12月 20 2019
無視する恐ろしさ
もう怒っていても仕方ないですよ。この近所の人たちはもちろんですが、昨日は金山辺りに行っていましたが、ずいぶん怒っているところが多かったからです。
先週はドン引きしているところばかりだったのにです。
ほんと毎週(態度が)変わるのですが(苦笑)しかし、もう怒っていても仕方ないでしょう。怒っていたって災いは止まらないからです。むしろひどくなるばかりであるからです。
あの辺りの人たちもこの近所同様、このブログを見ている人が多いようですが、私のいうことを無視している人たちばかりです。
では、悪いことも起きるんじゃないですか。私はもう何度もいっているからです。
「このブログをただで見ていてはいけない」とです。そうして「そういう人は不幸になる」とです。
しかし、ただで見ている人ばかりです。(苦笑)では、不幸になる人が多いのでしょう。
実際にその通りのことが起きているではないですか。特に運転手など顕著にです。
多くの人が病気になっているんでしょう。私のいうことをきかないからです。だから悪いことが(不幸が)起きるのです。
私のいっていることが正しいからです。
これだけいった通りのことが起きているというのによくみんな無視していますよね。私のいうことをです。しかも何年にもわたってです。
その現れている病気も風邪とか、腹痛とか、頭痛とか、そんな軽いものではないんでしょう。
癌とかコロッと逝っている人もいるんですよね。(この近所にはそういう人がいます。しかもたくさんです)
本当によく無視していますよね。そんな恐ろしい病気まで現れているというのにです。
ほんと意味が分かりませんが、このブログを見て私のいうことを無視している人たちなど、それはこのまま日本に災いが起き続けても関係ないといっているのと同じなのです。
そうですよね。だって、このブログを見ている人たちは、この教えが日本中に拡がれば日本に次々に起きている、例えば天変地変なども(昨日も青森で震度5の地震があったようですが)止まると知っている人たちばかりです。
それが分かっているのに、この教えを実践しようとしない、拡げようともしないということはです。それは即ち日本にどんな悪いことが起きても自分は関係ないといっていることと同じです。
だからよけい悪いことが起きるのです。このブログを見て何もしようとしない人たちは、それだけ罪な行いもないからです。
それでは(前回のブログではありませんが)これだけ毎年、天変地変だけでも多くの人が亡くなっているのに、そのような人たちを見殺しにしているのと同じであるからです。
だから自分たちも死ぬような病気が現れてくるのです。すでに自分たちが多くの人たちを見殺しにしているからです。
因果応報です。
「だ・か・ら」私は「このブログをただで見ていてはいけない」というのだし「この教えを実践してください」「この教えを拡げることに協力してください」といっているのです。
くどいくらいです。
それをしなければこのブログを見ている人たちは大きな罪をつくることになるからです。(それも何度もいっていますけどね)
そういうこともまるで意識しないで、自分たちのことばかりギャーギャーいって(今日もそんな感じですけどね。どこかの会社などです)怒っているだけだからいいことが起きないのです。
だから逆に、そのようなことをしっかりしている私たちにはちゃんと奇跡が現れてくるのです。そのような行いは(この教えの実践は)それは即ち多くの人を救うことになり、どれだけ自分の徳となるか知れないからです。
多くの徳を得るなら、当然、奇跡も現れてくるということです。(だから災いなど現れるわけがないのです。それだけ徳を得ている者にです)
それでもまだ無視を続けますか?私のいうことをです。この教えをです。
そのような行為は(自分の自覚がないだけで)ずいぶん恐ろしい行為であるのにです。
このブログをただで見ている多くの人にたくさんの災いが現れています。それはそのような人たちが大きな罪を自らつくっているからです。
だから、いま現在そのような災いが現れていないからとてです。
このブログを見ている人たちは大きな罪を(多くの人たちを見殺しにしている)つくっていることには変わりがないのですから、いつ自分にその罪が返ってくるのか知れないのです。
そのような罪が自分自身に返ってくる前に、この教えを実践されませんか?
そうすれば(災いではなく)奇跡が現れてくるからです。
(他の地域の人たちもここに書いていることを無視しない方がいいですよ。このままでは無事に正月を迎えられるかどうか分からない人たちがこちらにはたくさんいるからです。しかしそれは他の地域の人たちも同じであるからです。〔自分は大丈夫と勝手に思っているだけでです。誰だって今日明日のうちに自分が重い病気になるなど思いません。しかし、そういう人がたくさん病気になっているのです。この辺りはです〕帰依まで出来ないのなら、せめて布施くらいはすることです。そうすれば来年の正月くらいは無事に迎えられると思うからです。〔来年の正月くらいはって〕今年最後に少しくらいの愛を〔この正法神理に対し〕出しませんか?そうすれば来年は少しはよい年になるはずだからです……そういう振り込みなどしてくれる奇特な人がいるのなら、すでに店番号が変わっています。〔460から763に〕そこはお間違いのないように。〔笑〕)
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追伸…昨日金山からの帰り道のことです。
途中、ナゴヤ球場の横を通ってきたのですが、そのナゴヤ球場の横を通っている時に急にある選手のことが心から浮かんできたのです。(この球場のチームのです)
いつもはそんなことはないのですが、なぜか昨日はそんな思いが上がって来たものですから「○○(その心から上がってきた選手)とあったりして」とか、一人ブツブツいいながら歩いていました。
しかし、横のナゴヤ球場もその横にある屋内練習場も誰も選手はいなさそうでした。
「誰もいないな」と思い「これではどの選手ともあうわけないか」とも思って、横の球場を見ながら歩いていたのですが、ふと前を見るとピシッとしたスポーツシャツを着た一人の男性が走ってきました。
「ん?」と思って、その男性を見ると、先ほど心から浮かんできた選手によく似ていました。「あれ」とは思ったのですが、あまりジロジロ見るのはやめておきました。
何せ私は有名人です。(その選手はもっと有名人でしょうが。〔笑〕)あまり見ていて嫌がらせされてもかなわないからです。(苦笑)
しかし、昨日ばったりあったのが、その選手であるなら私に頭など少し下げて、そうして布施でもしてくれるなら来年の活躍は保証されたのにそこは残念です。
今からでも遅くはないので布施などされて私に感謝されてはどうでしょう。そうすれば来年は神が協力してくれてよい成績を残せると思うからです。(今年は全然たいしたことありませんでしたが。〔苦笑〕)



人目の訪問者です。

いつもお世話になっております。いよいよ年の瀬も迫って参りました。ということで少しこの年の瀬にちなんだ話を紹介志します。年の瀬」の「瀬」は「川の瀬」を表しています。「川の瀬」とは「川の淵」とは対照的に「川の水位が低く浅い部分」を指し、全体的な川の中でも流れが勢いを増し急激に速くなるスポットのことです。通常「川の瀬」を渡るには船ですら困難であると言われ、ましてや歩いて渡るとなると「命がけ」となります。「年の瀬」はこのような「必死で危機迫る」ような意味合いを持って使われる言葉なのです。
このような意味を含むとは私も知りませんでしたが、ふと目に止まったこの文章がどうも現状に合っているような気がしたので載せてみたした。今一人でも多くの方がこの意味を知って頂き、今年の〆にはしっかりと反省をしてもらえれば幸いです。
本当ですね。
いま現在の日本は本当に命懸け状態であり、実際に命をなくしている人が大勢いるというのに、自分が命を落とすまでは、その危機感を理解しない。
本当に哀れというしかありません。
こういう人たちに神を理解させ、自分の間違いを理解させるにはどうしたらいいんでしょうか。(間違いを理解しないと反省などしませんから)
どれだけ悪いことが起きたら、それが分かるのでしょう。
今年ももう終わりなんですが来年にかけてです。このような人たちばかりでは不安しかありませんね。