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9月 26 2019

如来の教え

10:42 AM ブログ

なんか凄いですね。どこかの会社などです。(今日も朝から怒りまくりです。かなり無理して)

引きまくって遠くで怒りまくって、そうして電話が止まりません。もしかして家族中が滅ぼされているのではないでしょうか。

なんかそんな感じですよね。かかってくる電話にやたら怒っているのがいますから。(冷たい態度です。病気になっている家族がいるかもしれないのに、それに対し怒っているんですから。自分たちのせいでそうなっているのにです)とにかく凄そうです。

他もメチャクチャ怒っているところはある。やたら引き出したところはある。なんか皆さん活発になって来ましたね。

動きがです。(苦笑)

まさか、あちこちで出始めてませんか?コロッと逝く人がです。極端に怒っている人も多いからです。

もし、そうなら、もう究極の現象が現れてきたのです。(これ以上の恐ろしい現象はもうないからです。次々に人が死んでいくのですから)頭を下げるしかないんじゃないですか。

それだけの悪いことが自分たちに起きているということは、よほどの悪いことを自分たちはしているからです。

その起き出したすさまじい現象が自分たちの悪を証明しているからです。(もはや疑う余地はないでしょう。因果応報です。自分たちのしている行いが悪すぎるのです)

二、三日前にウナッシーさんが布施してくれました。

そのウナッシーさんには奇跡ばかりが起きています。もうマネをされたらどうでしょう。そうすれば(少なくとも)それだけ恐ろしい現象は現れてこないからです。

神が感謝して布施をしろといわれているのです。(如来の教えをきいているのだから)それを頑なに拒否しているから(それどころか嫌がらせまでしている)それほどの現象も現れてくるのです。

もう認めてはどうでしょう。自分たちが悪かったとです。

このブログを見ている多くの人たちは、あまりに神の心が分かっていないのです。

じゃあ、お前は分かっているのかといわれるなら、私が神の心を分かっていないのなら、これほどの奇跡は現れてきません。

もうききませんか?私のいうことをです。

そうすればこのようなすさまじい現象もおさまってくるからです。

いい加減、理解してください。稀有な如来の教えなどきけたのなら、感謝と報恩の行為は絶対に忘れてはならないとです。

その一番大事なことを多くの人は知らなかった。また知っても、そのことを頑なに認めようとはしなかった。

その結果が、これほどの神の怒りを呼んでいるのです。

別に無茶なことをいっているわけではないのです。(神は絶対に無茶なことなどいいませんから)このブログを見ている人たちは、せっかく如来の教えをきけたのです。

そうであるなら、素直に感謝して少しの布施(報恩の行為)くらいされることです。

そうすれば、すべて丸く収まるどころか、奇跡まで現れてくる人もいるからです。(こんなブログあると思いますか?実践すると奇跡が現れてくるなどというブログがです)

だから、それだけなのです。私のいっていることはです。こんな簡単なことを(しかし、重要)無視しているからいいことが起きて来ないのです。

それどころか、すさまじい現象まで現れてくるのです。

如来の教えとは私個人が書いているものではないからです。天から書かされているものであるからです。

だから、それを行えば奇跡も起きるし、書くのをじゃましている人たちや逆らい嫌がらせなどしてくる人たちには、次々に天罰も現れるのです。

如来の教えとは天の心を私が天に変わって書いているだけであるからです。

そのじゃまなどするなら天罰を食らうのは当然でしょう。天の心を世に表しているのをじゃましているからです。(こんな罰当たりな行いありませんから)

もうこれ以上の言葉もいらないでしょう。そういうことが(奇跡や天罰が)次々に起きているからです。

その起きている現象が、私のいっていることが嘘ではないという証明であるからです。

後はこのブログを見ている人たちが、少し反省してくださり、これから感謝と報恩の行為を忘れないでいてもらえればそれでいいのです。

しかし、どうしてもです。どうしても、そのようなものは認めないと(神も天も)そうして、何でブログを見ているだけで金など払わなければいけないのかと、そのような小さな自説を頑なに曲げないというのであればです。

そのような狭く小さな考えの人たちが、最後にはどうなるのかはもうお分かりであると思います。

そのような人たちは最後には滅ぼされるということです。(こちらはこれだけポンポン人が亡くなり始めているのです。そういうことはもう容易に想像できると思います)神に逆らい続けた人たちが、最後には滅ぼされるという話は歴史上よくきく話であるからです。

このまま、あまりに頑なな人たちばかりでは聖書に書かれてあることが(多くの人が滅ぼされたという)正しいということを、日本の人たちが証明することになります。

そのような悲惨な歴史を日本に残したくはありません。

これだけのことが起き始めたのです。もう神を認め、少しの感謝の布施くらい快くしてもらえないでしょうか?

このブログを見ている人たちはです。

如来の教えとは、そのようなものであると、そうするのが当たり前のことであると、これから多くの人たちが理解してもらえることを願ってやみません。(それが常識となることをです)

そうであるなら、いま起きていることをは決して無駄なことでも、無茶なことでもなかったと、本当の如来の教えを日本の人たちが知るためには、通らなければならなかった苦難の道であったと、思えるからです。

このブログを見ている人たちが少し心を変えるなら、大きく世の中は変わります。

その大きく世の中を変えるも変えないも、このブログを見ている人たちの心一つなのです。

追伸…昨日ニュースでいっていましたが、あのあいちトリエンナーレの中止された「表現の不自由展・その後」を、大村知事は再開を目指すそうですね。

愛知県の検証委員会の「条件が整い次第、すみやかに再開すべきである」という中間報告を受けてです。

へー、そうなんですか。あんなの芸術でも何でもない反日プロパガンダ以外の何ものでもないと私は思うんですが(どうせ、県の検証委員会も左翼の集まりなんでしょう)まあ、いいです。

もし、「表現の不自由展・その後」が再開するなら、その大村知事の判断が正しいのかどうかを、天に祈ることにします。

天に祈るなら、その正否がよく分かるからです。

私が祈るなら(それは正しい祈りですから)正しければ奇跡が、間違っているなら間違っているという現象が、大村知事に起きてくるはずであるからです。

よいことではないですか。知事に奇跡が起きてくるかもしれないからです。(本当に私は知事思いです。〔笑〕)

ただ、知事の判断が間違っていた場合、本当に切腹しないといけなくなるかもしれませんので、そこはお気をつけください。

(大村知事の判断が間違いなら、例えば腹に何か悪いものでも出来て、腹を切らなくては〔手術〕いけなくなるかもしれないし〔ネェ、切腹など簡単に出来るでしょう〕そういう悪い現象も現れるということです。それだけ知事の間違った判断は多くの人たちを狂わせるからです。〔最悪、大村知事もこの辺りの人たちみたいにコロッと逝っちゃったりして〕ついでに芸術監督の津田氏とか、検証委員会の人たちも祈ってあげましょうか。皆、同じ考えのようであるからです。〔笑〕)

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