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12月 03 2019

自分本位の間違い

10:30 AM ブログ

多少は出てきましたかね。私のいうことを(少しは)きく人もです。

といってもごくわずかなんですけどね。

例えば嫌がらせをして来た人でもです。

「大丈夫か、まだそんなことしていて。心が汚いまま責任転嫁している連中に次々に罰が当たっているぜ。うちの近所など死んでく人まで出ているのに、この教えに帰依しないでいいのか」とか「今のままでは必ず悪いことが起きてくるぜ。この教えに帰依しなくて大丈夫か」などなど、そのようなことをいい回っていると、無視する人たちもまだいますが、頭を下げる人たちも段々出てきました。(まあ、目の前で本当に危ないことが起きていますからね。この辺りは)

もう私のいうことを真剣にきかないと危ないのです。これだけ災いが起きてくると私のいうことをきく以外で救われる道はないからです。(またどこかの会社などコロッと逝く人が出たようです。朝からカーンとかして今はドン引きしていますから)

いつまでも悪いことを私のせいにして怒っている人たちなど、もう災いが起きるのを待っているようなものなのです。

それなのにいまだ多くの人たちが、私のいうことをきこうとしませんが、一体どういう基準でそれを(無視を)しているのでしょう。

これだけ災いが起きていてです。(この辺りも全国的にもです。昨日などでも関東辺りは十二月とは思えないような激しい雨になったようですね。ほんと天気も落ち着きません)

単にめんどくさいとか気に食わないからとかいう理由でしょうか?それともお前のいうことなど信用できるかということでしょうか?

どういう理由かは知りませんが、しかし、あんまりめんどくさいとか(そんな気楽なことをいっている場合でしょうか?)気に食わないということだけで無視などしない方がいいですよ。(信用できないなら仕方ないでしょうが)

気に食わないのと、正しいことをいっているのとは別であるからです。

それと金のあるなしもそうです。金などなくても正しいことはいくらでもいえるからです。

逆に、金があっても正しくない人たちは一杯います。

しかし、そういうことが基準の人ってわりと多いのではないでしょうか。金をもらえばいうことをきくがもらえなければきかないなどという人はです。

中には金をもらえるなら悪いことでもするという人もいますが、しかし、金などもらうだけで、あるいは金を稼ぎたいがためだけに、手段をえらばないようなことをしている人たちは死後、深い地獄に堕ちていかなければいけません。

その典型例が高橋先生が書いていられたGLA誌に書いてあります。それを抜粋して起きましょう。

自分だけ儲ければいいとか(えらくなればいいとか)金を稼ぐのに(出世するのに)手段をえらばないような人が案外世の中は多いからです。

その典型例とは、日本では一番の出世頭であった豊臣秀吉のことです。(なんせ、百姓から天下人ですから)その秀吉が、死後どのような世界に堕ちて行ったのかを高橋先生が書かれていますので、それを書いておきます。(そういえば来年の大河ドラマは明智光秀が主人公とのことですが〔麒麟がくる〕その光秀のことも書いてあります……その大河ドラマをやっているNHKなど、大河の出演者がいろいろ薬やら税金の問題などで不祥事を起こして、大変なことになっているようですが、NHKも儲け過ぎなのです。利益が一兆円近く出ているんですよね。〔ハァ?〕公共放送は営利を目的としないはずなのにあり得ませんね。〔給料もずいぶん高いみたいだし〕だから罰が当たるのです。自分たちばかりがいい目を見ているからです。受信料をもっと下げないとまだまだ罰は当たります。そういう時代になっているからです)

GLA誌 1973年 五月号より抜粋

<秀吉という男は草履取りから、位人身を極めた。今日、秀吉の魅力は大分半減したようだが、それでも出世主義は男の生甲斐になっている。秀吉は謀略の名人で、敵対する者は、ことごとく殺し、我が世の春を謳歌する。しかし、その反動は死の数年前から現れ、彼は自分の悪を清算できず、あの世に帰った。人の恨み、ねたみもあって、彼は地獄で今でも苦しみ、暗い世界でまだ号令をかけている。ところが号令をかけると、在世中、憎しみをいだいて死んでいった多くの人々の呪いの顔が彼の眼前に現れ、彼を苦しめる。彼の謀略は地獄では通じないのである。謀略の想念がスグ様自分にハネ返って来て、謀略で倒された人々の怨念が、彼の身と心を八つ裂きにするからだ。八つ裂きにされても彼は死ぬことが出来ない。息をふきかえし、我にかえると、また彼は号令をかける。また八つ裂きにあう。こうした繰り返しの中で、身も心も細る生活を続けている。現象界では謀略によって天下人になっても、あの世に帰れば一転して地獄である。その地獄も、自分の想念と行為の清算のみでなく、人々の怨念がプラスされる。

一方、歴史の上では悪の代名詞のようにみられてきた明智光秀は、神界にあって、自適の生活を送っている。殺された信長も秀吉同様、今もって地獄にあるのに、殺した光秀が神界にあるとは、誰しも解せぬであろう。殺された信長は権力の盲者であり、殺りくに快感を覚える精神異常者であった。殺した光秀は平和主義者であり、このため信長を討つことにずいぶんと迷う。しかし世の混乱のモトは信長にあり、逆臣の汚名を着せられても信長打倒に意を決し、本能寺を襲う。もちろん、こう決心するには、秀吉の奸計が裏で働いていた。彼は、信長に光秀謀反を伝え、光秀には信長打倒を促している。光秀はこれに感づいてはいたが、あえて信長打倒に踏み切ったのである。本能寺の変を知った時の秀吉の喜びようは大変であった。彼はこの時、天下人の夢を我がものにしたのである。

謀略によって、戦国の覇者になっても、落ち行く先が地獄では間尺に合うまい。栄耀栄華の期間は短く、地獄が何百年も続いては、どう転んでも計算が合わないからである>

このように、この世でどれだけ栄耀栄華を極めても、死後地獄に堕ち、何百年も苦しんでいるようでは間尺に合いません。

秀吉は慶長三年(1598年)信長は天正十年(1582年)に死んでいますので、まだ地獄にいるのなら四百年以上も地獄にいることになります。

秀吉の例を見ても分かりますように、一度地獄に堕ちると、次々に苦しみが襲い、とても反省など出来ないのです。苦しみの方が強くてです。

しかし、そのような苦しみの中で自分が悪かったところをよく反省した者だけが、ようやくその地獄の世界から抜け出ることが出来るのです。

秀吉や信長は戦国時代に自分の天下取りのため相当あくどいことをしたようです。その結果がこれです。

この世には、秀吉、信長ほどのあくどいことをしていなくても、自分ばかりが儲けて他は知らないという人たちがごまんといます。

そういう人たちは、秀吉や信長の例は知っておくといいでしょう。死後の自分のだいたいの基準が分かるはずだからです。(中には秀吉、信長以上のあくどいことをしている人もいるかもしれませんが、そういう人は秀吉、信長以上の深い〔苦しい〕地獄に堕ちないといけません。それは確実なのです。自分が蒔いた種は自分で刈り取る〔それがこの世であろうとあの世であろうです〕それがこの世界の誰にも変えられない〔神が決められた〕ルールであるからです)

この世で天下人といわれる人でも、あの世での評価はまったく違うということはこのようにあるのです。(光秀の評価もそうですが)

しかし、同じ天下人でも徳川家康は違ったようです。家康は同じ日本人としてすでにこの日本にまた生まれていたからです。(俳優の長谷川一夫)

地獄からこの世に生まれることは出来ません。だから家康は地獄に行かなかったようです。(または行っていてもごく短期間)

家康は周りに対する愛があり、秀吉や信長はその愛がまったくなかったということです。

自分のことしか考えない人と、周りに愛を持って接した人とではこれくらい違います。(家康と信長、秀吉とではえらい違いです)

だから自分のことだけ考えていてはいけないということです。

もう少し愛を持って周りの人のことも考え、金があるなら施してあげることです。そのような愛の行為が結局は自分を救うからです。

(この世の自分も、そうして死んだ後のあの世の自分もです)

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