1月 14 2020
きく耳がある人はきいてください
昨日のことです。ある宗教団体の建物の横を通ると上から音がしてきました。
その音のする方を見ると建物の二階の窓を開けてオバちゃんが何かガタガタやっていました。
私が歩いていると鳥が騒ぎますからね。(そうして飛び回るし)すぐに分かるのでしょう。それで私が「何だここの宗教は人に嫌がらせしてくるのか。自分たちでこの教えは間違っているといっているようなもんだな」と声をかけました。
しかし、そのオバちゃんは私のいうことなど無視してガタガタやっています。だから続けて「間違った宗教を信じていると地獄に堕ちるぜ。オバちゃん、ここに正しい神の教えを説いている者がいるんだから、この教えに帰依しろ」と声をかけましたが、まだ無視しています。
その後「あんたたちに何の奇跡が起きるのか。奇跡が起きることが正しい教えの証拠なんだぜ」「あんたたちにこのように鳥が寄ってくる者がいるのか。こういう現象が現れる者が本物なんだ。釈尊やキリストにも同じことが起きていたんだからな」「間違った信仰をしたまま死ねば地獄行きだぜ」などなど、こちらもガーガーいっていたのですが、そのうちに窓をピシャと閉めてこちらを見ながら(にらみつけながら)カーテンを思いっきり閉めていました。
これで信仰をしているというのですから本当に哀れなものです。
このオバちゃんはもう自分たちのしている信仰が間違いだと分かっているのです。(だから怒っているのでしょう)そうして、私が正しい教えを説いていると分かっているのです。
それにもかかわらず、自分がしている間違った信仰をやめることが出来ず、私に八つ当たりしている。
だから哀れだといっているのです。
なんで、そんな自分が間違っていると分かっているのに、正しいことをしようとしないのでしょう。
それはそんなに難しいことでもないのにです。ただ、その信仰をやめて私に帰依すればそれですむ話なのにです。
それがすぐに出来ないというのであれば、その信仰を続けながらでもこの教えをしてみればいいのです。
こちらの教えを実践してみれば、自分たちの信仰とどれだけ違うか、そうしてこちらのよさがよく分かるからです。
しかし、そういうことを少しもしようとしないでただ怒っているだけ、これでは救われるわけがない。本当にこのような人は地獄に堕ちるしかないのです。
少し自分が勇気を出せばやれることをやろうとせず怒っているだけだからです。正しい信仰が何かそれが分かっていながら、それを無視し続けているからです。
しかし、このような人はたくさんいるのではないでしょうか。特に、このブログを見ている人たちなどはです。
少し勇気を出せばやれることを(この教えへの帰依)いつまでたってもやろうとしないからです。
どちらにしてもです。これ以上、法(正法神理)と縁のある人がやる気を出さないというのであれば、もう法の流布も長くは出来ないでしょう。
もう金は底をついているし(もう母もカツカツですから)いつまでたってもこちらの人たちはくだらない嫌がらせをやめようとしない。
これでこのパソコンが壊れたり、電気が止められたりしたら(電気代を払えずにです)それでアウトでしょうね。
もうどうにかできるほどの金もないからです。(ウナッシーさん以外)まったく布施をもらえないからです。
所詮はです。いくら正しい神の教えとはいえ、一人や二人でそれ(正法神理)を説き続けようとしたところで無理なのです。釈尊やキリストでも、多くの人の協力があったからこそ神理を人々に説くことが出来たからです。
しかし、今生は、ウナッシーさん以外はほとんど協力らしい協力はしてもらえません。そうしてこの辺りの人たちは人の顔を見れば嫌がらせです。
そんなことしかしないのですから(こちらの人たちなどじゃましかしないのですから)こんな状態でいつまでもやれるわけがありません。
私もこのような状況でよく十年も法の流布を続けたものです。ある意味奇跡ですね。
しかし(こちらの苦労など)それをどれだけいっても、このブログを見ている法に縁の深い人たちは関係ないようで動こうとしません。
自分のことばかりしています。そうしてどれだけ多くの災いが起きてきてもです。
それでも関係なさそうなんですが、しかし、そういう人たちにくれぐれもいっておきます。
このままではもう近いうちにこの教えは説けなくなります。このまま誰も協力してくれないのならです。
ずいぶん母に無理をいってきましたし、こちらも相当無理をして来たからです。
しかし、それも仕方がないとしか思わないのであれば、それはこのままでよいのですが、そうは思わない人はです。少しでも結構ですから布施をしてください。
これ以上布施をもらえなくては続けられないからです。この法の流布もです。
本当にこのブログを見ている人たちは、この教えをここで説けなくさせてしまい、それでよいのですか?
いま現在、奇跡が次々に起きるのはこの教えだけなのです。
そうしてそれは(先ほども書きましたが)他の宗教も認めているのです。
この教えがなくなれば、正真正銘の正しい神の教えがこの地上からなくなるのです。
本当にそれでもよいのですか?数千年に一度しか現れない、多くの人々を本当に救うことが出来る稀有な教えをここで途絶えさせてしまってです。
しかもそれは自分たちがまったく動こうとしないせいでです。(その後ほんと怖いんですが……)
それでもよいと思う人は別にこれまで通りの態度でかまわないと思いますが、しかし、そうは思わないと、この教えのことを少しは真剣に考えていると、もしそう思っている人がいるのであればです。
気持ちだけでよいので布施をしてください。
布施さえもらえるのならまだこの教えを伝え続けることが出来るからです。そうしてもっと広げることも出来るからです。
しかし、このブログを見ているウナッシーさん以外の人たちは、もう十年たっても布施をしようとしない人たちばかりなんですから、今さらそんなこといったところでするわけがないと、普通はそう思うし、それはそうなんでしょうが、それでもです。
それでも、この正法神理に縁がある人にいうしかないのです。そうして、その法(正法神理)に縁がある人を信じやってもらうしかないのです。
縁のない人がそんなことをするわけがありませんし、法と縁がある人は本人にやる気があろうがなかろうが、そのような(法の流布の)使命があるからです。
そうして、その使命に気づこうが気づくまいが、こちらはその使命が果たせるよう導く以外にないからです。
そのような(法に縁のある)人たちは、それをしないと(この法の流布に協力しないと)後で死ぬほど後悔することになるからです。だから、こちらもそのことに少しでも気づいてもらえるよう、努力し続けるしかないのです。
それは法を説いている私がやらなければいけないことであるのだし、結果ではなく、どれだけ無駄と分かっていても、そのように導くことが法に縁がある人たちに対して私がやるべき一番のことであるからです。
だから自分がやれなくなるまでいうのです。それが法を説いている私の使命であるからです。法に目覚めようとしない人たちを法に目覚めさせることがです。
どちらにしても、その法に縁ある人たちが目を覚まさな限り法の流布は無理なのです。
だから、やれなくなるまではいい続けるしかないのですが、そればかりでなく、この正法神理をきいていて、それで何もしないではいいことが起きるわけがないのです。
そんな人たちはこの歴史を見てもいいことなど起きていないからです。(天罰を食らってです)それは現代の人たちであろうと同じなのです。
神理をきいたのなら感謝して報恩の行為をすることは当たり前の礼儀であり、筋なのです。そのような当たり前の筋をまったく通そうとしないから、現代の人たちはドンドン不幸になっているのです。
そんな不遜な態度を取り続けているのならそのような天罰は必ず当たるからです。
しかし、どれだけいっても現代の人たちは、その天罰を信じようとしないのです。天罰を天罰とは理解せず、それを人のせいにして怒っているだけなのです。
自分たちのそのような不遜な態度は棚に上げてです。
しかし、天罰はあるのであり(自分たちが気づいているのかいないのか、それは知りませんが)そんな不遜な態度を取り続けているのなら確実に天罰はくだるのです。
だから、きく耳がある人はきいてください。
数千年に一度しか出現しない神理がきけたということはこれほどの恩もないのです。この世に出て来た人でも神理など直接きけない人の方がはるかに多いからです。
だから、そのような最上の恩をいただいているにもかかわらず、それにまったく感謝しようとしないではよいことが起きるわけがありません。
感謝どころか、こちらの人たちなど、その最上の恩に対し怒りで報いているのです。
こんなデタラメなことをしていてはどれだけ天罰をくだされるか知れません。
残念ではありますが、こちらはその通りのことが起きているのです。私のいっていることが正しいからです。
もう次々に天罰をくだされているところがたくさんあり、悲惨としかいいようがないのです。
そういうことは散々このブログにも書いて来ましたが、このような人たちはその自分たちの間違いをどれだけいってもきこうとしません。
だから、未だにその悲惨な状況は続いているのですが、しかし、そのような天罰はこの教えをきいていながら感謝しようとしない人たちにも同じように起き出すのです。
結局、同じ(不遜な)ことをしていることには変わりがないからです。
だから、一向に感謝しようとしな人たちにも(こちらの人たちほど悲惨な現象ではないのかもしれませんが)感謝しないがために起きる天罰が現れて来ている人たちがいるはずです。
ただそれに(こちらの人たち同様)ご本人が気づいていないだけなのです。
そのような天罰を、病気は仕方がないとか、年だから仕方がないとか、あるいは忙しいから仕方がないとか、勝手にそう思ってです。
それを自分の都合に当てはめて考えているだけで、このブログを見ていて感謝しない人たちには、そのような悪い順序がついてくるということです。
それを天罰というのです。
だから、きく耳がある人はきいてくださいといっているのです。
「このブログを長く読んでいて、何もしないのは悪ですよ」ということをです。そうして「このブログ(正法神理)を読んでいるのなら感謝しないと天罰がくだりますよ」ということをです。
それは事実であるからです。
だから、もういい加減、私のいっていることを信じて(その通りのことが起きているのですから。しかもいくつもです)行ってもらえないでしょうか。
報恩の行為をです。
それをしようとしないから、このブログを見ている人たちは不幸になる人が多いのです。先ほども書きましたが、神理をきいていて何もしないのは悪でしかないからです。
悪をし続けていては天罰はくだります。だから(神理をきいたのなら)当たり前のことを(感謝の報恩の行為)当たり前にしてください、といっているのです。
そうすれば不幸は起きないからです。むしろ幸福(奇跡)が現れてくるからです。
その書いた通りのことが起きているのに、それを頑なにしようとしないから、これだけの不幸が現れるのです。このブログを見ている多くの人たちにです。(特にこの辺りの人たちにはです)
だから、千円でも二千円でも結構なのです。この神理をきいている人は、まず、その神理に対して感謝の報恩の行為をするということが大事なことなのであり、それをいつまでもしようとしないから多くの人に天罰がくだっているのです。(別に布施が出来ないという人はこのブログを多くの人に広めるとかそのようなことでもいいんですが……報恩の行為は布施が一番手っ取り早いので)
だから筋を通してくれればよいのです。そうすれば、そのような災いは現れては来ないからです。
何度でもいいますが、少しでも結構です。そのような報恩の行為を行ってください。それを行わないばかりにすさまじい災いが現れているからです。
それが事実なのです。その事実をこのブログを見ている多くの人たちが認めないだけなのです。もう何年も前から、そのような天罰は現れていたのにです。
それを頑なに認めなかった(頑なに信じなかった)それが今日の多くの不幸につながっているのです。
しかし、その不幸は、少しずつでも報恩の行為を行うならなくなっていきます。だから、少しずつで結構です。
報恩の布施の行為を行ってください。少しでもそのような行いをすることが大事であるからです。
何もしなければそれはゼロでしかありませんが(まったく何も始まりませんが)一でも二でも行うなら、そこから始まりが見てきます。
その(報恩行為の)始まりが不幸がおさまる始まりでもあるのです。
きく耳がある人はきいてください。少しでも結構です。報恩の行為を行ってください。それが幸せの始まりでもあるからです。



人目の訪問者です。

新春に縁起の良い夢を見ました。家族で沢山の実がなった果物を取る物でした。このような結実する果物は、成功と幸運の象徴とされ そして、熟した新鮮な果物の夢や熟した新鮮な実の夢は、運気が好調であり、幸運を勝ち取れることを暗示する大吉夢だそうです。しかしながら、何もしなくては実が結ぶこともないので、毎日の反省を感謝を通して日々の生活に生かしていきたいです。
しかし気持ちとしては、とても気持ちの良いものであり
機運を高めてくれるものでした。
それはよかったです。しかし、ウナッシーさんは縁起のよいことが(奇跡が)すでに起きているのだし、それに夢まで縁起がよいとなると、縁起がよいことだらけですね。(笑)
こちらの人たちとずいぶん違います。こちらは縁起の悪い人たちばかりであるようだからです。(こちらの人たちなど〔特にどこかの会社など〕昨日も夜遅くまで騒いでいましたから。何か起きていたみたいでです)
何が違うのか、早く気づいてほしいものです。