>>ブログトップへ

10月 06 2019

この教えの偉大さ

10:57 AM ブログ

しかし、ほんと皆、怒っているだけですね。

たまには他の態度を取れませんか?今日も朝からやたら(ガンガンやって)怒っているバカがいましたし、昨日もアホみたいに怒っていた工事現場がありました。(そういえば、あそこは最近静かだったんですがどうしたんでしょう、急に……ま、まさか。〔汗〕)

この辺りは、そんな不遜な人ばかりです。これは大量死ですね。神をなめすぎです。

ほんと「少しはビビれよ」といいたいのですが、こんなことが起きているのにビビる人は皆無で、面白くないブログを書けば、大人から子供まで怒って嫌がらせしてくる連中ばかりです。

もう時は過ぎています。すさまじいことが起きなければいいのですが。罰当たりな態度が過ぎるからです。

しかし、ほんとこの辺りの人たちがもう少し謙虚で、私(のブログ)に感謝して、快く布施でもしてくれていたらと思うと返す返すも残念です。

そういう人が多ければ、これだけ悪いことは起きて来なかったでしょうし、もっと奇跡も起きていたからです。

しかし、傲慢(で狭量)な人たちばかりであったがため、癌になる人がドンドン増え、今度はコロッと逝く人まで出てきているというのに、それでもまだ傲慢な態度をやめようとしない。

もう私に逆らえば逆らうだけ悪いことが起きてくると分かり切っているのにです。

それでも自分たちの間違った態度は直そうとしない。ではもう、滅びるしかないのかもしれませんが、まあ、最後まで希望は捨てたくはありませんね。

一人でも二人でも、何とか反省してくれる人が出てくるのを願うばかりです。

他の地域の人たちも同じようなものなのでしょうか?すでに昨日書いた最後の祈りは始めているからです。(では、お気をつけて)

このまま私がこのブログを書けなくなれば(如来の教えを説けなくなれば)日本は終わりなんですが(だから、これほどのことも起きているのに)いい加減それを理解してほしいものです。

このブログを何年も前から見ている人たちはです。(そこは死んでも認めたくない人がこの辺りは多そうですが)

そんなこちらの状況もひどいんですが、香港のデモも段々ひどくなっていますね。

もうけが人だけではなく、死人まで出ているというではないですか。(表向きにはそんなこといわれていませんが)しかし、このままデモを続けて、それでこの先どうなるのでしょう。

こういうデモをどれだけ続けても、香港の人たちがいわれている自由を勝ち取ることなど出来ないと思うんですが、それどころか、このままではデモがドンドンひどくなって暴徒化し、そのうちに中国政府が軍隊を出してきて力ずくで鎮圧されるのではないでしょうか。

テレビのニュースなど観ていても、そのような悲惨な結末しか見えてこないからです。(また中国はそのような国ですし)

だから、デモなどしてはいけないのです。

デモなどいくらしてもききいれられないどころか、そのデモが激しくなればなるだけ、自分たちも危なくなるし、周りにも迷惑をかけるからです。

デモは平和的でいいといいますが、このようなデモのどこが平和的なんでしょう。まったく意味が分かりません。

イラクなどでも大規模なデモが行われているようですが、やはり多くの死傷者を出しているようです。

何でこんなことになるのでしょう。平和的なデモをしているはずなのにです。

要はやり方を間違えているのです。だから、これほどの悪い結果が現れるのです。間違ったやり方をしているからです。

じゃあ、正しいやり方とはどうやったらいいのか、どうしたら香港の人たちがいっている自由を正しく勝ち取ることが出来るのか?ということになりますが、そんな方法などないのでしょうか?

特に、あのような中国政府が相手ではです。民主政治など程遠い独裁国家であるからです。

しかし、そんな独裁国家であっても、いうことをきかすことが出来る正しい方法が一つだけありますよね。

このブログを見ている人たちならそれが分かるはずです。

もし、本気で香港の人たちが自由を正しく勝ち取りたいのであれば、この教えを正しく実践すればいいとです。(私たち以外はそれが分かりませんか。ねぇ、ウナッシーさん。〔笑〕)

残念ですね。この教えを香港の多くの人たちが知っているのなら、いうべきことを中国政府にいって、そうしてその後は、デモではなく皆で祈りをしていたはずであるからです。

そうしてそれが正しいやり方であるからです。

祈りであるなら、どれだけ多くの人が集まって祈ろうが、中国政府は取りしまりようがありません。

また、たくさんの人が集まってはいけないというのであれば、各個人で個々で祈ればいいのですから、止めようがないわけです。

しかし、多くの人たちが一斉に正しい祈りをするのであれば、その祈りはきかれます。

中国政府はその祈りに従うほかなくなるのです。

いくら独裁国家の中国とはいえ、正しい祈りをする人がたくさんいるのなら、その祈りの効果は絶大であるからです。

それはこの辺りで起きていることを知ってもらえれば分かると思います。この辺りは私一人で祈っているだけです。それでもこれほどのことが起きるのです。

では、数十万、数百万単位の人が一斉に(同じことを)祈ればどういうことが起きてくるでしょうか?(例えば、共産党の独裁政治をやめさせてほしいなどとです)

もし、そのような祈りを正しく出来るなら、下手すれば共産党独裁の中国政府を変えることも(潰すことも)可能なのです。(別に不可能じゃないでしょう。例えば、共産党の幹部連中がバタバタ亡くなっていったら、共産党独裁は出来なくなりますし、そういう過激なことが起こらなくても、内輪揉めして内部崩壊するとか、別の組織が出てきて独裁が出来なくなるとか、そういう様々なことが起こり、変わらざるを得なくなるということです。大勢の人が心を一つにして正しい祈りが出来ればです)

まあ、それは下手をしなくても可能なんですが、それを分かっている人たちが何もしようとしないのです。(このブログを見ている人たち)

それでは世の中は悪いままでしょう。正しく世の中を変えられる方法を知っている人たちが沈黙を続けているからです。(この教えを他の人々に教えないということはそういうことだからです)

それで、香港の人たちを救えだの、応援しろだのいくらいったところで、香港の人たちは救えないし、応援にもならないのです。口だけではどうにもならないからです。

香港が中国共産党の支配下に置かれれば、次は台湾で、その次は日本も危ないといわれています。

日本はアメリカがいるから大丈夫であると能天気な人たちはいうのでしょうが、自分たちでしっかり安全保障も出来ない国をどこまでアメリカが守ってくれるでしょう。

何でもそうですが他力本願ではダメなのです。それではどこかで失敗するのです。

自力本願が正しいからです。

日本は安全保障をもっと考えろといっても、では、財源はどうするのだとか(いや日本国民の命が危ないというのに財源って……)軍国主義の復活だとか、まったく的外れなことをいう人が日本は多いので、そういう人たちとどれだけ議論を重ねたところで時間の無駄でしょう。

どれだけ議論しても決まらないからです。そういうことをいう人たちがどちらも多ければです。

これが民主主義の弱点なのですが、しかし、正しい祈りはただです。

財源はいらないし軍国主義の復活にもなりません。また、このようなことを平気でいう能天気な人たちの変わるきっかけもつくれます。

正しい祈りをするならです。(そういう能天気な人たちを祈れば、その人たちに様々な現象が現れてです)

本当の神の教えは、如来の教えというものは、万能なのであり、このような様々な問題も解決する力があるのです。(だから、この教えが拡がることは心がよくなるだけではなく、安全保障の問題までも解決出来るということです。それは特別、外国勢力だけではなく天変地変も抑えることが出来るからです。この教えが拡がるなら日本国内はドンドン安全になるのです)

それこそが神の力であるからです。

これほどの事実がすでに分かっているにもかかわらず(もう分かっていますよね。こんなことはです。こんなこと何度も何度もこのブログに書いているからです)このブログを見ている人たちは、この教えの偉大さをいつまでたっても認めようとしません。

だから、悪いことばかりが起きるのです。

その大きな(大変な)間違いをコロッと逝く前に気づいてほしいものです。

(これでは災いも起こりますよねえ。〔自分にも、そうして日本にもです〕日本だけではなく世界を救える教えがここにあるというのに、このブログを見ている人たちが、その偉大な教えを無視し続けているからです。何度もいいますが、それだけ罰当たりな態度もないのです)

追伸…あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の再開はいつになるのでしょうか?

今日はもちろん無理で、八日も難しいかもしれないみたいなことが中日新聞に書かれてありました。

早くしてくれないと、いつこちらはポックリ逝くか分かりません。(なにせ、もう最後の祈りを一生懸命していますから)もし、私がポックリ逝くようなら、皆さん方が。

皆さん方が次々にポックリ逝くようなら(どうせ誰も布施などしようとはしないでしょうから)私が。

責任もって祈りましょう。

このような芸術とは名ばかりの反日プロパガンダの再開を目指している左翼連中をです。

こういう連中を一網打尽に出来るまたとないチャンスであるからです。(何かかまってこないと祈るチャンスも生まれませんから)

1コメント

1コメント to “この教えの偉大さ”

  1. ウナッシー2019/10/08 at 6:56 AM

    私のこれまでの間違いは、神へ感謝、感謝と言いながら実生活では人に心を寄せていた、そういうことであったのです。それに気付き反省と感謝を通して日常を振り返ると、私の変わった態度に反応した方も少からずです。無理もないですね、これまでの生き方が反省のその日を境に変わるのですから。しかし、私の心は頑なにこれで良いものと受け止めこれまでの間違えをその都度反省をする、そなような生活にに変わってきてます。全ては神の慈愛があってのことと今も感謝しつつ一日のスタートをきっています、

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。