8月 08 2019
愛と調和
あいちトリエンナーレに脅迫文をFAXで送った犯人が逮捕されましたね。
トラックの運転手だそうですが、運転手といってもピンキリです。(普通の人から活動家からやくざまでいろいろいます)普通の人なら脅迫文など送らないでしょう。(それに善良な運転手ばかりならこれだけ減らないでしょうし……本当に最近はトラックが少ないです)
そこまで分かるかどうかは知りませんが、早く後のメールで脅迫した連中も捕まえてもらいたいものです。
また(市民団体と称する)活動家たちが、あの中止された展示を再開しろなどと騒いでいるからです。
ああいう連中など、いろいろなところから集まった市民団体とかいっていますが、実際は左翼の活動家なんですよね。もう分かり切っているのですから、はっきりいえばいいのにね。
テレビや新聞などもです。
そうはっきりいえないところに問題があるのでしょうが(苦笑)しかし、このような人たちはあちこちで問題を起こしていますが(沖縄の辺野古問題や北海道のアイヌ問題、あとは今回のような憲法問題や人権問題などなど)こういうことが正しいとでも思ってやっているのでしょうか?
だとしたらかわいそうですよね。こんな揉めまくるような不調和な問題など正しいことではないからです。
調和することこそ、正しいことであるからです。
その正反対のことをしているのです。これだけ神の心から遠い行いもありません。だから、かわいそうであるといっているのです。こういうことをし続けた人たちなど死ねば皆、地獄に堕ちるからです。
こういう活動家連中は、この世で反対闘争などし続け、死んだ後もまた地獄で反対闘争をし続けるのです。
そうして、そのことが悪いことであると自分で自覚してそれを反省出来るまで、地獄で苦しみながら闘争を続けるのです。
哀れといったらありません。だから、かわいそうだといっているのです。
この世で、そのような行いをしてどれだけ金が入るかそれは知りませんが(こういう人たちって、こういうことをして金をもらっているんですよね。金のためにやっているんですよね。世のため人のためみたいないい方はしていますが…揉めまくって何が世のため人のためでしょう)こういうことをすればするだけ(揉めれば揉めるだけ)深い地獄に堕ちて行かなければいけなくなるのです。
金のために地獄に堕ちていたら世話はありません。(それでは本末転倒でこの世に出て来た意味がなくなります。この世は金を儲けるためではなく、心の修行を重ねて人格を磨くため、生まれてきているからです)
そういう行いが間違いであると、そうして、愛と調和ある生活こそ正しいものであると(こういう人たちはまた愛がないのです。内輪揉めで平気で仲間たちを傷つけたり殺したりしますから)早くこのような人たちにも教えてあげたいのですが、何しろこちらは人手不足です。(苦笑)
こういう人たちをまとめて祈ってあげたいのですが(いってもきかないでしょうから。こういう人たちはです)なかなか、そちらまで手が回りません。
その結果が、このような不調和だけでなく、昨日など浅間山が噴火したようですが(ほんと地震や火山の噴火が止まりません)それだけではなく、次々に来襲する台風のような(九号は沖縄の石垣島やら宮古島を直撃する恐れがあり、十号は本州から四国辺りを直撃する恐れがあるようですが)天変地変までも呼んでいるのです。
このような心の人たちばかりでは災いしか現れて来ないからです。
愛と調和ある生活をするならば奇跡が現れてきます。
そのような生活に早く多くの人が目覚めてほしいものです。愛と調和ある生活こそ、人としての正しい、そうして幸せな生活であるからです。
(こういう活動家の人たちって、毎日が楽しくないでしょうね。〔闘争ばかりなんですからそれは楽しくないでしょう〕愛と調和の生活を行うなら、周りに奇跡が起きて来て、それは楽しく癒されます。〔このような人たちは心の中はもうズタボロでしょう。心が癒されることがないからです〕早く心を入れ替えたらどうでしょう。このような人たちは正しいことが何なのか、まだ分かっていないだけであるからです)



人目の訪問者です。

私の家族にしろ友人や職場の仲間たちに少し変化が出てきました。先ず義母なんですが私に義父の愚痴をこぼすようになってきたのです、きっと心の重みにたまらず私のところへきたのでしょう。その話を聞いていくうちに、義母が言うのです「私は思い通りにならないと気が済まない性分だから」と。結局は自分は我が強いと分かっているのだと知ることができました。そんな風に友人や職場の仲間も自己主張を投げ掛けてくることが垣間見るうになりました。みんな本当に自分のことをとことん通したいらしいてすが、何があってそうさせているのか疑問になります。しかし一方では、私も一人では生きられません。この方々が周りにいるお陰で、またこの方々の協調性があって日々を過ごせるのも事実なのです。ですからその報恩の行為として恩返しをしながら神と共に感謝していかなければならんと新たに心しました。
そういうものなのですね。
それをきいて、何でこの辺りの人たちは、こうも自分の我ばかり通しているのかよく分かりました。
人としての性分なんですね。しかし、人の性分とは自分の命さえも超えるものなのでしょうか?(この辺りはもう相当罰が当たっていますから)ほんと怖いですね。
この教えを勉強し出すと、そういうところが段々なくなって(なくなりますよね。ウナッシーさんもコメント内に書いていますが…何があってそうさせているのか疑問だとです)あまり自分の我を通したいとは思わなくなります。
そんな小さなことどちらでもいいからです。
周りと調和する方がよほど大事なことであるからです。(ただし、あまりに間違ったことで調和するということはあり得ませんが。そのように正しいことと正しくないことをはっきり区別するようになるということです)
だから、今一、何でこれだけ罰が当たっているのに、それでも自分の間違いを認めないのだろうと不思議でしたが、ウナッシーさんのコメントでその意味がよく分かりました。
この辺りは、その人の性分、丸出しの人が多いようです。(苦笑)
そんな小さな自分の我などさっさと捨てればいいものを、それがこの教えを実践していない人たちには出来ないのでしょう。
本当に小さく哀れな心ですが、そんなちゃちな考えを早く乗り越え、自分の間違いを素直に認めて、そうして私の意見に耳を傾けてもらいたいものです。
そうすれば、すべての人たちが救われて行くからです。