10月 18 2019
次々に現れる恐ろしい現象
昨日のことです。
夕方、家に帰ってくると向こうの方からガンガン音がして来たのです。「ん」と思ってその音がしている方を見ると、その音はどこかの会社の次にコロッと逝く人が出た会社からでした。
すぐにピンときました。それで「どうした。またコロッと逝ったのか」ときくと凄い怒りようです。
それで、どこかの会社の方を向いて「あいつらまたコロッと逝くのが出たって」などと、もう大きな声でそんなこといっているものですから、周りはドン引きです。
どこかの会社だけでした。同じように怒っていたのはです。
しかし、あの会社はまた出たんですね。コロッと逝く人がです。ここはもう本当に次から次に出ているようなんですが、実は昨日はです。
ナゴヤ球場の方まで歩きながら辻説法をしに行ったのです。(昨日はナゴヤ球場で、中日の選手たちが練習していたようで、屋内練習場からカーンカーンというボールを打つ音がきこえてきていました。それで屋内練習場の外から「中日の選手の皆さん。ブログ代を布施した方がいいです」と声をかけたのですが無視されました。〔苦笑〕)
そうしたらです。そのナゴヤ球場のすぐ近くにある会社も私が近くを歩いていたらガンガンやってきたのです。その会社は、私が歩いていると前からよく嫌がらせをして来たところなんですが、昨日は何か怒り方が違っていました。
それで、まさかとは思いましたが「コロッと逝くのが出たのか?」ときいたのです。そうしたら、その会社もそうきいたとたん「シーン」となってしまったではないですか。
『おいおい、同じ態度を取るなよ、怖いだろうが』と思いつつ「えー、ほんとに出たのか。大丈夫か」とか声をかけていたんですが、そこももう怒りまくりです。
私が何をいってもきこうとしないのです。
こんなことが起きていて怖くはないのでしょうか?それともパニくっているのでしょうか?
よく分かりませんがほんと不思議ですね。この辺りの連中は、こんな恐ろしいことが次々に起きているのに怒っているだけだからです。
私ならこんなことが起きてくるなら怖くて仕方ないのですが(まあ、今は正法神理を実践しているので怖くはありませんが)よくこれだけ災いばかりが起きている縁起の悪い人たちが、こんなことが次々に起きているのに怒っているだけで、同じ態度を取り続けているなと、怖くはないのかなと、少々驚いています。
もしこのような現象が怖ければ、少しは態度を変えるはずであるからです。
そんなことが起きているのに同じ態度を取り続けていれば、同じことが起きてくるのは誰にでも分かるはずであるからです。
それとも、そういうことがこの辺りの人たちは分からないのでしょうか?
だとしたらよほどのバカなんですが、それが分かっているのにです。無理して同じような(嫌がらせをやめようとしない)態度を取り続けているのであればです。
そのような態度はもうやめた方がいいと思います。そのような神の業を(本当は怖いのにです)恐れようとしない傲慢な態度は、よけい神を怒らせるからです。
そうなると、よけいそのような恐ろしい現象は現れてくるからです。
ナゴヤ球場の近くの会社は知りませんが、昨日、家に帰ると怒っていたところなど私が出て行く時は、それほど怒っていなかったのです。(出て行った時は、その会社の近くを通りましたがそれほど怒っていませんでした。まあ、普通に音を立てられ嫌がらせみたいなことをされただけでした。〔苦笑〕)
ということは、その時はまだコロッと逝く人が出ていなかったんですよね。その会社にはです。すでに出ていたのなら普通の状態ではいないはずであるからです。
では、その後(私が出て行ったのが午後の二時過ぎで帰って来たのが六時前でしたので、その間に)コロッと逝く人が出たということになります。
それはそれで怖いですよね。昼間にコロッと逝く人が出るのもです。
だって、例えば仕事中、静かだなと思っていたら死んでいたとか、トイレに行って帰ってこないと思ったらトイレの中で死んでいたとか、そういうことも起きるかもしれないからです。(というか、すでに起きていたりして。〔怖〕)
まあ、如来の教えを説いている者に逆らい続けているとそういうことも起きるでしょう。このようなことが起きてきた人たちなど、私に逆らいまくっている人たちばかりであるからです。(ということは、神に逆らい続けているということですから)
しかし、こういうことが起きて来て(しかも次々に)私のいうことをきかなくて本当に大丈夫なんでしょうか?
ドンドンそういう人が(コロッと逝く人が昼夜かまわずに)出だしたらどうするのでしょう。
これからそういうことも起きかねないからです。
まあ、しかし、神を信じない人たちはそういうことが起き出しても(すでに起きていますが)あまり怖さを感じないのかもしれませんね。
すべて偶然で(あるいはお前のせいで)かたずければそれで終わりであるからです。
それ以上深く考えないのです。
どれだけそのような恐ろしいことが起きても、たまたまで終わらせればそれほど怖くはないからです。
ずいぶん恐ろしい話なんですが、では、それは他の人たちも同じなんでしょうか?
十九号のような台風が来たのも偶然なら、その後、ドンドン天気が悪くなっていくのも偶然(これから雨がずいぶん降るみたいですね。二、三日前の予想以上にです)すべて偶然だから、それ以上は考えない。それ以上は見ない。
だから神など存在しないと「見ざる・聞かざる・言わざる」みたいなことを、まだまだこれからも続けていくつもりなんですか?
このブログを(ただで)見ている多くの人たちはです。
そんな態度を続けていればです。そのうちに、こちらの人たちは周りの人がコロコロ逝ってしまい「そして誰もいなくなった」になってしまうかもしれないし、十九号の被災地など見ないようにしていればです。
もう復興など不可能になってしまうかもしれないのです。
このまま大雨が続けば(多分続くでしょう。また来週も雨になる〔しかも火曜日などずいぶん降るような〕予想が出ていますから)広域な被災地の多くは復興どころではなくなるからです。
そんなに雨など降れば二次被害の方がよほど心配になるからです。
そういう状況が長く続くけばどうなりますか?
そんな状況が長く続けば、そのような広域な地域での復興は不可能になるということです。
では、どういうことが日本に起きるでしょうか?
簡単な話です。そんな(関東から東北にかけての)広域な地域の復興が不可能になるなら、日本は滅んで行くということです。
とにかくです。どれだけ政治がよくても、経済がよくても(全然よくありませんが)次々に災いが起きていては、そんな国は滅んで行くということです。
その災いを止めない限り、その国の復興、復活はあり得ないということです。
では、災いはどうしたら止まるんですか?
それは神に頼るほかないのです。
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追伸…来週の月曜日(十月二十一日)から寄付金募集をしている口座の店番号が変わります。(460から763にです)そこは振込みされる時にお間違いのないようお願いします。
前の店番号では振込みできないからです。
といっても、このブログを見ている人たちは関係ありませんか。ウナッシーさん以外はです。(苦笑)
ホームページ変更はすぐに出来ません。(お金がないので)もしまた布施をしていただけるなら、そこはお間違いのないようお願いします。ウナッシーさん。(笑)
もうこちらは飯にも事欠く状態ですが(もうあまり母に金を借りることも出来ませんので)しかし、布施以外では生活するわけにはいきません。(天にもそのようにいわれていますし)
餓死してもこの生活を変える気はありません。如来の教えを説いている者は布施をもらって生活して行く、それが基本であるからです。(釈尊しかり、キリストしかりです)
しかし、如来の教えを説いている私がこれだけ苦しい生活をし続けているのです。それは神も怒るでしょう。
如来の教えを説いている者は多くの人の心を救っているのですから、生活に困っているようでは神が困るからです。(それでは如来の教えを拡げることが出来ませんので)
如来の教えを説いている者が、そのような苦しい生活を続けているということは、それはきいている者たちの失態ということで(きいている人がいないというなら、それは説いている者の失態なんでしょうが〔法を拡げようとしなかったということで〕きいている者たちがいるのに、それでも生活に困るというのであればです。それはきいている者たちが感謝も何もしないからいけないということになりますので)それで神も怒るわけです。
当然でしょう。だから、このようなこと(すさまじい災い)も起きているわけです。
あまりにも長い間、如来の教えをきいている多くの者たちが、一つの感謝もしようとしなかったからです。
このままでは私も滅びますが、日本も滅びます。
それでも反省などしようとは思いませんか、このブログをただで見ている人たちはです。
そうであるなら『必ず日本は滅ぶ』と、そういう予言だけは残しておきましょう。
超がつくほどの罰当たりな人たちにです。
すでに、その気配は十分出ているからです。



人目の訪問者です。

店番を確認致しましたので間違いのないようにします。さて、近況ですが、仕事やプライベートにおいて私自身の身に降りかかることがあると、以前では気にかけなかった些細なことも、何故だろうと自問自答することが多くなっていることに気付きました。それは、決して自分がどう見られているか傍目を気に掛けているのではなく、神はその事を通して何を示されているのか、といった事なのです。例えば以前であればそんな場面では、心底突き落とされていたのですが、今では今ではどんな場面でも、どこか心に余裕があり何か自分に歓びを感じる物があり冷静になれるところがあるのです。そのように常に自分を変える機会が増していることを大事にして過ごしています。
八正道の正見ですね。第三者の立場に立って自分自身を正しく見るですか。それでよろしいかと思います。
それにしてものこのブログを見ている他の人たちは、そういうことが全然できないようです。
その結果、次々に悪いことが起きているようです。本当に哀れです。