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9月 12 2019

悪業(あくごう)

10:55 AM ブログ

しかし、自分たちの業から抜けるのは本当に難しそうですね。

昨日のウナッシーさんからのコメントにも書きましたが、この辺りの人たちは、どれだけ自分たちに病気が出ても、それでも自分たちが悪いとは絶対に認めず、罪を私に擦り付け意地を張り続けているからです。

これだけ悪いことがこの辺りにはたくさん起き、そうして、私には(悪いことなど全然起きずに)毎日のように奇跡が現れているというのにです。

それでも自分たちが間違っているとは絶対に認めず、私の正しさも奇跡も認めようとしない。

この辺りの人たちの、自分たちの間違いは絶対に認めない(そうしてよいことも認めない)という業(くせ)の強さは本当に特筆ものですね。

それではこれほどのひどいことも起きてくるわけです。相当ひどいですからね。そのような性格はです。(自分が気づいてないだけでです)

しかしまあ、私も昔はありましたよね。そういうところがです。

自分が間違っていると分かっても、なかなかそれを認めようとしないというところがです。

人間だれしも、そのようなけちくさいところはあるのでしょうが、しかし、私はこの教え(正法神理)を実践して行くうちに段々そういうところもなくなってきました。

自分が間違っていたと分かったら「あ、間違えた」とすぐに認めるようになったのです。

結局、全部、正しいもの(神の心)を勉強していると自分の悪いところが段々減っていくのです。その正しいものを基準とするようになるからです。

しかし、正しいことを知ろうとしないと、正しさの基準が分からない。すべて自分の判断、自分の考えが基準としかならないからです。

すると、悪いところは悪いままになるということがよくあるわけです。自分の性格のよい、悪いは、今生だけでつくられているものではないからです。

過去世からの自分の業の影響が非常に大きいからです。

そうすると、自分の判断だけでは、自分のよいところはドンドンよくなって行くのでしょうが、悪いところはなかなか直らない。その過去世からの業がじゃまをして悪いところを直すには、相当の努力が必要となるからです。

それだけ過去世からの悪業を直すということは、難しいものなのです。どれくらいの過去から自分が、そのような悪い業を持っているのか分からないからです。

その悪い業を持っていた期間が、長ければ長いだけ、直すのは困難であるからです。

この辺りの人たちが、自分が悪くても素直に自分が悪かったと認めることが出来ないという業などは、もう、相当前から(何世代もです)そのような悪癖があったのでしょう。

だから、これほどの現象が現れてきても、自分が悪いと認めることが出来ないのです。その性格は、相当長い間、自分の悪業となって残されていたものであるからです。

しかし、その悪業を直さなければいけない時が来ています。それを直さないともう命にもかかわってくるからです。

昨日も、どこかの会社などいろいろ起きていたようですが(今日も朝から凄い怒りようですから)そういう(自分たちの悪を絶対に認めないという)悪業を直さない限り、災いは止まらないのです。

しかしそれは、この辺りの人たちだけでもないでしょう。このブログを見ている人たちはほとんどの人が、同じような悪業を持っているのではないでしょうか。

そうでなければ、もう自分たちが悪いのは分かっているのです。

いい加減、布施してくれてもいいはずだからです。

しかし、感謝も布施も出来ないこのブログを見ている人たちをすべてを引き上げてほしい、という祈りを始めます、と書いても、それでもまだ誰一人布施しようとはしないからです。(ウナッシーさん、ほんとこの人たちいい根性しています。〔苦笑〕)

これもまた特筆ものですね。他の地域の人たちも同じように自分たちが悪いとは絶対に認めないようであるからです。(苦笑)

怖くはありませんか?私の祈りなどです。

しかし、自分たちが間違っているのなら、私がそのような祈りをするのなら、確実に天罰は現れてきます。どれだけその間違いを自分たちは認めなくても、自分たちが間違ったことをしているのなら天罰は食らうからです。

私の祈りは様々な奇跡を現し、雨を降らせ風を吹かせたこともあり、この辺りの多くの人たちはすでに病気にもなっているのです。

私もここまで腹を決めているのです。これ以上の無視などしない方がよいのではないでしょうか。何度もいいますが、悪いのは何もしようとしない、このブログを見ている人たちの方であるからです。

確かに布施は強制ではありません。

しかし、奇跡が起きる如来の教えを散々きいていながら、まったく感謝(何度もいいますが、感謝とは、感謝の心と報恩の行為がともなってはじめて感謝したというのです)しようとしないということは間違いなのです。

それほどの教えを知らされていて感謝しないでは、よいものをもらうだけもらって一銭も払わないのと同じであるからです。

そんなことをされれば誰でも怒ります。それは神も同じなのです。

なんで、これだけ如来の教えを知らされていながら、この者たちは少しも感謝しないのかと、神は(天は)それを言葉に出来ないため、現象として現すのです。

今回の台風十五号でもそれはよく分かったはずです。今回の台風被害は前代未聞のことであるからです。

そうではないでしょうか。こんな最強クラスの台風が首都圏に上陸するなどそうあることではありませんし、その台風でです。

あちこちに冠水被害が起きたのはもちろんですが、強風であらゆるものを飛ばしただけではなく、なんと電信柱までボキボキに折ってしまい、広範囲が停電になり、しかもその停電が、いつ復旧するのか分からないところまであるというのです。

こんなことこれまでありました?これだけひどい停電被害に遭ったなどということがです。

これまでは停電など起きても、一日、二日で復旧するところばかりでした。これまでこれだけ多くの電信柱や、その電線をつないでいる鉄塔まで(強風で)折れてしまったなどということはなかったからです。

しかし、これまで起きていないような災難が今回の台風で起きているのです。しかも、その台風の影響で九月というのに異様な暑さです。

それで電気が止まっているのですから、止まっているところはかないません。熱中症などで亡くなる人も当然出てくるわけです。

これまでの次々に起きる災いもそうですが(だから日本は災害列島などといわれるようになりました)今回の台風のように異様な運の悪さ、こういうことが起きるのです。

神をずっと怒らし続けているとです。

このブログを見ている人たちが、それをしているということです。如来の教えをきいていながら、少しも感謝しようとしないからです。

もう、このようなことを何度もいってきましたが、それをきいているすべての人たちが相も変わらず同じ態度をし続けています。

どれだけ、それではいけないという現象を神から起こされてもです。

それでも頑として、神の力を認めず、自分たちのスタイルを変えませんが、ソロソロ、そのような悪業から脱しませんか?(きくべきところはきく、理解するところは理解するという、素直で柔軟で広い心の自分に変わって行きませんか?ということです。神は存在するのですから神を素直に認めるしかないのです。もっと広い心になってです。心が狭いから神が分からないのです。神の力はあまりに巨大であるからです。小さな心で分かるわけがありません)

それをしないともう相当危ないからです。それはこの辺りの人たちが、それを教えているのです。(残念ではありますが、そういう証明になっています。この辺りの人たちは心が狭い人が多いからでしょう。だからいつまでも神が分からず天罰ばかり食らうのです。〔だから、この辺りの人でも私のいう神が分かる人はまだ心が広いということです〕)

自分にかかわらないことは(例えば、私に布施したところで金儲けになるわけでもないし、地位、名誉が得られるわけでもないとかです)関係ない、ではなしに(そういう狭い考えではなしに)神に関するよい話をきけた、これは得をした、ということで、少しくらいの感謝はしてはどうでしょう。

そういう心を現さない限り、神の怒りは収まらないからです。

いつまでも同じ心で、同じ間違いを繰り返しているようではあまりに進歩がありません。この世に生まれて来たのであればです。

そのような悪業を善業に変える、そのような努力は常にし続けないといけないのです。

そのような努力が自分の心を広げていくからです。

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