいるのです。

では、同じことが日本に起きても何も不思議ではありません。過去、心が退廃し滅びて行った民族たちと同じことが日本にも起きているからです。(それはこれまで何度も書きましたが)

なぜ、日本に平成以降、これほどの災いが現れて来たのか、これでお分かりいただけると思います。

日本に住む多くの人たちの心が堕落し、退廃したからです。だから、これほどの災いが日本に起きた(起きている)のです。

その堕落と退廃が神の怒りを買っているからです。

多くの人たちの心が堕落すればするだけ災いが現れてくるというのは、歴史が伝えている通りです。(そのような人たちは皆、神の怒りを買ったからです)

そのような堕落の原因が、前回書きましたが、保育園をつくるなとか、風鈴がうるさいとかの超がつくほどの自分本位さ、結婚前に子供をつくったり、同棲を何とも思わないなどという性の乱れ(最近は貞操観念などなくなってしまいましたから)出産に夫が立ち会うなどの異常行動、男女平等、同等、LGBTを認めるなど多様性という言葉にごまかされた間違った寛容さ、弱い者を狙っての犯罪(こんなの人として下の下、カスのカスの超非人間的な卑怯〔ひきょう〕な行いです)などなど、いいだしたらきりがありませんが、このような間違った行いなのです。

平成に入り、このような間違った行いを正しいと信じて多々行った結果、多くの人々の心が退廃したのです。

このような平成思想が、多くの人々を堕落させ、これほどの災いを招く結果となったのです。

これほど分かりやすく説明しても、それでもまだ認めませんか?自分たちの堕落、退廃をです。

何度も書きますが(あなたたちが理解するまでです)心が堕落し、退廃しているから、これほどの災いが起きているのです。

それでどうしますか?このまま堕落し退廃したままで生活していきますか?そうなれば確実に災いは起きてきますが…まあ、それでもいいという人もいるでしょう。(そういう人が多いのかもしれませんが。〔苦笑〕人間は一度堕落してしまうと、堕落した生活の方がよくなりますから。しかし、そういう人は死後は確実に地獄行きなのです)

しかし、それでは嫌だという人はこの教えを実践してください。そうすれば災いは起きて来ないからです。(というか、それが正しい人の道なのです。堕落した生活など正しいわけがないでしょう。だから災いが止まらないのです)

その堕落を止める一番の方法がこの如来の教えの実践なのです。だから、それをしている私たちには奇跡が起きているのです。

このような堕落した時代に一番よい方法を実践しているからです。

この辺りは、せっかく如来の教えが出ているのです。そうして、その教えを多くの人たちがすでに知っているのです。(ほんと有難い話なんですけどね。このような時代に如来の教えが現れているなどです。あの芥川龍之介の蜘蛛の糸の、その釈尊の蜘蛛の糸が目の前に垂れて来ているようなものなのですが〔この現世という地獄にです〕その自覚がほとんどの人にないのは本当に残念です)

では、それを実践すればいいのではないですか。それが一番早く災いが起きなくなる方法であるからです。

とりあえず、三河の人たちなど大変な災いが(この辺りもそうですが)迫っています。一度やってみてはどうですか。

この正法神理の祈りをです。

そうすれば、この教えの偉大さがよく分かるからです。私の書いた通りのことが起きてくるはずであるからです。

三河の人たちもこの辺りの人たち同様、私を目の敵にしているようですが、私が人に悪いことをしているのなら、私に奇跡が起きてくることはありません。

私には(愛ある)奇跡が次々に起きているのです。

昨日でもそうです。昨日は庄内川に行きましたが、暑かったので橋の下で休んでいたのです。

しばらくすると前の水面に細かく動いているものがたくさん見えてきました。また小魚が寄って来たようでした。

その小魚たちに声をかけているとピチャピチャやって喜んでいました。(魚たちと会話できるんですよ。凄いと思いませんか?)

そうして別のところに移動して、今度は庄内川の水面のすぐ近くまで行って水面をのぞきながら「お前らいないのか」などと声をかけていたら、それまで何もいなかった水面の底から細かいものが一杯浮いて来ました。

ん、と思って見ていると、その細かいものはみな小魚でした。そこらじゅうから小魚が浮かんできたのです。凄い数です。

「お前らようけおるなあ」と声をかけていると、水の中を勢いよく泳ぎ回っているのもいて、可愛いものです。

もう周り中の水面に細かい魚たちが一杯いるのです。それだけでも癒されます。

その魚たちを見ながら歩いていたのですが、しばらく水面近くを歩いていたら、急に魚たちがいなくなったのです。

それで「ああ、この辺りはいないな」と思って、後ろの水面をきょろきょろ見ながら歩いていて、何気なく顔を前に向けたとたんでした。

その目の前の水面に凄い数の小魚たちがいるではありませんか。あれには驚きました。あまりの多さにウジが浮いているのかと勘違いしてしまったからです。(もうびっくりしました。あまりの数の多さに〔もう固まってガバッといましたから〕こちらは水面にウジがわいているのかと思ったのです。水面にウジがわくわけがないのですが。〔苦笑〕)

それだけたくさんの小魚たちが浮いて来ていたということです。

人だけでなく、まさか小魚たちにまで待ち伏せされるとは思いませんでしたが、この教えを実践している私には、このような不思議な(魚が普通こんなことしますか?しかし、まるで意図したような行いを魚たちが〔鳥たちもそうですが〕するのです)愛ある奇跡が次々に起きているのです。

災いばかりが起きる生活と、このような不思議な愛ある奇跡が次々に起きてくる生活と、どちらがよいのですか?

そのどちらの生活を選ぶのも本人の心次第であるということです。

(何かメチャクチャ起きて来たようですが、大丈夫ですか?どこかの会社などです。〔何か次々に起きているようです〕こういうことが、これからどんどん広がって行きます。急がれた方がいいでしょう。反省をです)

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