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9月 10 2019

天上界の思い

10:53 AM ブログ

首都圏はえらいことになりましたね。最強クラスの台風十五号が直撃したからです。

交通網がマヒしたのはもちろん、冠水被害はひどいし、停電はするし、記録的な暴風のため、木は倒れる。鉄塔は倒壊する。屋根は飛ばされる。看板は吹っ飛ぶ。工事用の足場も倒壊し、大きなゴルフ練習場のネットが強風で倒れ、そのネットをとめていた鉄の支柱が民家を直撃して、高波によって橋やコンクリートの堤防まで吹っ飛ばされたところがあったとか。

今回の台風十五号ではまたすさまじい被害が出ましたね。

それにしても今回の台風は勢力が強いだけではなかったようですね。なにか異様な台風であったようです。

実はこの台風、なんと上陸するまで、その勢力が発達を続けていたからです。

普通であるならです。日本に台風が近づいてくれば、その台風の勢力は段々落ちてくるものなのですが、しかし、この台風は、逆に日本に近づけば近づくだけ勢力が拡大していったそうです。

ちょっとゾッとする話ですが(こわっ、なんでこうなるの?って感じですよね)こういうことは異例だそうです。

これでは被害もひどくなるはずですが、なぜ、このようなことが起きたのかは、このブログを見ている人たちなら分かると思います。

もちろん、それだけ神が怒っているということです。

このまま、このブログを見ている人たちがボッーとし続けるなら、次は大地震が来そうですが、それでもよろしいのですか?

まあ、いいわけないのでしょうが、しかし、不思議な話ですよね。

何が不思議かって、不思議と一致しているんですよね。私の思いとウナッシーさんの大地震の夢がです。

私が、このブログを見ているすべての人たちを引き上げてほしいという気持ちになったのは、六~七日頃だったのです。

そうしてウナッシーさんは八日の朝に大地震の夢を観たようです。

何か考えが近くないですか。私の思いとウナッシーさんの夢がです。どちらにしても(不吉な話ですが)多くの人たちが死ぬということにはかわりがないからです。

同じような時期に、私には多くの人を引き上げるという思いが上がってきて、ウナッシーさんには多くの人が亡くなる(大地震の)夢を観たのです。

偶然にしては出来過ぎていませんか?同時期にあまりに似たような思いと夢を観ているからです。

仮にです。もし、これが天上界の思いであるならです。私たちを通して、そのことを多くの人たちに伝えたとも思えます。

だって普通はそんな思いなど出てこないはずであるからです。このブログを見ている人たちをすべて引き上げる、などという思いなどです。

それでは大勢の人を殺すといっているのと同じであるからです。

何で私がそんな発想をするのでしょう。(私は悪魔か。〔笑〕悪魔なら私の周りにたくさんいますから。〔苦笑〕)しかし、二、三日前からそういう思いが上がって来て仕方なかったのです。だから、そういう(恐ろしい)ことも書いたのです。

そうして、その同じ時期にウナッシーさんの夢がまたえぐいではないですか。大地震が起きてビルが倒壊し大勢の人たちが死んでいるような夢を観ているからです。

合いすぎていませんか?私の思いとウナッシーさんの夢がです。

だから思うのです。このような思いは天上界の思いではないのかとです。いま現在、天上界の思いを伝えることが出来るのは(正法神理を実践している)私たち二人しかいないからです。

だから、私たち二人を通して(一人だけでは、それが正しいかどうかよく分からないからです。二人に同じようなことが起きるから、それが正しいと分かるのです)天上界は、その思いを下界の人たちに伝えて来たのではないでしょうか。

今のまま心を変えないのであれば、多くの人たちを引き上げるということをです。そういうことを近いうちに行うということをです。

それを私たちを通して大勢の人たちに伝えているのです。

天上界がです。

そうでなければ、このような偶然などあり得ないと思うからです。

だとしたらもう、うんもすんもなく心を入れ替えてもらうしかないのです。このブログを見ている人たちがそのままの心であるなら、阪神大震災クラスの大地震が近いうちに起きかねないからです。(ウナッシーさんの夢が正夢になるということです)

だからやってもらうしかありませんが、しかし、このブログを見ている人たちは、きっとまた自分は関係ないとしらを切り通すのでしょうね。

仮にそのような大地震が起きてもです。

自分たちの心を変えるなど、考えもしないような人たちばかりのようであるからです。(ほんと、えらい人たちがこのブログを見ています)

では、どうするのか?という話にもなるでしょう。このままでは本当に大地震が起きるかもしれないからです。

だから、やるしかないのです。命を懸けてでもです。このブログを見ている人たちの心を変えるしかないのです。そうせねば、また多くの人たちの命がなくなるからです。(これまでもなくなってきたのですから、この後もまだそれは起きるでしょう。あまりに分からない人が多ければもっとひどいこともです)

それでどうなんですか?まだ、誰も心を変えようとはしませんか?このような事実を突きつけられてもです。

こんな話はつくり話でしょうか?私の想像の中の話でしかないのでしょうか?そんな話をまともにきけるか、ですか。(苦笑)

しかし、そんなおかしな話をしている私には次々に奇跡が起きています。その奇跡が根拠とはならないのでしょうか?私の話は正しいというです。

ここに書いていることが、今の天上界の思いであるのです。私に起きている奇跡が、その証明なのです。(奇跡は天上界が起こすからです)

もう理解していただけないでしょうか?天上界の思いをです。このままでは本当に危ないのです。

今週一杯は待ちます。布施してくれるのをです。(…まあ、また無駄になるかもしれませんが)

そのように心を変えてくれる人がいるのなら、ウナッシーさんの夢も正夢にはならないと思うからです。

しかし、また一人も布施をしてくれる人がいないのなら、そうであるならです。始めることにします。

「感謝も布施もしようとしない、このブログを見ているすべての人たちを引き上げてください」という祈りをです。

このブログを見ている人たちは(ウナッシーさんをのぞき)この十年、少しの礼儀もわきまえず、感謝も愛も出そうとせず、自分たちの本当の使命を果たそうとはしなかったからです。

ソロソロこちらも限界ですし、そういう人たちが、いつまでもこの世にいたところで時間の無駄です。それに他の人たちへの迷惑にもなります。あまりに罰当たりな態度を平然と続けているからです。

そんな罰当たりな人たちは、もう一変、やり直した方がいいのです。

だから、最後に、そういう人生は間違いであったと、如来の教えなどきけるなら、それほど稀有で貴重な体験はないのだから、しっかり感謝して布施をしなければいけなかったということを、ちゃんと知ってあの世に帰ってもらうために、そのような祈りをして、そうしてそのような現象が現れてくるなら(次々に引き上げられるようなです)そのような人たちにとって、これだけよい心の勉強もないと思うわけです。

だから、ここまできたらもうやるしかないでしょう。そのような祈りをです。それくらいのことをしない限り、このブログを見ている人たちは目を覚ますことはないと思うからです。

だからやるしかないのです。こちらも命を懸けて、そのような祈りをです。

当然、そんな無謀な祈りをするのですからこちらは命懸けになりますよね。だって、どんな人がこのブログを見ているのか知れないからです。

しかし、どれだけ危ない人たちがこのブログを見ていようと、そのような人たちを含めてすべての人を引き上げてくださいという祈りを、これから始めるといっているからです。

それではいつ誰に命を狙われるか知れませんが、しかし、死んでもやります。そうしないとこのブログを見ている人たちはいつまでたっても変わらないからです。

それに、そういう祈りをしたところでどれだけの人が変わるか分からないし、その祈りの通りの現象が現れても、それでも変わらない人もいるからです。(こちらなど、そういう人ばかりですから)

しかし、そういう(命懸けの)祈りをするのならです。変わる人もいるはずです。私は、このブログを見ている人たちで今の考えを少しでも変えてくれる人がいるのなら、そうして、私の考えに少しでも合わせてくれる人がいるのならです。

その人たちのために自分の命を捧げてもかまわないと思っているからです。

そのような人たちが(神のことを神とも思わなかった人たちが)少しでも神を思うようになってくれれば、自分の命も惜しくはないと思っているからです。

だから、今のような心の人たちが少しでも心を変えてくれるのなら、誰に狙われようが、誰から恨みを買おうが、それでもやろうと思っています。

このブログを見ている人たち全員を引き上げてほしいという祈りをです。今のままでは心を変えようとしない人たちばかりであるからです。

それでは、どれだけ不幸か分からないからです。如来の教えと出会っていながらです。

ということで、今週一杯待ちますが、それでも誰も感謝して布施してくれないというのであれば、来週の月曜日から「このブログを見ている人たちすべてを引き上げてください」という祈りを毎日することにします。(私はしつこいですよ。ずっと祈りますからね。だって、例えばまだ皇室を潰そうとしている人たちへの祈りなどもやめていないですからね。毎日のように祈っています。ほんとしつこいでしょう。そういうくだらない記事がなくなるまで祈ります)

ある程度の人から布施をもらえることが出来るようになるまでです。(それか、このブログを見ている人たちが激減するまでです。そういう祈りが本当にきかれてこのブログを見ている人たちが激減するかもしれないからです)

その祈りを止めたいのであれば、私を暗殺するくらいしか止められないと思うのですが、ただ、私を暗殺した場合です。

そのした人はもちろんですが、この日本自体が危なくなるかもしれません。(なにせ、ブログを半年くらい書かなかっただけで、この辺りのトラックが激減しましたから)そこまで理解して行ってください。

あとで失敗だったではすまなくなるかもしれないからです。(どちらにしても、私にそんなことをすれば完全に神を敵に回します。末代まで祟られますよ。〔笑〕)

誰がこのブログを見ているのか知りませんが、どれだけの有名人であろうと、どれだけの大金持ちであろうと、どれだけの権力者であろうとです。あるいはたとえ総理大臣であってもです。(そうして海外の人であろうとです)

そんなものは皆、この世の(この世だけの)ものであり、天上界から観たら何も関係ありません。(それに天上界に日本も他国もありません。すべてが一つの国なのです。地球国家ということです)

私が祈れば、そのようなことにかかわらず、皆、同じように現象は現されるでしょう。天上界が観るのは、その人の心のみであるからです。

もう、心を変えなければいけない時が来ています。それを無視することは、死を意味することになるかもしれないのです。

2コメント

2 コメント to “天上界の思い”

  1. ウナッシー2019/09/10 at 9:12 PM

    私も実は夢のコメントを載せてからブログを見たものですから、背筋がゾッとしました。だいたいは朝コメントを載せてから帰りの電車に揺られながらブログの内容を読んでいますからコメントのお言葉を拝読させて頂いてます。ですから私も今回のタイミングを奇跡としかお伝えできません。私など到底、及第点がもらえないレペルなのでせめて神への感謝を忘れずに日々過ごすのがやっとなのです。しかし、そんな私の最近あった奇跡と言えば夏のボーナスが他の仲間社員より評価が良かったことですかね。視覚障害の私はパート社員より仕事が出来ないのですよ、その私の評価が何故良いのか?それこそが奇跡としか言えませんね。もちろん上司が決めていることであり知るよしもありません。てすから、ただただ感謝する他の選択肢はないのです。この先もずっと、ずっと

  2. gtskokor2019/09/11 at 9:51 AM

    本当に私たちには奇跡が起き続けていますよね。
    ウナッシーさんのボーナスもそうだし、昨日でも私は名古屋港に行ったのですが、海に向かって呼びかけてしばらくすると、目の前の海が急にザワザワし出したのです。
    「ん」と思っていると凄い数の魚が水面に現れて来たようでした。水が汚くて分かりにくかったんですが(最近の名古屋港の海水はやたら汚いので)あちこちで魚がちょこちょこ跳ね始めたので「ああ、このザワザワしているの、みな魚だわ」と分かったのです。
    凄い数だったですよ。目の前の海一面の相当広い範囲がザワザワしていたからです。
    私なども(金は入って来ませんが。〔笑〕)こういう奇跡は頻繁に起きています。貴重だと思うんですけどね。こんな不思議な現象はです。金で買えるものではないからです。(こんなこといくら金を出しても起きないでしょう。他の人ではです)
    それに引き換え、例えばどこかの会社などまた今日も朝から同じことしています。何かでかい音を立てているのです。
    そうして、そのお返しが昼頃から現れてきて、それが夜まで続くというのがいつものパターンのようです。(夜まで社内で大騒ぎしていますから。まあ、大パニック中ですからね。この会社は)
    そういう悪いことをし続けているから、毎日悪いことが起き続けているのですが、どうしても自分たちが悪いとは認めたくないようで、どれだけ悪いことが起きても、嫌がらせをやめようとはしないのです。
    だから、そのお返しも毎日のように出て、毎日のように病気になる人がいるようです。
    だから、そのパターンをやめればいいだけの話なのですが、絶対にそれはしないようです。何度もいいますが、自分たちが悪いということを認めたくはないからです。
    しかしまあ、すさまじいまでの執念です。私は、そんなことより自分たちが病気になるのを止めた方がよほどいいと思うんですが、この人たちは、自分たちがどれだけ病気になっても、自分たちが悪いということを認める方がよほど嫌なようです。(考えられますか、ウナッシーさん)
    本当に哀れなんですが、まさに負の連鎖ですね。もう悪いことをやめるにやめれなくなっているようです。単に自分たちの意地を通すためだけにです。
    それだけ悪いことが起きるには、自分たちが起きるだけの行いをしているのですから、その行いを正すしか、その悪いことを止める方法はないのですが、頑として自分たちの(悪い)行いは変えない。
    それがより結果を悪くしているようです。(ほんと哀れという言葉しか出てきません)
    まあ、それはどこかの会社だけではなく、この辺りの大方の人たちがそのようです。
    自分たちのような(自己中な)考え方では、もういいことは起きて来ないのに(そういう時代になりましたから)悪いことが起きて来たら、それを私のせいにし続けているのです。
    それではいいことが起きてくるわけがないのですが、しかし、絶対に自分たちが悪いとは認めず、同じところを堂々巡りしているのがこの辺りの人たちのようです。
    本当に哀れなんですが(何度もいいますが、この言葉しか出てきません)早くこの辺りの人たちが、この教えの偉大さに気づいて、この教えを実践してもらいたいものです。
    それ以外で、救われる道はないからです。

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