6月 23 2019
歴史に学ばない人たち
しかし、最近はあれですよね。
男性も育休を取れとうるさくいわれ、そうして取れば取ったで今度は会社内で揉めて、その会社をやめてしまったり、裁判まで起こしている人もいるようです。
育休を取れといわれて取って揉めていれば世話はありませんが、大丈夫ですかね。こんなことをしていてです。
現代は、この男の育休もそうだし、夫が出産に立ち会うことなどもそう。男女平等で、何でもかんでも男と女は半々にすることがいいということもそうです。これまでの歴史上したことがないようなことを次々に始めていますが、よいのでしょうか。
このようなまったく歴史を無視するようなことをしていてです。
これまでの歴史で、男がこれだけ子育てに参加したことはなかったのです。これまでは、男は外で働き、子育ては女の仕事と相場が決まっていたからです。
まあ、片親のところなど(男親しかいない)男が育てるしかないので子供は男親でも育たないことはないのでしょうが、しかし、そういう特別な場合を除いて、男親が仕事を休んでまで子供を育てるということはこれまでなかったのです。
そういうことが本当によいのなら、これまでの長い人類の歴史の中でも、そういうことをしていた時期があってもよさそうなものですが、これまでそういうことをした人たちはいませんでした。
何ででしょうね?
それはただ単に昔が男尊女卑であったからだとか、そういうことを考えなかったからだ、という人もいるのでしょうが、私はそれだけではなく、そのような役割を(男と女の)無視したやり方は、後で何か問題が起きてくる(ということは間違っている)気がしてならないのです。
こういうことをいいだしたのは最近のことですから、その答えが分かるのは(男親が専属で子供を育てていいか悪いかは)十~二十年くらい立たないと分かりませんが(その子供が大きくなって)私は、これまでしたことがないようなことはしない方がいいと思います。
なぜなら歴史に学ぼうとしない人たちは滅ぶからです。
もちろん、子供の出産の場に男が立ち会うなどということもそうです。出産もやはり女の(大事な)仕事であったからです。こういうことに男が出しゃばって、後で何か問題が起きて来ないか心配です。
このような役割を無視した男女平等はよいのですが、そういう男女の役割をゴチャゴチャにしてしまい、それがために、ずいぶんあちこちで(これまで揉めていなかったようなことで)揉めているのは確かなようです。
正しいやり方なら揉めないと思いますが、こういうことをいいだしているのは、国連とか、ユニセフとか、そういう人たちなのです。
この人たちは確かによいこともしていますが、分担金とか、寄付金とかをずいぶん懐に入れている人もいるとききます。そういう(いわくつきの)人たちがいいだしていることが果たして正しいことなのでしょうか?
これまでの歴史を無視するような行いは悪のような気がしてなりません。
それは神に対しても同じでしょう。
これまでこれだけ神を無視し、神を恐れない人たちが多かった時代もないと思うんですが、これだけ書いても、そうしてこれだけ現れていても(神の業が)それでもまだ最低限の行いさえしようとはしないのでしょうか?
このブログを見ている人たちはです。(ウナッシーさん以外の)
前回のようなブログを書けば怒っているような人たちばかりです。自分が悪かったと頭を下げる人など皆無です。
多少はいたかもしれませんが(頭を下げるような人もです)しかし、ほとんどの人はあの地震はお前のせいみたいに怒っていました。
凄いですね。何の奇跡も起きていない人たちが何を根拠にそういう発想が出来るのかまったく不思議ですね。
そういう人たちにどれだけ災いが現れているのか知れないのにです。
それを考えれば本当に哀れなものですが(自分たちの大間違いをいつまでも認めようとしないからです。傲慢そのものです)二、三日前の話です。
金山に行ったのですが、久しぶりに金山駅前まで行くと何か様子が違っていました。
何が違うのかすぐに気づきました。「あれ、金山の駅ってこんなに人が少なかったっけ?」とその人の少なさ、活気のなさに驚いたのです。
車も減っているのですから、当然、人も減っているのでしょうが、大丈夫なんですかね。こういう状況で、これだけ多くの人が(分かっているのに)神に対し傲慢な態度を取り続けていてです。
これまでの歴史を知るなら、神に頭を下げようとしなかった(傲慢な)人たちは皆、滅びています。
同じことが起きてくるのではないかと非常に心配ですね。
この辺りは人も車もドンドン減っていて、そうして、日本全体でも、次々に災いが起きているからです。(その災いとは、特別自然現象だけではなく、私生活から政治、経済、教育に至るまですべてにおいてという意味です。〔最初に書いた男女平等などもそうですが〕すべての面で日本は悪い方、悪い方にと進んでいるからです)
それにもかかわらず、少しも心を変えようとしない。そのような神の心を無視する態度の人たちばかりであるのです。
そういう傲慢な人たちばかりであるなら、もっとひどいことが起きてくるのは必然でしょう。
それはこれまでの歴史を知れば分かります。いい加減、そのような傲慢な態度を改めないと本当に滅ぼされてしまいます。
こちらなど、そのよう気配がすでに現れてきているからです。(ほんと名古屋はもう危なすぎます)
その金山に行った行き帰りにちょっと面白いことがありましたので書いておきます。
面白いという書き方は語弊がありますが、金山に行った日のことです。行く途中ある小学校の近くを通るのですが、また小学生の集団と出くわしたのです。
ちょうど下校時間と重なったのでしょうが、しかし、その小学生たちは、前回書いた小学生たちと違い(まあ、顔が引きつったのもいるにはいましたが)態度がずいぶん横柄でちょっかいをかけてくるのもいました。
頭を下げるような小学生など皆無です。
前日あった小学生たちとは全然雰囲気が違っていましたので「こいつら昨日の小学生とは全然違うな。程度悪いわ」と思いながら、歩いて行ったのです。
その帰りのことです。また同じ道を帰って来たのですが、その小学校の近くまでくると消防車が何台も来ていて大騒ぎになっています。
「何だ?」と思い、小学校の横を歩いて行きましたが、どうもこの小学校が火事を起こしたようで、たくさんの人たちが騒いでいました。(校舎の四階でボヤがあったようです。新聞に書いてありました。けが人などは出なかったようですが)
この小学校なら、こういうことも起きるだろうなと思って歩いて行きました。これだけ(心の)程度の悪い小学生が多いのです。さもありなんと、そう思ったわけです。
心と行いが悪いところに悪いことが起きる、これは神理なのです。
こんな傲慢な態度を続けていてよいことが起きてくるわけがないのです。なんで、如来の教えをきいていて、少しも感謝せず、嫌がらせなど平気でしてくる人までいるのでしょう。
そういう人ばかりであるから、日本はこういう(悪い)ことばかり起こされるのです。
昨日も群馬などでは凄い雨になったそうですが、また、激しいゲリラ豪雨が次々に降って、あのような大きな地震まで起きても、そうして、それが自分たちのせいであると分かっていても、平気で知らん顔をして自分のことだけやっている、どういう神経をしているのでしょう。
少しは自分たちが悪かったと思う心は出てこないのでしょうか?このブログを見ている人たちはです。
このブログを見ている人たちが、少しも神の心を理解しようとしないからこういうことになっているのにです。
この災いを止める方法は、そのような人たちが心を入れ替えるしかないのです。少しでも神の心を理解するしかないのです。
そのような神の心を何年も前から教えられ続けている人たちがです。
どちらにしてもです。特にこの辺りの人たちなど、今の心のままではもう災いからは逃れられないでしょう。
遅かれ早かれ現れると思います。災いはです。(今の名古屋の状況を知ればそれは分かると思いますが…)
だから、その災いから逃れる方法を書いておきます。それをしない限り、災いから逃れることは出来ないからです。
それは簡単なことなのです。反省して、感謝して、そうして愛の行為を行うことです。
そうすれば、災いが現れることはありません。災いから逃れる方法は、唯一これのみなのです。
それ以外では、どれだけお経をあげようと、滝行など行おうと、また有名なお寺や神社に行ってお参りやお祓いなど行おうと、何をやっても無駄です。
そういうことではこの災いを祓うことは出来ないからです。(それで災いは起きないと思うならどうぞおやりください。そういうことをしている人たちにも、すでに次々に災いは起きているはずであるからです)
そのようなやり方は正しいやり方ではなかったのです。
災いなど起きて来たら、昔からこのようなやり方をしていたのだから、これが正しいやり方であると、それも歴史に学んでいる方法であるという人もいるのでしょうが、残念ですが、それは誰がしていたことなのですか?
釈尊がされていたことでしょうか?それともキリストがそのようなことをされたのでしょうか?
釈尊やキリストがお経をあげろといわれたことはありませんし(だいたいキリストがお経などあげるわけがない)滝行をやれとか(釈尊はそのような肉体行を捨てて悟られたのです)どこかのお寺や神社にお参りやお祓いに行けなどというわけがありません。
釈尊やキリストは自分でそのようなことをされていたからです。特別なことやところに行かなくても、すぐその場で災いなど祓う方法を教えられていたからです。
釈尊もキリストも災いなど起きている時は私と同じことをいわれたのです。(歴史に学ぶにしても、正しい人から学ばないと意味がないのです)
悪いことが起きている時は「これまでの自分の行いを反省し(悔い改め)感謝の心で愛の行為を行いなさい」と、そういわれたのです。
それ以外で救われる道はないからです。
だから私はいっているのです。反省して、感謝して、布施しなさいとです。
少しでも反省するなら、その反省した分だけ心はきれいになります。そうして、少しでもきれいになったその心で、心を救われている私に感謝して布施するなら、それだけ徳になる愛の行為もないのです。(心を救われている者に感謝して報恩の行為をするのですから、これだけの愛の行為もありません)
それが一番いいことだから、私はそうしなさいといっているのです。
そういう行いをするなら、その人に災いが起きてくることはないからです。そうして、災いがすでに起きた人にも、そのような心と行いを実践するなら、奇跡が現れてくるからです。
だから、そうしなさいといっているのです。何度もいいますが(災いばかりが起きているこの辺りの人たちにとって)それが一番いい方法であるからです。
歴史に学ばない人は滅びます。
このブログを見ている人たちの多くは、その歴史に学ぼうとしないのです。



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