3月 01 2020
自分を変えられるのは自分だけ
昨日、一昨日など歩いているとやたら(感情的に)怒っている人がいましたが(特にオバちゃんが多かったんですが)そういう人たちは前回のブログに何か文句があるのでしょうか。
だとしたら、そのような人たちはこのブログは見ない方がいいでしょう。そういう人は、このブログを見る心のレベルまで達していないからです。
だから前回のようなブログを見て腹を立てるのです。小さなことにこだわり(そうして自分のことしか考えず)そこまでの(人を救おうなどという)大きな愛がまだないからです。
しかし、そのように腹を立てたり、人のことなど知らんと思う人はよいのですが(どうでもです。〔苦笑〕)そうでもない人もいますよね。
前回のようなブログを読んで、やはり人を救うためには祈った方がよいのではないのかとか、そういうこともやってみる価値はあるのではないのかとか思う人もです。(中にはいませんか、もうしなきゃいけないと思う人もです。いるでしょう。ソロソロ出てきてもいいはずだからです。そういう我慢出来ない人もです)
そこまで思わなくても、何か心に引っかかるとか、心がざわつくとか、そういう人もいるはずです。
そういう人なのです。やらないといけない、大きな使命を持った人とはです。大きな責任がある人とはです。
そういう人たちは、心では知っているのです。自分の本当の使命をです。だから、そのような思いが出てくるわけです。
そういう人たちは、この正法神理を勉強し、多くの人々を救ってきますと、神と約束してきた人たちであるからです。
だから、私がそのようなことを書くと、やらないといけないという思いが上がってきたり、心がざわついたりするのです。
自分の本当の使命を心は知っているからです。
表面上の自分(表面意識)がそれを拒んだり、無視していたりしているだけで、内面の自分(潜在意識)は自分の本当の使命を知っているから、私がそのようなことを書くと落着いていられなくなるのです。
神理の実践、それをすることが、その人がこの世に出て来た一番の目的であるからです。
だからそういう人はです。その自分の心の中の思いに従うといいのです。(というか、従わないとダメなのです)そうすると、自分自身の心もすっきりして周りに不思議とよいことが(奇跡的なことも)起きてくるのです。
それが自分自身の本当の使命を果たすことになるからです。
だから、してみればいいのです。そうすれば分かるからです。自分の本当の使命も起きてくることが変わるということもです。
それを実行したのがウナッシーさんでした。
ここに書いていることを信じ、行ってみると、不思議と奇跡的なことが周りに起き出した。「あれっ」と思ってもっとやってみると、また不思議なことが起きた。
それでこちらにコメントをよせてくれたのでしょう。こういうことがありましたとです。
だから私は、そういう奇跡的なことが起きたのなら布施もしないとダメですよ、と一言いったのです。
するとウナッシーさんはすぐにそれも実践されました。
まあ、その後のウナッシーさんの活躍は、このブログを見ている他の人たちも知っていることだと思います。それからたびたびウナッシーさんはコメントをくれているからです。
その中に様々な奇跡的な現象が書かれてあるからです。
このようになるわけです。そのような(前回のようなブログを読むと落着いていられなくなる)心の持ち主の人たちはです。
この神理を実践することが、その人の本当の使命であるからです。だから奇跡も起きてくるわけです。自分の本当の使命をちゃんと果たすなら奇跡は必ず現れてくるからです。(そういう人たちは前世でも奇跡を現していますから。すでにこの神理を知っているからです)
そういう使命のある人がこのブログを見ている人たちの中にはたくさんいます。それが証拠に前にこの神理を実践して奇跡が起きた人は何人もいたはずだからです。スポーツ選手などの中にです。
そういう人たちが、その後、奇跡が起きなくなったのは、感謝の布施をしなかったからです。(もう何度も書きましたがね。それはです)
だから、その後は、そこそこの成績は残しましたが(その奇跡が起きた人たちはみな実力がある人たちばかりであったから)その時、起きたような奇跡は二度と起きなかったのです。
神理を知って実践しておきながら報恩の行為をしなかったからです。
だから、そういう人たち(神理を実践し流布する使命のある人たち)がこのブログを見ている人たちの中にはたくさんいるということです。だから、そのような(奇跡的な)現象も起きるのです。
そういう人たちは前世ですでに奇跡を現しているからです。
そういう人たちが使命を果たさないから、これほどのすさまじいことが数々起きているのです。
それだけそのような人たちの使命は大きいからです。
それこそ全世界の人たちを救うほどにです。だから、日本や世界の人々に知られている人が多いのです。そういう人たちはです。
世界に正法神理を拡げてきますと、約束して生まれてきた人もいるからです。
だから、全世界がおかしくなるような、そんな災いも起きてくるわけです。その使命をまったく果たしていないからです。そういう使命のある人たちがです。
神は自分の分身として、神の心を現す神の子として、人間をこの世界に現されたのです。
神は、その人間一人一人に、それぞれ個性を与え自主性を持たせ、自分の得意分野で神の心が現れてくるよう導いているのですが、その導きの通りにいかないのが、私たち人間なのであり、だから苦しみが出てくるのです。
神の心から離れれば離れるだけ、背けば背くだけ、苦しみが(災いが)現れてくるよう仕組まれているからです。
それがどういう意味かといえばです。いくら人間を神がつくられたとはいえ、その神の子の人間を神が自由にすることは出来ないということです。
それはたとえ親子といえども親が子を自由に出来ないのと同じことなのです。
神は人間に個性を与え自主性を持たされているからです。その自主性には神といえども介入出来ないのです。
神は人間一人一人に自由を与えていられるからです。
だから苦しみもわいてきて(神の心とは正反対の)悪を犯す人まで出てくるわけです。その自由さが、そのような間違いを生み出すからです。
いっている意味が分かりますか?
だから、自分の心と行いを変えることが出来るのは自分しかいないということです。
いくら神とはいえ、それは出来ないのです。
神は、その人の周りに様々な現象を現すことは出来ます。そうして、その人を病気にすることも出来ます。あるいは殺してしまうことも出来るのです。
神はそれほどの権限を持っているからです。
しかし、その人の考えを変えることだけは出来ないのです。
なぜなら(先ほども書きましたが)神は人間に自主性を持たせ自由を与えているからです。
だから、自分を変えることが出来るのは、自分自身だけであるということです。神が自分を勝手に変えてくれることはないということです。
もう新型肺炎はドンドン広がり、感染者は増えていっています。名古屋などもまた感染者がみつかって(七十代女性)その人は肺炎が悪化して危篤状態であるとか。
しかもこの人の感染経路は不明で入院している病院内での院内感染の可能性もあるとか。
名古屋でも次々に現れて来ました。新型肺炎の感染者がです。
そうしてこの新型肺炎は、やはり風邪のように何度でも感染するのではないのかといいだした専門家も出てきました。実際、再燃か再感染か分かりませんが、新型肺炎が治ったはずの人が、日をおいてまた再発するという事例も出てきているからです。
しかし、風邪とこの新型肺炎との違いは、風邪は何度かかっても治す薬がありますが、この新型肺炎にはまだ治す薬がなく、しかも再感染すればするだけ致死率が上がるということです。(突然死や肺がダメになったりしてです)
風邪などとは比べもにならないくらい危ない病気であるということです。
だからして、この新型肺炎はサーズの様に消滅してしまわないと、その新型肺炎の新型コロナウイルスがこの世の存在する限り、その危なさはなくならないということです。
さて、ではこの新型コロナウイルスを消し去ることが出来るのは、神の力なのでしょうか?それとも人の力なのでしょうか?
この新型コロナウイルスの感染力はすさまじいまでの速さです。その速さに果たして人の力が(薬が出来るのが)追いつくのでしょうか?追いつかなければどれだけ多くの人々が、この新型コロナウイルスによってこれから滅ぼされるか知れないのです。
しかし、神の力は今すぐ正しく祈るなら、今すぐその力は現れて来ます。
しかし、一人や二人の力では、その神への祈りは届きません。大きな力には大きな力が必要であるからです。
いつまでも多くの人が神を信じなければ、神への祈りの大きな力はつくれません。
その神を信じ、正しい祈りが出来るかどうか、それは自分自身で決めるしかないのです。
いつまでも神を信じないままの自分でいてよいのですか。(その間にもドンドン新型コロナウイルスは広がっていきますが…)
そのような自分を変えることが出来るのは自分だけなのです。



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