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6月 09 2019

年寄りの使命

10:57 AM ブログ

前回も書きましたが、これだけ起きてくることが違うのです。こちらは奇跡しか起きて来ないのです。この辺りの人たちはもう自分たちの間違いを認めるべきです。

突っ張っている間は(絶対に)いいことは起きて来ないからです。(今日も朝から〔こんな日曜日のですよ〕とち狂ってガンガンやっているのがいました。本当に大丈夫でしょうか。〔汗〕)

若い者はともかく、年寄りにはそれがはっきり分かるはずです。だったら、まず年寄りから私に頭を下げてはどうでしょう。

年寄りが手本を見せれば若い人たちもマネするからです。

にもかかわらず、こちらの年寄りは怒って嫌がらせをしてくるような人たちばかりです。それではあまりに情けないでしょう。若い者と(あるいは子供と)同じ態度を取っていては、年を取っている意味がないからです。

人生経験が長く、そのような体験上の智慧があるから年寄りなのであり、その智慧があるはずの年寄りが若い者と同じ態度を取っているようでは、それでは、ただ肉体が年を取っているだけで自分は智慧のないバカです、といっているようなものです。

智慧のある年寄りであるなら、如来の教えを説いている者に対する正しい態度は分かるはずです。

では、それを行ってはどうでしょう。年寄りが率先して正しい態度を取るなら、自分が救われるのはもちろんですが、これからどれだけ多くの人たちが救われて行くか知れないからです。

何で自分が正しい態度を取るだけで多くの人が救われるのか、と思う年寄りもいるかもしれませんが、年寄りがそのような態度を取るなら、若い者たちは当然マネをします。

つまり、自分たち(年寄り)の態度は多くの人々に影響を与えるということです。また、そういう態度を望んでいる人もたくさんいるはずだからです。

いるに決まっています。この辺り、これだけ災いが起きているのです。怖くないはずがないのです。特に子供など怖くて仕方がないのです。

しかし、周りの人たちの目もあり、自分だけ怖がって私に頭を下げるわけにはいきません。(実際に私の顔を見て泣き出した子供がもう何人もいるのです。それは小学生ばかりでなく中学生までもです)本当は助けてほしいのではないでしょうか。

子供たちはです。

他の大人では、この状況から誰も子供たちを救える人はいないからです。救えるのは私一人であるともう理解している子供も多いはずであるからです。

だから、誰かがそれをしてくれないと(素直に私に頭を下げないと)誰もそれが出来ないのです。

だからいっているのです。物が分かる(若い人よりです)年寄りがまず正しい態度を私に対して取ってくださいとです。

そうすれば若い人たちもマネをして多くの人たちが救われて行くからです。(如来の教えを説いている者に正しい態度を取るなら、当然その人は救われます)

少なくとも、年寄りの皆さんは、もう、分かっているはずです。誰が正しくて誰が間違っているのかはです。

しかし、分かっていても、それでも自分が悪かったとすぐに頭を下げられないのが人間なのですが(意地やら見栄やらいろいろあって)そこを素直に下げることが出来るのが、年寄りの智慧というものなのではないでしょうか。

そういう智慧が深かったから、昔は年寄りが亡くなるとみな悲しんだのです。辞書三冊分の智慧がなくなったなどといわれてです。(昔って、こういうこといってなかったですか?)

しかし、最近の年寄りは(昨日のウナッシーさんからのコメントでも書きましたが)すさまじい車の事故や悲惨な事件を起こしたり、すぐにキレたり、超自分本位になったりして、もはや老害としか思われていない部分が多々あります。

そういうところがあって、やることが若い者や子供と変わらないではあまりに不幸でしょう。(それでは長生きされることが迷惑です)

そうであるならです。もう年寄りの人たちは先が長くはないのですから、せめて最後くらい人のために尽くされてはどうでしょう。

そうすれば、少なくとも、先ほど書いたようなことは起きて来ないからです。

結局、そういうところにこれまでの行いが現れてくるのです。

そのような年寄りが、どれだけ立派な人だとか、まじめな人だとかいわれていてもです。しかし、心をきれいにせず、そうして人に対して大した愛も出さずにいては(要は、心そっちのけで自分のことだけしかしてこなかった人は)最後は哀れなことになるのです。

そのようなこれまでの人生の失敗が(表面的な失敗ではなく内面的なです)最後にあのような(凄いスピードで建物に突っ込んだり、よりにもよって人がたくさんいるところに突っ込んだりした)すさまじい車の事故や(嫁さんを殴って殺したり、引きこもりの自分の息子を刺し殺したりした)悲惨な事件につながるのです。

そうして、すぐにキレたり、超自分本位にもです。心をきれいにせず自分のことだけしかして来なかったからです。

しかし、人生の最後にそのような(人のために尽くすという)愛の行いをするのであれば、その心は浄化され、哀れな最後を遂げることもなくなります。

そうして、死後の世界も救われて行くのです。

年寄りにとって、これだけよい話もないのではないでしょうか。(金が儲かるという話よりいいのではないですか。お年寄りにとってはです)

だから、いっているのです。最後の最後に(自分のためではなく)人のために尽くしませんかとです。そうすれば(本当に)救われるからです。

その人のために尽くすとは、何も難しいことをいうのではないのです。先ほどから書いていますように、私に対しお年寄りが率先して正しい態度を取るのです。

自分の小さな我を捨てて(自分のためではなく)人のためにまず自分が頭を下げるのです。

誰も今のままでは意地ばかり張って正しい態度を取ろうとしないからです。それでは皆、不幸にしかならないのです。

だから、如来の教えを説いている私に真っ先に自分たち(年寄り)が正しい態度を取り、このようにすれば皆が幸せになれるのだという、皆に奇跡が現れるのだという、正しい手本を多くの人たちに見せるのです。

人生の最後に、自分の小さな我など捨てて大我を示すのです。

そうすれば多くの人たちが、その行為に従うでしょう。そのような行為は神の心の現れであり、それほど尊い行いもないからです。(だから、そのような行為自体が人のために尽くすということになるのです)

そのような正しい態度を見せることで、多くの若者たちが影響を受けて、その年寄りのマネをして皆が私に対し正しい態度を取りだしたら、どれだけ多くの人に奇跡が現れるか分かりません。

これほど人のために尽くす徳のある行いもないのではないでしょうか。

もう、そのような事実は誰も知っていることなのです。しかし、そのような正しい態度をこの辺りの人たちは誰も出来ないでいるのです。

あまりに私に反抗的な態度を取り続けている人が多く、私に反抗的な態度を取ってきた期間も長かったからです。

しかし、年寄りが、そのような正しく徳のある態度を取るなら、それなら自分もという人も出てきます。

必ず、もう反省したいと、私への態度を変えたいと思っている人はいるはずだからです。(しかもたくさんです)

すでに東海三県だけでも、これほど多くの災いが起きているのです。その中で私だけなのです。次々に奇跡が起きているのはです。

では、その次々に奇跡が起きている者に従うなら、自分も次々に奇跡が起きてくるのです。また、奇跡など起きなくてもです。

自分に災いが起きてくるのは嫌だと思っている人などたくさんいるのです。何度もいいますが、特に子供たちなどもう怖くて仕方がないのです。(子供たちの気持ちをもっと考えてあげてくれませんか?年寄りだけではなく大人たちはです)

だから、私に頭を下げたいという人はごまんといるはずなのです。

しかし、そのきっかけがないのです。誰もそのような正しい態度をしっかり取れる人がいないからです。少々の人が個々ではしていてもです。その程度では災いから逃れられないと、やっても無駄だと、そう思って諦めている人も多いのです。

だから、そのしっかりしたきっかけを年寄りがつくるのです。

感情的な問題を、年寄りが解決するのです。そのような問題を解決出来るのは(穏やかな)年寄りの智慧以外ないからです。

だからいっているのです。年寄りの皆さんがまず立ち上がってくださいとです。

何度もいいますが、年寄りの方々はもう先も長くありません。そうであるなら最後に多くの人々のために、自分の小さな意地など捨ててください。

そうして神のために、そうして多くの人々のために(私のためではありません。それが神のためであり、多くの人たちのためであるのです)私に頭を下げてください。

その意地を捨てて私に頭を下げることで多くの人々が救われていくからです。(私に頭を下げてきた人を私は必ず救いますよ。それこそ神に誓ってです。この教えさえ実践できれば必ず救われるからです)

最後の最後に(自分の小さな我など捨てて)年寄りの智慧を出し、多くの人々を救いませんか?

それこそが年寄りの使命なのです。

追伸…景気判断が二ヶ月連続の「悪化」だそうですね。

それにもかかわらず参院選の自民党の公約は消費税は予定通り上げるとのこと、アホかといいたいです。

この後、まだまだこれから景気が悪化する条件は山ほどあるのにです。(オリンピック景気の終わり、その後のオリンピック不景気、米中貿易戦争、EU、中東、北朝鮮、韓国問題などなど…そうして、これから高齢夫婦の無職の世帯が三十年生きるなら二千万円が必要とかもいわれていました。あんなこといったらよけい金を使いませんからよけい景気は悪くなります。ほんと何重にもしています。不景気対策をです。〔苦笑〕)

どれだけ国民を貧困化させたら気がすむのでしょう。(もう「消費税を上げないと〔赤字国債で〕財政破綻する~」はいいですから。〔苦笑〕では、MMT〔現代貨幣理論〕はどういうことだといいたいです。そういうバカげたことをいう人はよくMMTを理解されてはどうでしょう)

だから衆参ダブル選なのでしょう。

消費税を五パーセントに引き下げるという消費税減税を大義としてです。これから大変な不景気になるということを安倍総理が見越してです。(違うんでしょうか?)

しかし、冗談抜きで、政府、与党がこのまま不景気対策を突っ走るというのであれば、選挙だけでなく(選択しようにも選択肢がないですから。他にろくな党がなくて)祈りの方もしっかりしていかなければいけないでしょう。

このブログを見ている人たちなら、正しい祈りの効果はよく分かっているはずです。

だから、おかしいと思うところを祈ればいいのです。(政府なら政府、財務省なら財務省、強欲経営者なら強欲経営者、そういう人たちを正しく導てくださいと神に祈れば、神が正しく導てくださるからです)そうすればそういうところのやり方も段々変わってくるからです。

これから正しい祈りを忘れてはなりません。

何でも正しく祈りながらするのであれば、自分たちがしようとしていることはより早く成功していくからです。

3コメント

3 コメント to “年寄りの使命”

  1. うなっシー2019/06/09 at 11:06 PM

    いま、私は貴重な体験をしています。それは自身の心を知って反省を行い感謝の心、祈りの心を持って物事に当たることで、その正しさが分かる。そういう体験をしています。例えば今日は地元の集まりがありました。婿入りした私は、その集まりではどこかよそよそしくてなかなか会話も出来ない。そんなことを集まりの後に思うこともしばしばあったのです。つまりは今日の集まりに対しても心が穏やかでないことを察知してその反省と感謝の祈りをして出掛けたのです。すると会話をしながらも自身の心を観てることにも気付きました。その会話も弾み決して胸がつかえるようなことはなかったのでした。そして集まりが終わってからも心は穏やかで心地よいものでした。これはで偶然のような奇跡が多かった気がする中で、自身を問い改め事を為すことで結果が分かる、そんな自身の成功体験は何事にも代えがたい心を向上させるには貴重な物と感謝しています。

  2. うなっシー2019/06/10 at 5:32 AM

    そんな、一見すると当たり前のような事が難しく思うし、こんなにも有り難いと思えることを嬉しく思います。

  3. gtskokor2019/06/10 at 9:01 AM

    よいことですね。これからも当たり前に感謝していきましょう。

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