9月 22 2019
過ぎ越しの祭(すぎこしのまつり)
そういえば、台風十七号が来ているんですね。(それで沖縄や九州など大雨になっているとか)こちらに凄いことが起きているので、そこまで気が回りませんでした。
その台風も心配なんですが、こちらも心配ですね。皆、怒っているだけであるからです。
特にどこかの会社など昨日も、もう朝からすさまじい怒りようでした。止まらなくなっているんじゃないでしょうか。
コロッと逝くのがです。(恐)
本当に怒っているだけで大丈夫なんでしょうか?過ぎ越しの祭が始まったのかもしれないのにです。
だって、そんなにコロリと逝く人が出て来たのなら、そう考えてもおかしくはないですよね。それを他の人たちは理解していないだけなのです。
だいたい、神を信じようとしない人たちばかりです。過ぎ越しの祭など誰も理解するわけがありません。だから、こういう状況になっても、お前がしているとのんきに怒っているだけなんでしょう。まったく怖がりもせずにです。
もしかすると、三千年前に起きたすさまじい現象が再現されているかもしれないのにです。
まあ、どちらにしてもです。もう究極の天罰がくだり始めているのは確かなのです。(コロッと逝くなどもう究極の天罰でしょう。すぐにあの世に引き上げられているんですから)もう少し恐れたらどうでしょう。(多くの癌になる人も出ているのですから)
皆、全然怖がっていないからです。こんな現象が起きてきて何で怖がらないのでしょう。異常ですよね。そういう態度もです。
なにか怖がるのがカッコが悪いとでも思っているんでしょうか?現代の人たちはです。そういうことに(よく分からないものに)怖がるのは現代人ではないとか思ってです。
この科学の世に、神の力など存在するはずがないと、存在しないものを怖がるのはカッコが悪いとそう思ってです。
しかし、それは大間違いなのであり、科学などこの世のほんの一握りのことしか分かっていないのです。
例えば、科学は何でこの大宇宙がつくられたのか分からないし、この世にある物質の存在理由も分からない。この世の物質がなければ科学は何もつくれないし、その物質も光の集合体であるということは分かっても、その元である光のエネルギーとは何かということが分からない。
簡単にいえば、現在の科学などでは分からないことだらけなのであって(これが最先端科学の正体です)途中のことから(物質がすでにあった時点から)途中のことくらい(その物質には寿命があり、寿命が過ぎると様々な形に変化する)までしか分からないのです。
その分かる狭い範囲内のことを科学は詳しく分析しているだけで、この大宇宙のことも、この地球のことさえも、科学はほんの一部のことしか分かっていないのです。
それだけこの世のことは分からないことが多いのに、なんで、そんなこの世の一部のことしか分からない科学をそれだけ信じて、神の力を信じないのでしょう。
もうこれほどの恐ろしい現象がこの辺りには実際に現れているのにです。(日本全国を見てもそうですが)この辺りで起きていることなど、科学では何も説明できないのです。
この辺りで起きていることを、もし科学で説明できるなら、止めることも出来るはずであるからです。
しかし、この辺りで起きている恐ろしい現象を科学で止めることなど出来ないのです。
神の力は神の力で止めるしかないからです。
もし、三千年前の過ぎ越しの祭が再現されているのであればです。
あの時は、長子が滅ぼされ門口に子羊の血をぬれば、その家の長子は助かったのです。
今回は、私のブログを見続けていながら、一切、感謝も布施しようとしない人たちは滅ぼされ、感謝し布施する人は助かるのです。
お前のいうことなど信じられるか、という人もいるのでしょうが、三千年前はモーゼのいわれることを信じた人たちは救われ、逆らった人たちはみな地獄に堕ちました。
今回は、どうでしょう。私はモーゼではありませんが(そうしてモーゼほどではありませんが)モーゼ同様、次々に奇跡が現れています。
では、私のいうことを信じる人は救われ、逆らった人たちはみな地獄に堕ちるのではないでしょうか。
なぜなら、その私に現れている奇跡が、私のいっていることの正しさの証明なのであり、だから同じことが起きるのではないのかといっているのです。
この広大な大宇宙から見たら、そのほんの一部しか分かってない科学を信じるより、奇跡が起きている者のいうことを信じませんか?
その方がよほど幸せになれるからです。
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追伸…先ほどちょっと書きましたが、なにか現代の人たちは、訳の分からないものを怖がるのはカッコが悪いと、そんな神などというよく分からないものをなぜ怖がるのかと、そういう人は現代人ではなく、おかしな宗教にでも頼っている心の弱い人なのであると、そのくらいのことを思っている人が多いのではないでしょうか?
この辺りの人たち及び、このブログを見ている人たちはです。
だから、この辺り、これだけ危ないことが起きて来ても、その現象に対しほとんど怖がる人がいないのです。
そのようなおかしな定義と我だけは強い人が多いからです。
しかしそれが、大人から子供までとなるとまずいですよね。どれだけ不幸が増えるか知れないからです。そのような考え方は間違っているからです。
だからこれだけひどいことが起きているのです。そんな不遜な考え大間違いであるからです。(それだけ傲慢な考えもないのですが、分からないんでしょうか?その現代人と称している皆様方にはその間違いがです…私がよくいっていますが傲慢すぎて、その間違いが分からない。本当に哀れです。謙虚さのかけらもないばかりに自分たちの間違いが全然理解できないからです)
こちらで起き出した現象も相当危ないのですが(これで人が、次々にコロッと逝き出したらどうするんでしょう。そういう最悪の状況を考えている人いるんでしょうか?)台風十五号の被害がまだ終わらないうちに、今度は十七号が迫ってきているのです。
現在の日本はこんな不幸なことばかり起きています。このような日本の状況を見れば、いかにそのような(おかしな定義と我だけは強い間違った考えの)人たちが多いかということがよく分かるのです。
そういう人たちが多いから、日本はこれだけ不幸になっているからです。
しかし、よく考えてみてください。
これだけ悪いことが起きているのに、それでも自分たちの考えは間違っていないと、我を張り続けている人たちが本当にカッコいいのでしょうか?
先ほど書きましたが、訳の分からないものを怖がるのはカッコが悪いというのであればです。
では、自分たちにどれだけ悪いことが起きていても、それでも自分たちは悪くないと意地を通し、我を張り続けていることはカッコいいことなのでしょうか?
それでこれだけ不幸になる人が多いのにです。
私は、そのような人たち(自分たちにどれだけ悪いことが起きていても、自分は悪くないと我を張り続けている人たち)こそ本当にカッコが悪い人たちであり、訳の分からないものであろうとなかろうと、その起きていることを素直に認めて恐れるところは恐れ、頭を下げられる謙虚な人こそカッコいい人であると思うのですがどうでしょうか。
だって、自分たちに悪いことが起きてくるということは、自分たちが悪いことをしているから自分たちに悪いことが起きてくるのであり、それは少しまともな人なら誰だって分かるはずです。(こんなの小さな子供で分かります)
しかし、それを頑なに認めず、我を張り続けて意地を通し続けるなど、これだけ自分本位で小さな行いもないからです。
だとしたら、そんな人たちがカッコがいいわけがないのではないでしょうか。それだけ小さくて狭い行いを一生懸命続けているからです。
本当にカッコいいという人は、自分たちが悪いと思ったのなら、自分たちが悪いと素直に認めて、その悪いところをちゃんと直す心の広さを持った人なのであり、そのような広く大きく豊かな心を持った人こそ真にカッコいい人であるのです。
本当のカッコよさをいつまでも勘違いしているのではなく、真のカッコよさに早く目覚めてください。
そうすれば、これだけの不幸は起きて来ないからです。



人目の訪問者です。

私は家内とコミュニケーションをとる一つの手段として共通する好きなTVドラマを観ては、思ったことや感じた事を言っては共感してます。その中で気が付くと、私の話しにほとんど頷くし、私も家内の話しには同感することもあるのです。つまり、私の話が分かると言うことは神を思う心に通ずると言っても過言ではないと思うのです。なのに不思議ですね、日常の生活ではそれが生かされないのですね。それはきっとTVだと第三者の立場で凡ての事象が分かるからなのです。しかし実生活では自分を振り返る術を知らないのか分からないのか。折角、TVを見て様々なシーンでお互いの意見を交わしていることが生かされてないことを家内を通して分かりました。それは、いかに自分を振り返ることが難しいことかを教えられているようにも思えます。こんなに近くで神を思う心で会話を交わしている家内でさえ未だに気付かないのだから、私もよほど正しく進まないと簡単には神の道は開かれないと感じました。
それはお互いに我というものがあるからでしょう。自分たちのことになると、その我が意見の相違を生むのでしょう。
ウナッシーさんたちは平和そうでいいですね。
まあ、この教えを実践しているのですから、それはそうなんでしょう。しかし、こちらはもう殺伐としています。(みな怒っていますから)
同じこのブログを見ている人たちでも実践するかしないかで、ずいぶん違うようです。