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1月 10 2020

神理が説かれる短さ

10:46 AM ブログ

今、ずいぶん稀有なことが起きているのですがお気づきですか?

よく考えてみてください。釈尊やキリストとその弟子たちはよく知られていますが、では、その弟子の弟子たちは知っている人がいるのでしょうか?

いっている意味が分かりますか?

釈尊や釈尊の十大弟子とか、キリストやキリストの十二使徒たちはよく知られているのですが、その十大弟子の弟子たちとか、十二使徒の弟子たちを知っている人がいるのか?ときいているのです。

あまり知られていないのではないでしょうか。十大弟子の弟子とか、十二使徒の弟子などです。

例えば、釈尊の右腕といわれたシャリー・プトラ―の弟子の名などきいたことがありませんし、キリストの弟子のペテロやヨハネ、あるいはパウロの弟子などたくさんいたはずですが(多くの人たちがキリストの弟子たちの奇跡を見て弟子になったそうですから)あまり名前が残っている人がいません。

なぜでしょうか?なぜ、釈尊やキリストの弟子たちまでは世界中の多くの人に名前が知られているのに、その弟子たちはほとんど知られていないのでしょうか?

簡単にいうならです。奇跡が起きなくなったからでしょう。つまり、釈尊やキリストが現し、その弟子たちが現した奇跡が、その次の弟子たちにはもう起きなくなっていたということです。

だから、その後の弟子たちは名前が残っていないのです。もし、その後の弟子たちも同じように奇跡が現れていたのなら、同じ聖書や仏典のような記録が残っていてもおかしくはないからです。

しかし、釈尊やキリストの弟子たちまでの奇跡が書かれてあるものは残っていますが、その後の弟子たちが起こした奇跡など、どこにも書き残されたものがないからです。

では、その後の弟子たちはもう奇跡が起きなくなっていたのでしょう。

実際に新約聖書の四福音書(しふくいんしょ)の一つの「マルコによる福音書」を書いたマルコはペテロの弟子ですが、このマルコが奇跡を起こしたという記録はありません。

四福音書の一つを書き、ペテロの弟子として名前も知られているのですから、もしマルコが奇跡を起こしているのなら、どこかにそのような記録が残されていてもおかしくはないはずですが、そんな記録はどこにも書き残されていないのです。

では、マルコは奇跡を起こしたことがなかったと考えても別に間違いではないのではないでしょうか。もし、何らかの奇跡をマルコが起こしていたのなら、何か記録にせよ言い伝えにせよ残されていても不思議ではないからです。

しかし、そんな記録も言い伝えもないからです。

これは「ルカによる福音書」を残したルカも同じでしょう。ルカが奇跡を起こしたという記録はありません。ルカも奇跡を起こせなかったからでしょう。

もし何か奇跡が起こせたのなら、それを自分自身で書き残すこともルカなら出来たはずであるからです。(福音書の後の使徒言行録を書いたのもルカであるといわれていますから)

ということは、釈尊やキリストの直弟子たちまでは奇跡が起こせても、その後の弟子たちになるともう奇跡が現れなくなるというのが、これまでの神理の歴史のようです。

釈尊やキリストの弟子の弟子たちが(あるいはその次の弟子たちが)奇跡を起こしたという記録は、どこにも残っていないからです。

つまり、ある程度完全な神理が説けていたのは二代目(釈尊やキリストの直弟子)までということになります。その次の代になると、もう奇跡が起きなくなるからです。

奇跡が起きて来なければ、それでは本当の神理を説いているとはいえなくなるからです。

それを考えるとです。今生はずいぶん珍しいことが起きているのではないでしょうか。私は三代目(三世代目)であるからです。

高橋先生(釈尊)の直弟子が園頭先生(シャリー・プトラ―)で、その弟子が私です。

にもかかわらず、私には次々に奇跡が起きているのです。これは初めてのことなのではないでしょうか。

釈尊やキリストの直弟子ではない者が次々に奇跡を起こすなどです。だから私は、ずいぶん稀有なことが起きているといっているのです。

こういうことはこれまで起きていないことであるからです。ここまで正確に三世代目の弟子にまで神理が伝わったことはなかったはずであるからです。

つまり、それだけ貴重なことが今生起きているということです。だから早く帰依しないといけないといっているのです。

奇跡が現れているうちにです。奇跡が現れているということはまだ正確な神理が説けて(説かれて)いるということであるからです。

正確な神理が説かれているうちに神理をしっかり勉強しておかないと、説ける人がいなくなってからでは、正確な神理を勉強する機会は失われるからです。

だからいっているのです。そういう期間は短いのですよ、とです。これまではそうだったからです。

長くて数十年、短ければ数年しか正確な神理が説かれた期間はなかったからです。数千年に一度しか現れない神理がです。

昨日は、その神理をしっかり勉強しているウナッシーさんからコメントが届きました。奥さんの胃痛が(しかも薬を飲んでもすぐに治らなかった)ウナッシーさんが祈ったら治ってしまったそうですね。

またまた起きた奇跡といったところでしょうか。(笑)

このようなことが(例えば身内が病気になっても祈りで治せる)いくらでも起きるのです。この神理を勉強し実践している人にはです。

しかし、神理を知らない人、あるいは知っているだけで実践していない人たちにはこういう奇跡は起こりません。奇跡どころか、そういう人たちには次々に災いが起きているというのですから、もう目も当てられません。

やればいいのにとつくづく思いますけどね。少なくともこの神理を知っている人はです。神理を実践するなら確実に奇跡が起きてくるからです。

どちらにしてもです。私の代でこの神理を途絶えさせるわけにはいかないのです。

この後も、この神理を正確に伝えてもらえる人が現れ、多くの人々に神理を伝えて奇跡を現してもらわねばいけないのです。

そういう資質のある人がすでにたくさん生まれているからです。

だから、一人でも二人でもいいから早く帰依しなさいといっているのです。そういう人が呼び水となって帰依する人が増えてくるなら、奇跡が現れてくる人は確実に増えてくるからです。

すでにこの神理を知っている人は(このブログを読んでいる人は)たくさんいて、そうしてその中には高い世界から(菩薩界以上の)生まれてきている人も多くいるはずだからです。

そういう人が、この教えを実践するならすぐに奇跡が現れてきます。(すでにそういう実績はありますから。少し前にスポーツ選手の間にそのようなことは起こりましたから)

だから、やらないといけないといっているのです。神理が現れている期間は短いからです。神理が現れている間に実践しなければ、そのようなすばらしい資質も現れては来ないからです。

本当の神理というものはいつまでもあるというものではありません。説かれる期間は非常に短いのです。

そのような貴重な期間に今の自分はいるのだということをよく鑑(かんが)みて、責任ある行動をぜひ取ってほしいと思っています。

このブログを見ている人たちにはです。

この辺りなどずいぶん引いている人が増えて来ましたが、この辺りの人たちの中にも心の高い人たちはいるはずです。

そういう人たちは、心の低い人たちに合わせていてはいけないのです。そういう人たちに合わせていては自分の心は成長しないからです。成長しないどころか退化してしまうからです。

この辺りは、道もずいぶんすいて来て(昨日でも夕方だというのに道路などガラガラでしたから)多くの災いが次々に現れ出しているようです。

だから、この辺りの人たちなど一刻も早くこの教えに帰依した方がいいのです。そうしないとあまりに危険であるからです。

しかし、その危険に心の低い人たちは気づかないのです。(だから平気で私に嫌がらせが出来るのです。起きていることの危なさに全然気づいていないからです)それに気づけるのは心が高い人たちだけなのです。

そういう人たちが(この危なさに気づいている人たちが)まず帰依されませんか?

そうすれば、それが呼び水となり(心が低い人たちも含めた)多くの人たちを救うことが出来るからです。

追伸…安倍総理の中東訪問は延期せずに実施されるらしいですね。(明日から行かれるとか)

まあ、自衛隊が中東に派遣されるなら行かれないとまずいでしょう。あちらのお歴々にいろいろ了解も取らないといけないからです。

しかし、大丈夫ですか。このミサイル飛び交う中に安倍総理が行かれてです。命懸けになると思いますよ。

なにせ、最近の政府与党が出してくる法案はひどいものが多い。(神を怒らせるような、日本の人々を苦しめるような)こういう法案ばかり出した後にそんな危険なところに行かれるなら、いつ自分たちにミサイルが飛んでくるかしれません。

そういう(悪い)順序もついてくるからです。

総理もこの正法神理に帰依されてから行かれたらどうでしょう。そうであるなら安心であるからです。そうしてご自身の大きな使命も果たすことが出来るからです。

神から離れていては、仮に自分に大きな使命があったとしても、それを果たすことなど出来ません。そのような大きな使命があればあるほど、そのような人は神の導きが必要であるからです。

神の偉大さ、そうしてこの正法神理の大きな価値を日本の人々はもっと認識すべきなのです。

(それをしないからこれだけ多くの災いが日本に現れるのです)

2コメント

2 コメント to “神理が説かれる短さ”

  1. ウナッシー2020/01/10 at 9:29 PM

    周りの人からよく言われる事があります。それは、なぜそんなにおおらかな心でいられるのかとです。私は別に皆とそんなに大差ないのですがね、ただキレることはまずないですね。それはこう分析します。ひと(他人)から何か言われたとします。この時にどう受けとめるかの違いではないでしょうか。あいつにこう言われた、正しいのは自分なのにと受け止めるのか。対して、何を言いたいのだろうなぜ私に言うのだろうと受け止めるかの違い。そこのキーワードとなる「何故」を常心として発動できるかが要かと思います。すると人様から見て、やらかしたと感じることでも次への前進するステップと思えばこそ何故だろうと考えるし、そのことに感謝もできるはずです。私は別に明るく装っている分けでもなく、選ばれし民でもない、全く普通の変なおじさんなのです。

  2. gtskokor2020/01/10 at 10:35 PM

    心が成長しているから、それだけおおらかな雰囲気も現れてくるのでしょう。だから奇跡も現れる。(こちらの人たちとずいぶん違います。〔苦笑〕)
    その調子で頑張ってください。

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