11月 10 2019
一点
もう凄いみたいですね。どうするんですかね。どこかの会社などです。
昨日でも朝から「カーン」とかしてましたからね。(なんか今日も朝から〔誰か来ているようです〕そんなことしていますが、ドンドン出ていませんか?逝っちゃう人がです。〔汗〕)そうして、嫌がらせをしたくてもしているそばから何か現れて来ているようで、少し嫌がらせを始めるとすぐに電話がかかって来て、何か起きて、それでドン引きしていたようです。
昨日は洗濯(コインランドリー)に行ったんですが、その辺りの人たちもずいぶん引いていましたね。先週、行った時とは全然違いました。
先週は逆にずいぶん怒っている人が多かったからです。
昨日でも怒って嫌がらせをしてくる人はいましたが、そういう人たちに、今日もう何か起きているのではないかと心配ですね。近所の人たちを見ていると次々に何か起きて来ているようであるからです。(どこかの会社などその典型ですが)
この辺りの人たちなど、神のことをこれだけ教えてもらい、心も救ってもらって、そうして神の業まで見せてもらっているのに感謝するどころか嫌がらせをしてくるのです。
そこまでメチャクチャなことをしていてはよいことが起きてくるわけがない。それだけ人の道から外れた行為もないからです。
それをどれだけいっても認めませんが、そのようなデタラメな行為を反省しない限り、災いは止まりません。もうずいぶんひどいことがドンドン起きて来ています。
それを止めるには反省し行いを変えるしかないのです。(だから布施しろといっているのです。この辺りの人たちはもう布施する以外、災いを止める方法はないからです)
しかし、昔の人ならです。コロッと逝く現象まで現れて来ているのですから、もうそれだけで「へへー、自分が悪うございました」ということになるのですが、現代の人たちは、次々に天変地変が現れ、こちらにはこれだけの現象まで現れて来ているにもかかわらず、まったく反省しようとしません。
傲慢というにもほどがあると思うんですが、このような神の業の(天罰の)恐ろしさが全然理解出来ないのでしょうか。
現代の神を信じようとしない人たちはです。
だとしたら、ずいぶん恐ろしい話です。天罰が次々に現れていても、その偉大さや凄さ、そうして自分たちの大間違いがまるで分らないということだからです。
台風十五号、十九号(十号もありましたが)そうして二十一号に伴う記録的豪雨、そういうすさまじい天変地変が起きている最中でも、こちらではコロッと逝く人が次々に出ていたのです。
分かりますか?いっている意味がです。これだけすさまじい天罰が同時に起きていて怖くはないのですか?といっているのです。(女子供など少しは怖がれといいたいです。メチャメチャ危ないことが起きているからです)
そうして、これだけの天罰を一変に食らっていて、それでも反省しないのですか?といっているのです。(少しは反省しろ、自分たちがすべて悪いのだから、といいたいです。実際そうだからです)
こういうことを、もう、ただの自然現象だとか、病気にすぎないとか、ごまかせばごまかすだけ、そのような恐ろしい現象は現れてきます。
この次々に起きている現象は、ただの自然現象でも、ただの病気でもなく、神からの天罰以外のなにものでもないからです。
だから、それを理解し反省しない限り、この天罰は止まらないのです。
いい加減、理解しませんか?天罰を天罰として正しくです。(ほんと、いい加減にせいといいたいです)
そうしないと、やっと台風の季節が終わったからと、大雨の季節も終わったからと、安心などしていても、このままでは、今度はどこに大地震など(または火山の噴火とかです……桜島など激しい噴火がすでに起きていますが)起きてくるか知れないからです。
これは脅しでも何でもなく、本当にそうなるのです。(これまでもそうなったし)
今のまま、このブログを見ている人たちがまったく心も行いも変えようとしなければです。(そりゃ当然でしょう。こちらの人たちの災いは止まるどころかひどくなっているのです。それを見ていれば分かります。心も行いも誰も今のまま変えなければ、起きる天変地変はもっとひどくなります)
いつまでも、このブログを見ている人たちが心も行いも変えないからいけないのです。だから、日本の人たちも変えない。このブログを見ている人たちは、そのような日本の人々の縮図であるからです。
神に対する態度が、日本の人々は(大きく)間違っているのです。
だから、このブログを見ている人たちが神に対する態度を変えるなら、日本の人々も同じように神に対する態度を変えていき、災いも段々収まってくるということです。
このブログを見ている人たちが、即ち日本の人たちであるからです。
だから、このブログを見ている人たちがまず愛を出せと、そうすれば(自分たちもそうですが)日本に起きている災いは止まると、そう私はいっているのです。
実際にそうであるからです。
だから、例えば日本のデフレが二十年も続いて、その原因が緊縮財政にあると一部の学者たちは主張していますが、それが正しいのであるなら、それは神に対する緊縮が問題なのです。(まったく布施をしようとしないです)
それを直せば(自分たちが神に対する緊縮をやめれば)政府も緊縮財政をやめて、お金が回るようになるのです。
日本中にです。神がそのように導いてくださるからです。
すべてそうなのです。すべては神に対する態度、その一点なのです。そこを無視して自分たちだけでやっているからなかなか先に進まないのです。
それがどれだけよいことであってもです。それでは神の協力が得られないからです。
それはすべての面においていえることなのです。今のような大自然においても、政治、経済、教育、そうして、個々の健康面においてもです。
すべての面にいえるのです。
神に対する態度を間違えていては絶対によい方に行かないのです。この世は(この世界は)そのように出来ているからです。
すべては神がつくられた世界であるからです。
だから私は神を一としないといけないと、神を無視(粗末に)していてはいけないと、いい続けているのです。
すべての基は、そこに(その一点に)あるからです。
だから、そこを(神に対する態度を)直せば、日本に起きてくるすべてのことはよい方に変わってくるのです。
すべては神が基であるからです。
日本の人々は、そこを(その基の基を)間違っているから、よい方に行かないのです。
だから、私がいうようにです。その神に対する態度を(思いを)変えてみれば分かるのです。
自分たちの周りに起きてくることがどれだけ変わってくるかがです。
少し変えれば少しだけ、大きく変えれば大きく、周りに起きてくることは変わってきます。
では、変えてみてはどうでしょう。変えればです。
私のいうことが正しいと分かり、そうして神の存在も分かってくるからです。
・
追伸…しかし、千葉県知事のいいわけには呆れましたね。あの台風被害が出ているさなかに自分の車で千葉県内を視察に行っていたなどとです。(苦笑)
それは嘘ですということは、あの水を飲んでいた時の手の震えで分かるでしょう。(ずいぶん震えていましたね。コップを持つ手がです。私、アル中かと思いましたもん。〔笑〕)
あのような愛のない人を千葉県民は長く知事にしていました。その結果が今回のようなぶっ続けの大災害です。
愛のない人をいつまでも知事などにしていてはいけないということです。
とはいえ、愛知県もそうですが(愛知も左翼の大村知事ですから)他にする人がいない(例えば愛知県のように対抗馬が共産党しかいない)では選びようがないということになりますが、そういう時はです。
自分のところの知事をよく祈ってあげることです。知事がよい方に変わってくれることをです。(神に知事を正しくお導きください、と祈ればいいのです)そうして自分の出来ることはすることです。(例えば、こういうブログに知事のことを書いてもいいですし、自分たちでやれることをやればいいのです)
そうすれば、段々状況は変わってくるからです。
とにかく何もしないのが一番いけません。(知事が悪いのに〔そういうことも理解せず〕何もしないと、千葉のような悪いことが起きてくるのです)何か悪いことがあるなら、気づいて直さないといけないのです。
それをしないから(よくなる努力をしないから)いつまでたっても自分も、そうして自分の周りもよくなってこないのです。(ほんと、そのまんま皮肉ですね。〔笑〕)



人目の訪問者です。

私の変わった点を他にあげるとしたら、堂々と反省し感謝するようになったことです。まず失敗しても自分を責めることなく足りなかったことを反省出来るようになった。また、感謝する時に完全ではないにしても心の隅々まで感謝の思いが届いたか確認してその思いを満たすようになったことです。振り返ってみると最近は反省の中身が以前より濃くなって来たような気がしてます。というか多分自然にそうなって来たのかもしれませんね。そういう思いが出てくるとまた新たに反省と感謝へと進める動機付けとなるのですから連鎖反応が起きているとも言えますね。有り難う御座います。感謝感謝です。
よいことですね。そのような発想が出来るようになったということは心が向上している証拠でしょう。
それ以外の(このブログを見ている)人たちは相変わらずのようですが、何か有名人にも(落語家)急死する人が出て来たようです。
進歩がないといいことは起きてきません。せっかくこのブログを見ているのなら、進歩していってもらいたいものです。(もちろん心がですが)