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11月 14 2019

奇跡の起こし方

11:04 AM ブログ

二、三日前の話です。元正法会だったという方から電話がありました。

それで正法会の時のことをしばらく話していたのですが「で、どういうご用件ですか?」ときくと、私のブログを見て、それで何で名古屋で正法を説いている人がいるのかと(その方は大分の方でした)それで心の正しい在り方をききたいから電話したとかなんとかいっていましたが、そのきき方があまりに傲慢そうで、それ以外のことはききたくないという口ぶりで、こちらがこういう奇跡とか起きていますよとかいっても、まったくきこうとしないのです。

奇跡は私も前に起きたことがあるとか、そういう話はいいとか、こちらがきいたことだけ答えろという感じがもろに現れていて、他の話はまったくきこうとしない口ぶりでしたので、それなら私のブログを読んでくださいと、そのブログにいろいろ書いてありますからといって早々に電話を切りました。

しゃべっているだけでこちらは気分が悪くなってきたからです。

まったくなんでこういう態度なんでしょうね。謙虚さがまるでなく傲慢さがアリアリと分かります。これで正法をしていたというのですから笑ってしまいます。(苦笑)

この人も奇跡は起きていたといわれますが、それもどの程度の奇跡なのかよく分かりませんし、それに前に奇跡が起きていても今はどうなんでしょう。

どれだけ前に(園頭先生がいられた時に)奇跡が起きていても(園頭先生がいられなくなった)いま起きていなくては、それは本物ではありません。

そのような正しい正法神理の指導者がいなくなった後でも、同じように奇跡が起きていなくては正しく正法神理を実践しているとはいえないからです。

この人は自分で前に奇跡は起きていたといっているのですから、今は起きていないのでしょう。そうであるなら、まず、そのような傲慢なところを直された方がいいのではないでしょうか。

そうすればまた奇跡は起きてくるからです。

正法神理とは、文証(文証とは簡単にいうなら文字で書いて正法神理を残すということです。このブログがそうです)理証(理証とは正法神理を言葉で伝えるということです。辻説法がそうです)現証(現証とはもちろん、様々な形で現れる奇跡的な現象をいうのであり、この現象〔奇跡〕がちゃんと現れるかどうかが問題なのです)が同時に現れてはじめて正法神理といえるのです。

それが揃っているのは私だけです。どうせ、電話してくるならです。(何かききたいのであればです)もう少し謙虚に(まず何でも私の話をきいておこうという態度でです)話をしてもらいたいものです。

そうすれば、自分で気づいていない悪いところも気づいてよい方向にも行くからです。

正法神理を知っていてもこの程度(我が強そうで傲慢)ですからね。知らない人は尚更(なおさら)なんでしょうが、しかし、こちらなどもう大変な状況です。

傲慢で我が強い態度を少しは反省されてはどうでしょう。そうしないと本当に命にかかわるからです。

昨日もそうでした。夕方帰ってくるとすさまじい怒りようです。どこかと思ったら、どこかの会社の次にコロッと逝く人が出た会社でした。

また出たようです。コロッと逝く人がです。(この会社とどこかの会社の二社がもう次々に現れて来ているようです)

だからいってやったのです。「もうこちらのいうことをきけ」とです。しかし、頑としてきこうとしないのです。

私が何をいってもすさまじい怒り方で何もきこうとしません。(ほんと我が強くて傲慢です)

しかし、よいのですかね。私のいうことを頭からきこうとしなくてです。

では、この人たちどうやって、その起きている現象を止めようというのでしょう。

止まるのでしょうか?自分たちだけでです。

そのまま、その現象が止まらなければ大変なことになるのはもう誰でも分かることなのです。(当然、滅ぼされます)

それでもきかないのでしょうか。お前のせいでこうなったでしょうか。

くだらない小さな発想をいつまでもしているものです。それでは順序が違っているでしょう。いい加減、正しい判断をされてはどうでしょう。

そうしないと本当に滅ぼされてしまうからです。

もうそんなこといっている場合ではないでしょう。たとえそれが誰のせいであろうとです。それだけ危ない現象が次々に現れているのは自分たちなのです。

もはやそうなったのなら何を一番にすべきなのですか?

それが全然分かっていないから、くだらない小さな発想をいつまでもしているといっているのです。

もうそういう状況になっているのならです。その危ない現象を止めることが一番最初にやらなければいけないことなのではないでしょうか。その起きていることを人のせいにしているのではなくです。

だから、順序が違うといっているのです。

責任転嫁しているだけの、そんな考えでは滅びるのを待っているのと同じであるからです。

火事が起きているのに、この火事はお前のせいなどといって人のせいにしているだけで、その火事を消そうとしなければ、すべて焼き尽くされてしまいます。

それと同じことをしているのです。この辺りの人たちはです。

それでも私のいうことをきかないのでしょうか?しかし、私のいうことをきかない限り、この辺りで起き出した(心の)火事の火は消せないのです。

早くそれを悟ってほしいものです。それが事実であるからです。

しかし、少しは(私のいうことを)きき始めた人たちも出始めましたかね。昨日など辻説法をしていて、そういう感じの人たちもいたからです。(私のいうことを黙ってきいている人たちがです。まだ五~六割の人たちが反発していますが、後の人たちは黙って私のいうことをきいているか、またはきいているのかいないのかよく分からない人たちです)

もっと愛を出さなければいけないのです。愛を出さなければ災いは止まらないからです。

しかし、愛を出すとはいえ、例えば、この前の台風十五号で倒壊した(千葉の)ゴルフ練習場の撤去作業をしている会社がありますが、あの会社はなんと無償でそれを行っているそうです。

台風十五号の被害で困っている人がいるからと、すべてこの会社の自費であのゴルフ練習場の鉄柱の撤去作業を行っているようですが、はたから見ればです。

これだけ愛のある行いもないわけです。あれだけ大規模な撤去作業を無償で行うというからです。(費用だけみれば数千万はかかるようですから)

そうであるなら、これだけの愛ある行いをこの会社はしているのです。この後は、さぞ愛ある奇跡が現れてくるであろうと、よいことが起きてくるのであろうと誰でもそう思うわけです。

それだけの愛ある行いをやれるところもそうはないからです。

しかし、実際はどうなのかといえばです。

実際は、奇跡が現れてくるかもしれないし、現れて来ないかもしれないとしかいいようがないのです。

何でそうなのかといえば、それは、その会社の普段の行いが加味されてくるからです。

つまり、今後、この会社に奇跡が起きるか起きないかは、このような愛ある行い以外の行いで決まってくるということです。

そうして、そのような愛ある行いをしている時の心も加味されるということです。

まあ、分かりやすくいうならです。このような行いを売名行為で、もしやっていたとしたら、もちろん奇跡など起きませんし(数千万円単位で寄付をする会社などいくらでもありますから)その撤去作業をしているところの会社の社員などが他の場所で愛のない行為をしているのなら(人の悪口ばかりいっていたり、嫌がらせなどしている人が多ければ)やはり奇跡は起きて来ないということです。

奇跡とは、愛の心で愛の行為を行い、そうして普段から愛のないことをしない人にだけ起きてくる、神の業であるからです。(奇跡とは、そういう人にだけ現れる神の力であるということです)

だから、多くの金額を寄付する人とか、あるいはボランティアの活動を熱心にしている人とか、そういう人も奇跡が起きてくることがないのです。(もちろん、起きている人もいるのでしょうが)

普段から、そのような愛を出す人たちであっても、そういう人たちの心と行いのどこかに、その愛の行為を帳消しにするような部分があるからです。

そういう部分がある人たちには奇跡は起きないのです。

だから、簡単にここで奇跡、奇跡と書いてはいますが、そんなに簡単に起きることではないのです。その奇跡はです。

だから、このブログを見ているの人たちでもウナッシーさん以外の人には起きないのです。その奇跡がです。

それにはそういう理由があるからです。どれだけ愛を出しても、自分の悪いところを直さないと奇跡は起きて来ないのです。

何で私がこの奇跡のことを長々と書いたのかといえばです。もちろんそれは不幸が次々に起きている人たちのためにです。

その不幸は、この起きにくい、奇跡が起きてくるような心にならないと止まらないからです。

その不幸がこちらだけではなく日本全国でもまた始まりだしました。これから北海道など猛吹雪となるようですね。

それほどの寒気が入ってきつつあるようです。(だから私はいっているのです。一週間も二週間もよい天気は続かないとです)

これだけ日本中に悪いことが続くのは、私がここに書いた奇跡を起こすような心になる人が(あまりに)少ないからです。

それでもまだ私のいうことを無視しますか?逆らうのですか?しかし、そんなことをしている限り悪いことは起き続けるのです。

少しずつでもよいから、私のいうことに従いませんか。そういう人から救われて行くからです。

しかし、こちらはこちらで命にかかわることが、そうして他の場所では他の場所で命にかかわることが(台風十五号や十九号や二十一号に伴う豪雨での被災地の人たちなど、これから寒くなって雪でも降りだしたら命にかかわります)もう次々に起きて来ています。(有名人は有名人でまたよく亡くなり始めていますから。落語家や俳優、漫才師やサッカーの元日本代表のGKなど最近は続々とです)

奇跡が起きてくるような心に変わらない限り(それが善人だからです)このような次々に起きてくる不幸からは逃れることは出来ないのです。(それでは悪人の人たちばかりだからです。悪人には天罰がくだります)

せっかくこのブログを見ているのです。少しずつでも奇跡が起きる心に変わって行きませんか。(その方法がここに書いてあるのだし)

そうすることが、まだまだこれから数多く起きてくるであろう不幸から逃れることが出来る、唯一の方法であるからです。

3コメント

3 コメント to “奇跡の起こし方”

  1. ウナッシー2019/11/16 at 10:31 PM

    身近に起きた偶然を紹介します。仕事仲間が腎臓を悪くして入院して手術をやって退院した数週間後に起きたのです。仲間の彼が入院前にやった仕事が市場クレームとなり全ての品がやり直しとなったのです。その仕事は会社としても新規顧客として将来を見据えてやっと漕ぎ着けた受注だったのです。当初前倒しで試作から作り、うちの部署の工程の品質は顧客としても合格点を頂いていたのですが今月に入り急にクレームを付けてきたのです。だから病み上がりの彼ではありましたが、仲間の彼は、部署内では熟練工でもあるため上司は配慮も加えて、無理のない範囲で約半月間の手直しをしたのでした。そうして無事に終わったのですが、次に待っていたのは、また彼の身体が急変してまた来週から入院となったことでした。この一連は見方を変えれば、仕事の手直しの矯めに退院して来たような形となってしまいました。病気をすること自体に反省の機会はあるのですが、とても大変な苦労をされたと思いました。私なりに感謝と祝福の祈りはさせて頂きました。今度退院された時はしっかりと反省されていることを願うばかりです。

  2. ウナッシー2019/11/16 at 10:34 PM

    手違いで、だぶってしまいましたね。相済みませんでした。お手数を掛けますが、可能であればどちらか削除願います。

  3. gtskokor2019/11/17 at 12:50 PM

    へえー、また奇妙なことが起きたのですね。OKが出ていたのにクレームがついたなどです。
    そうして、そのやった人がちょうど退院した時に、その仕事の手直しが待っていたなどです。
    その方は、その仕事をしっかりやらされたのでしょう。そのような体験を経て心も仕事も向上していくのでしょう。

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