1月 06 2020
適当の間違い
新年早々どこかの会社など朝からお怒りのようです。
しかし、この会社の連中が一週間も休みがあって何も起きないわけがありません。(凄いレベルです)怒る暇があるなら心を入れ替えることです。そうしない限り、災いは止まらないからです。
昨日、一昨日は身体の調子が悪かったですね。
四、五日前からでしょうか。便秘みたいになって、大便が全然でなかったのです。一日、二日でない時はよくあるのであまり気にも留めなかったんですが、一昨日くらいからでしょうか。(だから前回のブログを書いた後くらいから)
便が出そうで出なくなったのです。
何か腹が張って来て、それでトイレに行くのですが、もうちょっとで出そうなところで便が出ないものですから、気持ちの悪いこと悪いこと、それでこちらは何回でもトイレに行くのですが、何度行っても出そうで出ないのです。
飯もしっかり食べていないし、やばいなと思って一昨日の昼くらいからしっかり食べ出しましたが(母親に頼み込んで来月もらう金を先にもらって)それでも出ません。
お陰様で(苦笑)一昨日の夜など、夜中に何度トイレに行ったのか分からないくらいで全然寝られませんでした。
だから昨日はだるくてブログも書かなかったのですが、それだけではなく気持ちも悪くて便が少しずつ漏れてくるような感じで(ひどい下痢のようになって)それでよけいトイレに行く回数が増えます。
「参ったなこれ」と思っているうちに昼になったんですが、あまり食欲もありません。しかし、これで飯を食わないとよけい調子が悪くなるようにも思えたので、無理して食べたのです。
昼食をです。
そうしたらです。昼食後しばらくしたらまたもようして来てトイレに行きました。どうせだめだろうとは思いましたが。
しかし、今度は、しばらく座っていてふんばると一変に便が出たのです。
「えっー」と思いました。あれだけ出そうで出なかった大便が急に出たからです。
あの時つくづく思いましたね。「ああ、やっぱり食事は大事なのだな」とです。
それまでは全然出なかったのです。出ないどころか、出そうで出ないという気持ちの悪い状態がずっと続いていて、それが気になって夜も寝られない状況であったのですが、それが三食ほどしっかり食べたら、とたんに便が出て腹が楽になったのです。
元に戻ったということです。しっかり食事をしたら体調がです。
前回のブログで適当にしか食事をしていないと書いたら、即これです。(苦笑)
本当に間違ったことを書くととたんに現象が現れます。恐ろしいものですね。この教えはです。
間違ったことはすぐに教えられるからです。(だからそれは私も例外ではないということです)
何でもそうですが、適当ではダメなのです。ちゃんとしないとダメなのです。
今年も初詣に行った人はたくさんいるようですね。(ニュースでやっていますが)
しかし、中には初詣に行ったばかりに神社の参道の階段から落ちて亡くなった人もいました。こういうことを考えると、初詣もいいのか悪いのか分かりませんね。だって、この亡くなった人は初詣に行かなければ亡くなることはなかったからです。
こういう人は初詣のご利益はなかったんでしょうか?そもそも初詣にご利益があるのでしょうか?もし、ご利益があるのならこんな初詣に行って亡くなるような運の悪いことは起きないと思うんですが、そこはどうなんでしょう。
初詣など行ったところでご利益などないのです。だって初詣は正しい信仰ではないからです。
だから、毎年、毎年、あれだけ多くの人が初詣に行っても(毎年、数千万の人が行くといわれています)一向に日本に起きる天変地変などおさまらないのです。
もし、初詣が正しい信仰であるなら、あれだけ多くの人が毎年神社など行って祈るのです。(数千万人ですよ。〔九千万人ともいわれているそうです。凄い数です〕)本当の信仰であるなら、これだけ多くの人が祈れば、その祈りがきかれないわけがないからです。
だから、少しは現れている災いがおさまってもおかしくはないはずですが(初詣に来ている人の中には当然、これだけ多くの天変地変がおさまりますようにとか、静かな日本になりますようにと祈る人はたくさんいるはずだからです)おさまるどころか災いは増えています。
なぜでしょう。なぜ、初詣にくる多くの人の祈りがきかれないのでしょうか?
それは初詣は信仰でも何でもないからです。初詣など日本の人々が勝手につくり出した、ただの習慣にすぎないからです。
だから、そんな習慣などいくら続けたところで祈りもきかれないし、何の奇跡も起きて来ないのです。習慣はどこまで行っても習慣なのであって、神への信仰ではないからです。
神への正しい信仰でなければ祈りはきかれないし奇跡も現れて来ないからです。
だから信仰も同じなのです。適当にやっていてはいいことは起きて来ないのです。だから初詣に行って死ぬ人も出てくるのです。
正しい信仰でもないものを適当にやっているからです。
正しい信仰をしっかりやらないとお蔭もないし、奇跡も起きて来ないのです。
今年は本気で考えたらどうでしょう。正しい信仰への本気の帰依をです。そのような神への信仰も多くの人が適当にやっているから、これだけ多くの人が不幸になっているからです。
適当にやっていては何事もいいことは起きてきません。(ほんとつくづく今回はそれが分かりました。〔笑〕)
真剣にやりませんか?
特に神への信仰はです。



人目の訪問者です。

反省をもって自分を振り返る時、自分の傾向が分かってきます。私の場合、日々の生活の中で心が満たされないとルーティーンである禅定をやっていても、何がが違うという思いに駆られるのです。しかも徐々に強くなって来るのです。それは仕事をしていればこの仕事でいいのだろうか?とか好きな趣味をやっている時でさえも、このままで良いのだろうか?等とそれぞれの場面でつまらなくなっていくのです。このブログに出会った時にも実は人生さえも否定して行く過程であったのです。先日もブログに上げましたが昨年とは違い心静かでありながら、どこか心許ない気してならなかったのだす。つまりは自分では良いのだと過ごしていても、心はそうはいかないのです。心は嘘はつけないという良い例えともいえるてしょう。今年の干支はネズミ。干支のはじめということもあり、新しい物事や運気の始まる年になるといわれてます。これまでの自分をより飛躍できるよ嘘のつけない心を大事にして前を向いて歩きたい次第です。
この教えを実践していると心が広がって成長していきます。
だから、現状で満足できなくなるのです。もっと上を、もっと上をと心が求めるからです。
だから、この教えをもっともっと実践するしかないのです。そのような心を満足させるにはです。
だからこれまで以上に頑張ってください。