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10月 10 2019

無理をするなら

11:04 AM ブログ

さすがに昨日はほとんどの人がドン引きしていましたね。いつもよりぐっと少なかったですね。嫌がらせをして来た人もです。(トラックを含めてです)

婆さんの急死がよほどきいたんでしょうが、そんなことまで起きているのです。こんなこと偶然で起きるわけがないのですから(もう完全に引き上げられていますよね。多くの人があの世実在界にです)反省して私に従ってはどうでしょう。

そうしないともう危なくて仕方ないからです。(多くの災いだけでなく、これだけ次々に引き上げられてはです)しかし、この正法神理に従うならば災いからは逃れ奇跡も起きてくるからです。

それにしてもずいぶん多くの人がこのブログを見ているものです。みな同じような態度を取ってくるので本当にそれがよく分かります。

何でこんなに多くの人が私のブログを見ているくせに誰一人感謝しないんでしょう。これではいいことが起きるわけがないのです。

それなのに、そんな自分たちの態度はまったく反省しようとせず、まだ怒って嫌がらせをしてくる人がいますが、急死した婆さんもそうでした。

横のどこかの会社にドンドンコロッと逝く人が出ているにもかかわらず、それを知りながら平気で私に嫌がらせをして来ていたのです。

そうしたら自分もコロッと逝ってしまったというのですから、本当に気の毒なものです。これだけ哀れな人生の最後もないからです。(そういえば、コロッと逝く人が出ているところって、みな私に嫌がらせを特にひどくしているところばかりですね。〔トラックの運転手連中もそうだし〕ほんと恐ろしいことです)

怖いくせに何でそんな意地を張らなければいけなかったのでしょう。

もうこちらでは止めようがないのです。自分たちが勝手に悪いことを私に対し進んでしてくるからです。

それでは悪いことは止まらないのです。ドンドンひどいことが起きてくるのです。

何でもっとよいことをしなかったのでしょう。この婆さんが私によいことをしていればこんな最後にはならなかったのにです。

どうせ無理をするならです。よい方に無理をすることです。(悪い方ではなくです)そうすれば、それだけよいことも起きてくるからです。

この婆さんも、私を嫌っていたので仕方ないのですが、しかし、私に心を救われたのは事実なのであり、では、少しくらい感謝して無理をしてでも布施くらいすればよかったのです。

この婆さんがあまりお金がなかったということは、その生活ぶりからもよく分かるのですが(前のアパートもおんぼろだし)それでもです。それでもするべきだったのです。私に布施をです。

どれだけ少ない金額でもよかったからです。

如来の教えを説いている者への布施はそれほど価値ある行いであるからです。それだけ神を喜ばせる行為もないからです。

高橋信次先生のご著書である「人間・釈迦」に次のような場面が書かれてあります。その場面とは、釈尊(ゴーダマ・シッタルダ―)が出家され、まだ悟られる前に托鉢していた時のことです。

<ある時、ふと一軒の粗末な家の前に立ってしまった。家の中は静かであった。家が小さいので軒先に立つと家の中までまる見えであった。視線を中に移すと、家の主人らしき人がムシロの上に横になっていた。長いことわずらっているのであろう。体はやせ細り静かに天井を見上げている。その父親らしき男の寝ている前で五人ほど、子供が車座になって、土間にじかに座っていた。髪を乱した母親らしき女が、その一人一人の子供に、わずかばかりの粥を配っていた。一見して、家の生活が分かった。ゴーダマは、きびすを返し立ち去ろうとした時「誰か来たー」と、子供の一人が叫んだ。その声に、つい立ち止まってしまった。母親らしき女は、粥を配っていた手をやすめ、ゴーダマ・シッタルダーの姿をしげしげとながめると、彼の前に進みより、自分の分として残したわずかな粥だが、よかったら食べてほしいと差し出したのであった。家の中は薄暗いのでよくみえなかったが、軒先まで出て来た女を見ると、衣服は垢でよごれ、乱れた髪はホコリをかぶり、赤茶けていた。日焼けした顔には生活苦がにじみ出ていたが、眼だけは、美しく、澄んでいた。

ゴーダマは軽く会釈し

「ありがとうございます。あなたのそのお心だけで十分です。心からあなたのお志に感謝いたします」と、いった。

だが女は、顔を横にふり、一口でもいいから食べてほしいと願うのだった。

ゴーダマは思った。もし、このまま立ち去れば、女の厚意を無にすることになろう。一口の粥でもいいから食べてほしいというその気持ちは、欲得を離れた彼女の現在の信仰心を形の上に現す最大限のものであったにちがいない。供養の布施に自分の身を削っても差し出す女の気持ちに、家の中の生活も、病人も、子供たちの姿も、眼にはいらなかった。ゴーダマは、出された粥を軒先に立ったまま、手につまみ、一口、二口、口にした。

……こわばっていた彼女の顔は、ほころんだ。

ゴーダマも、微笑した。

彼は、深々と一礼してから、その場を去った。そしてその日は、まっすぐに山中に戻った。戻ってから最前の、あの彼女の布施の行為に対して、あらためて考えさせられるのであった。心の通った布施というものは、人の心を感動させる。新しい勇気を起こさせる。邪心を払い、生まれたばかりの、赤子のような心に立ち返らせてくれるものであった。人間が、赤子のような心で、それぞれが調和され、助け合うことが出来れば、この世はそのまま仏国土になるはずであった。人々の悲しみを取りのぞき、喜びをわかち合う。こうした環境、そうした心こそ、人間本来の姿ではないだろか>

以上、高橋先生のご著書「人間・釈迦」より抜粋したのですが、こういう心が大事であるということです。

ここに出て来た釈尊に一口の粥を布施された女性のような心であるなら、災いが起きてくることもなければ、悲惨な最期を迎えることもないのです。

この世の幸不幸は、物があるかないかではないからです。

勇気もなく(自分を変えるです)邪心にまみれた不純な心の持ち主では、どれだけ物を持っていても、この世の幸福も得られなければ(物があることが幸福ではありませんから。心の安らぎこそ本当の幸福であるからです)死後の世界も地獄であるということです。

だから無理して嫌がらせをしていて(自分を変えないでいて)一体それが何になるのでしょう。そういう行いは、自分たちの生活苦の無理をしてでも釈尊(ゴーダマ・シッタルダー)に布施された、先ほどの女性とはあまりの違いなのではないでしょうか。

それでは悪いことしか起きてこないのです。何もいいことをしていないからです。そのような態度は自分自身をも貶(おとし)める、最悪の行いでしかないからです。

そういう成長しない人が多いから日本はこのようになっているのです。よい方に無理をする人が少ないからです。(それでは心の成長もありません)

みな悪い方にしか無理をしないのです。それではよいこと起きてくるわけがありません。その行いが自分自身に返ってきているのです。(そういう人が多いから日本中に悪いことが起きているのです。日本中にいる悪いことをしている人の、その悪いことが全部日本に返ってきてです)

どうせ無理をするならです。よい方にすることです。そうすればよいことどころか、奇跡が次々に起きてくるからです。

何で私には奇跡ばかりが起きてくるのですか?無理をしてでも、よいことをし続けているからです。

だから、多くの奇跡が現れてくるのです。よい方での無理は、すればするほど器も広がり徳にもなるからです。

何度もいいますが、どうせ無理をするなら、悪い方にではなくよい方にすることです。

そうすれば自分ばかりでなく周りも救われて行くからです。

そうしてそれが、人間本来の生き方であるからです。

追伸…それにしても参りましたね。このブログを見ている人たちがピクッとも動こうとしないため(よいことをしようとしないため)ドンドン悪い方に変わっていきますね。

今年最大最強の台風十九号がです。(だって、勢力を落とさないまま直撃するとか、都心直撃の恐れが出て来たとか、天気予報でいっていることが段々悪くなっていますから)

先ほどもブログで書きましたが、少々の無理をしてでも(そんな無理なことをしてくれといっているわけではないのですけどね)よいことをしてくれませんか?

私に対してです。そうすればこの台風を何とかする(勢力を弱める)ことも出来るからです。

このブログを見ている人たちが不幸になってもです。それは自業自得だろうと思いますが、こんな台風がそのまま直撃したらです。どれだけ多くの人たちが不幸になるのか知れないのです。(こんなでかいのが直撃したらこちらも危ないですし)

そういう人たちのためにも、少しくらいの善行を行ってはどうでしょう。その善行が自分も救い人をも救うことになるからです。

それにこのままこのブログを見ている人たちの大人が頑張るなら(無視し続けるなら)子供も可愛そうです。子供たちまで不幸になって行くからです。そのような(バカな)大人たちのマネをしてです。(不幸になっている大人たちのマネをすれば自分たちも不幸になりますから)

これほどの現象が現れて来たということは(こんな最強の台風が迫ってきたり、この辺りなど次々に引き上げられる人が出てきたりしだしたということは)もう神の怒りも限界が近づいて来ているということです。

そうでなければ、これほどの恐ろしい現象も現れて来ないからです。

もう、神を恐れ、私のいうことに従ってください。そうしなければどれだけ多くの人が不幸になるのか知れないからです。(実際そうでしょう。私のいうことに逆らっている人たちがドンドン不幸になっているのです。従っている人にはちゃんと奇跡が起きているからです。何でこういう事実をいつまでも認めないのでしょう)

こちらでは次々に人が引き上げられ(死んでいき)最大最強の台風まで迫って来ています。

如来の教えに対し、無理をしてでも、報恩の行為を行ってください。そうすれば道は開けてくるからです。

(なんかこんなこといくら書いても無駄にしか思えなくなってきましたが〔ほんと空虚な気持ちで書いています〕しかし、私が諦めてしまってはそこで終わりです。〔日本がです〕どれだけ無視され続けても書くしかありませんね。実際、ドンドン不幸なことが起きているのは事実であるからです。それをそのままにはしておけないからです)

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