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10月 20 2011

法を継ぐということ

10:43 AM ブログ

前回、夏のような暑さになったと書いたら、今回は関東だけずいぶん寒くなったようですね。昨日は東京が十一月中旬の気温になったとか、相変わらず極端な天気です。

その東京など、ホットスポットも次々と見つかり災難続きですね、東京も変な人いるから仕方ありませんね。(立川のオバちゃんですが、まーだメールよこしています〔笑〕興味がなくなったので読みもしませんが〔一つ、二つ読んだかな…相も変わらず内容は噴飯ものです、笑〕)これから東京は、こんな人いますので、少々おかしなことが続くかもしれません。(今日も東京だけ天気が悪いそうですが迷惑なことです)

このような現象を見ても、私は自分の祈りが次々にきかれている現在、改めて“法を継ぐ”ということの偉大さ大事さを思います。

私が四十日の断食をしていた時に観た夢(高橋先生から園頭先生へと受け継がれていた宝刀〔法灯〕を、私が受け取ることになったという夢です)は、やはり霊夢であり、このようなことが起きるということを暗示していた夢であった、と今改めて思います。

あまり自分のことは書きたくありませんが、自分のことをまったく書かないと、法を継いでいるといっても、一体コイツは何者なのか、とも思われてしまい、得体の知れない人間が法を継いでいるのか、と思われてもいけません。園頭先生が私にどのような態度を取られていたのか、少し書いておきましょう。

特別、自分をよく書くつもりもありませんが、だからといって自分を必要以上に低く書けば、それはすなわち高橋先生から園頭先生、そうして私にという形で受け継ぐことになった法灯(ブッダの法)の偉大さを貶めることになり、それは神をも貶めることになります。私と園頭先生との間に何があったのか、実際あったことなので、その事実を事実のままに書きます。(当然これから書くことは嘘ではありません、嘘などここに書けば、即、私の祈りはきかれなくなります。嘘などこのブログに書けるわけがないのです)

では、一体、私は誰であったのか、そのことを知っていたのは園頭先生がお一人でした。それは次のような園頭先生の取られた態度で分かります。

私は園頭先生が主宰される正法会(後に国際正法協会に改称)にいた時、何で園頭先生は私にこのような態度を取られるのであろう、と不思議でしたが、それも今このように私の祈りが、次々に現象化するということを思うと、園頭先生の取られていた態度の意味がよく分かります。園頭先生は私が過去世で誰であったのか、それをすでに知っていられたのでした。

私が正法会に入会し、一~二年過ぎた頃でしょうか、それまでは園頭先生はなんら私を気にするそぶりなど見せられなかったのですが、ある名古屋で行われた講演会の時でした。

その日、私は一人で園頭先生の講演会を聞きに行きました。その会場は金山にある名古屋市民会館(現、中京大学文化市民会館)でした。

園頭先生が講演を行われた場所は大ホールではなく、少し大きめの会議室のようなところで、百人前後の人が聞きにきていただけだったと思います。ですから園頭先生のお顔も近くでよく見れたのですが、その講演を聞いていた時、何か知りませんが園頭先生とよく目が合うのです。「?、園頭先生、今日はよくこっち見ていられるな」と思いながら、私はその講演を聞いておりました。

一時間ほどの講演が終わり休憩に入ったのですが(園頭先生のご講演は始めに一時間ほど講演され、そのあと休憩を挟み、また一時間ほど質疑応答の時間がありました)その休憩時間でのことです。講演会場の後ろに園頭先生の本が売っていて、多くの人がその本の売り場に集まっていました。私も園頭先生の本を一~二冊買おうと思い、その売り場で園頭先生の本を眺めていたのですが、フッと気がつくと園頭先生がこちらに歩いて来られます。

後ろを通ってしか外には出られないのですから、園頭先生は外に出ていかれようとしていたのだと思います。

「あっ園頭先生だ」と私は思いながら、先生の方をジッと見ていたのですが、その歩いて来られていた園頭先生が急に立ち止まられたのです。(それも私のすぐ横でです)

いや驚きましたね「ドキッ」として私は園頭先生のお顔を見ていました。(多分顔は引きつっていたと思いますが〔笑〕)すると、園頭先生も私の顔を驚いたようにジッと見ていられます。少しの間、私と園頭先生は顔を見合わせていました。「何で園頭先生、私の顔を見ていられるんだ…?」あせっていてよく意味が分かりませんでしたが、その時の園頭先生のお顔は今でもはっきり覚えています。不思議に思いましたが、私も「ハッ」と気づいて園頭先生に向かい少し頭を下げました、すると園頭先生も私に向かい少し頭を下げられました。

その後、すぐ横にいられた方が、園頭先生に話しかけられ園頭先生はその方と話し出されたので、私はその場を離れましたが、さすがにあの時はあせりました。「???何で園頭先生あんな態度をとられたんだろう」と、その時は不思議でしたが、タマタマだろうとさして気にも留めませんでした。

ところが、それからの園頭先生は講演のたびに私の方をジロジロ見られ、休憩時間には、わざわざ私の座っている横を素通りされて外に出て行かれる時もあって、明らかに私を意識しているようでした。

そのようなことが何度かあり、あの「ある人への手紙」を正法誌に書かれた時(私はちょうどその年の忘年会に初めて出席していましたので)あっこれは私だ、私に充てて書かれたのだ、と直感したのです。(あれは君に向けて書いたのだ、と私に言われた方もいました)

その園頭先生が書かれた通りのことが(日本の運命が変わる)今起きようとしています。(よく変わるか悪く変わるかは知りませんが)いずれにしても、これだけの異常現象が次々に起きているのです。もう日本に住む多くの人が考え方を変えないと日本は立ち行かなくなるでしょう、日本は変わらざるを得ないと思います。

その私が誰であったのか?例えば私が、どこかのバカ教祖のようにエル・バカターレだのアホターレだの言っても(こんな名ではなかったですか?)このブログを見ている人たちが引くだけでしょう。

私が誰であったのか、それはこれからでて来られる方々が知っています。その方々こそ本物の救世主であり、天の使いです。私は、その方々が出てこられた時に、法を説きやすいよう、法が拡がりやすいようにしているだけの、ただのその方々が来れられるのを伝えにきた者に過ぎません。

しかし、法を説く権限は与えられています。(だから祈ると様々な現象が起きるのです)法を継ぐ、ということは、それだけの権威と責任を神から与えられている、ということです。

これから法は大きく拡がって行くことになります。

私の過去世の名を知ることよりも、一人でも多くの方が法を知り、それを実践することの方が先なのではないでしょうか。

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