>>ブログトップへ

7月 09 2019

起きている恐ろしい現実

11:08 AM ブログ

いい加減やめませんか?流行病を私のせいにするのはです。

怒って私のせいにしていても仕方ないでしょう。おかしな病気になったのなら、医者に行くか、それとも私のいうことをきくかのどちらかにしてはどうでしょう。

その方が早くよくなると思うからです。

昔も流行病で多くの人がコロコロ死ぬということなどよくあったのです。

江戸時代など痘瘡(とうそう・天然痘)やはしか、風邪(インフルエンザ)などの流行で、短期間に想像を絶するほどの人の命が失われたのです。(江戸時代に江戸の町で、インフルエンザでひと月に八万人以上の人が亡くなったという記録まであるくらいです)

だとしたら、現代にそういうことが起きても決して不思議ではないわけです。時代が変われど、起きることにさほど変わりがあるわけはないからです。

人の心はそれほど変わらないからです。(心が変わらなければ同じようなことは起きてきます)

こちらなどトラックが減りっぱなしで増えて来ないのです。では、もうトラックの運転手の多くが亡くなっていると考えてもよいのではないでしょうか。病気なら、回復すればトラックの数がまた戻ってきてもおかしくはないからです。

しかし、いつまでたってもトラックの数は戻って来ないのです。

では、最悪のことがたくさん起きていると考えてもおかしくはないでしょう。恐ろしい話ですが、そう考えざるを得ません。(どうもそのようです。あちこちで確認していますから。運転手やトラック会社など通ると私が直接きいてです)

それが現実なのです。現実は現実として受け入れましょう。現実逃避をしていても危ないだけであるからです。

もうそれほど危ないことが起きているということです。

それなのにまだ如来の教えを勉強しようとはしないのですか?責任転嫁ばかりで心を汚いままにしていて平気なのでしょうか。

そのような心が流行病を呼んでいるというのにです。

昔は、例えばインフルエンザなど流行っても、薬や注射を打って治すなどということは出来なかったのです。(江戸時代にインフルエンザを治す薬などなかったのですから)そうして、マスクもなければ、うがいや手洗いなど、そういう予防するという知識もなかったのです。

治す薬も予防するという知識もなく食べ物も粗末なのですから、こういう病気になれば、昔など次々に人に感染して、それこそ江戸の町や村の人々が死に絶えるということがあっても、決して不思議ではありませんでした。

昔は伝染病の感染を防ぐ力などないに等しかったからです。

インフルエンザなどはかかっている人の唾などかかって菌が入れば、まず感染してしまいます。はしかなんて空気感染までしてインフルエンザよりも、もっと感染率が高いのです。

それにもかかわらず、それで多くの人が亡くなっても、ある程度、時期が過ぎると、そのような病気の流行も段々減っていき収まって行きました。

なぜでしょうか?何で、伝染病の感染を防ぐ力もなく薬もないのに、そのような伝染病が段々収まって行ったのでしょう?

これをただの自然現象で、何でもそうだが時期があって、その時期を過ぎれば下火になり自然に収まって行くと考えてしまうと間違えてしまうのです。

このような伝染病が、時期だけで何の予防も薬もなく自然に収まるわけがないからです。

しかし、実際は時間が過ぎれば自然に病気が収まって行きます。だから、みな間違えてしまうのです。

こういうことは、すべて時間が過ぎれば自然に収まって行くものであるとです。だから、薬がない昔は、その時間の(流行る時期の)過ぎるのを待つしかなかったのであるとです。

しかし、それは間違いなのです。このような流行病は時間がたったから収まったのではなく、その病気になっている人たちの心が変わったから、段々収まって行ったのです。

つまり多くの人の心が変わったからこのような流行病も収まったということです。神が、その病気の発生を、段々(その人たちの心に合わせて)収めて行ったからです。

何でも同じなのです。

天変地変もそうだし、このような流行病もそうです。

昔の人は、ひどい災いが続けば、それは神の怒りだと知っていたのです。だから、あまりにひどいことが起きてくるようだと、みな自分が悪かったからこういうことが起きているのだと、これまでの行いを反省し、多くの人が心を変えたのです。

その結果(神の心に叶う人が増えて)段々その災いが収まって行ったのであって、決して時間が過ぎたから起きている災いが自然に収まって行ったわけではないのです。

それが事実なのです。それを多くの人たちは知らないだけなのです。(だからとはいえです。心を変えれば病気が治るのなら薬はいらないではないか、などという極論はもちろん間違いです。そのような心を直すための補助として様々な薬を神は人間に与える導きをしているからです)

まあ、知りようがありませんが、当時、そのような災いが起きたという記録は残っていても、江戸時代の人たちの心の中までの記録は残っていないからです。

だから、江戸時代に数々起きた流行病などがなぜ収まって行ったのか、それは心を変えたせいで収まって行ったという証拠はありませんが、しかし、残念ではありますが、そのことが正しいということを、現代の人たちが証明しているのではないでしょうか。

証明していますよね。江戸時代に比べればはるかに文化文明が進んだ現代においても、その心を変えなければ、起きてくる災いは止まらないからです。

こちらで起きている流行病もそうだし、いまや災害列島などといわれる日本中で起きている天変地変もそうです。

現代の人たちが少しも心を入れ替えようとしないため(神を認めて恐れようとしないため)そのような災いは起き続けているからです。

だから私はいっているのです。「この如来の教えを無視していてよいのですか?」とです。

何度もいいますが、これだけ災いが起きている時に奇跡が起きているのは(如来の教えを実践している)私たちだけなのです。

ということは、私たちだけが正しいことをいって(して)いるということであり、だから奇跡が起き続けているのです。

正しいことをしていれば、その正しさを神が証明してくれるからです。その神の証明が奇跡として現れているからです。

如来の教えこそ正しいものであり、その正しいものを実践しているから、私たちには次々に奇跡が現れるのです。

いろいろなことをいう人がいますが、果たしてそれが正しいことなのでしょうか?その人のいうことに奇跡という裏付けがあるのでしょうか?

それがないのであれば、そういう人のいうことをそのまま信じてしまうのは危険でしょう。すでに間違った考えでいる人たちに次々に災いが現れているからです。

もう正しいことをしっかり理解しなければ自分の命が危ないのです。(これだけ多くの災いが日本中に起きていてまだそれが分かりませんか?)もっと現実をよく見たらどうでしょう。

そうすれば、正しいことが分かってくるからです。(そうして恐ろしいこともです。もう少し恐れてはどうでしょう。神の力をです)

その正しいことが分からなければどれだけ危ないことが起きてくるのか?

それをよく理解しないといけないのです。

追伸…こういう(恐ろしいこと)が次々に起きています。今やらなくていつやるのでしょう。

如来の教えの実践をです。

それに如来の教えが出ている時にしか、大きく世を変えることは出来ないのです。今この教えを知っている人たちが立ち上がらなくては、どちらにしても滅んで行くことになるでしょう。

そのような道しか今の人々には残されていないからです。(段々周りのものを搾り取られてです。影の世界政府によってです)

それを変えることが出来るのは、この如来の教えしかないのです。

少しずつでも結構です。協力してもらえませんか?一人だけではやりようがないからです。

少しずつでも力が結集するなら大きく世の中を変えることが出来ます。(神の力によってです)

少しずつでも神に従った方がよいと思います。私たちは生きている間だけではなく、死んだその先も神に従って(魂が)生きていくことになるからです。

0コメント

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。