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5月 24 2020

仏法の極意

10:00 AM ブログ

相変らずこの辺り、やたら怒っている人が多いのですが、怒っている暇があるならさっさと帰依されたらどうでしょう。

この正法神理にです。

怒っていても災いは止まりませんし、逆に怒れば怒るほど災いは現れて来ます。

その災いから逃れたいのであればこの教えに従うしかないのです。その苦しみから救われる道は、この正法神理の(善の)実践以外ないからです。

昨日もある大会社の横を通るとやたら怒っている人がいました。私がその会社の横を歩いているとガシャン、ガシャンとずいぶん大きな音を立ててきたからです。(そこはすぐにそういうことをするのです。災いが起きているとです)

しかし、その会社の人たちは私のいうことを全然きかないのです。

では、災いが止まらないからと私に怒るのはお門違いでしょう。だって、この人たちは、私のいうことを少しもきいていないからです。

私のいうことをきいていて、それでも災いが止まらないというのなら、それは私に怒るのも分かりますが(適当なことばかりいうなということでです)しかし、きいていないのに災いが起きていて、それを私のせいにして怒っていても、それは筋が違います。

だからお門違いだといっているのです。私のいうことをききもしないで、嫌がらせなど平気でしていて、そういう自分たちの間違った行いを棚に上げ、悪いことをみな私のせいにしているからです。

私は何度もいっています。神理をきいているのなら感謝して布施しないといけないとです。そうして、神理をきいているのに感謝もしないで嫌がらせなどしていたら必ず罰が当たるとです。

その通りのことが起きているだけではないですか。それなのに何で怒るのですか。私のいうことをきかない自分たちが悪いのにです。

本当になんでもかんでも私のせいにしています。この辺りの連中はです。

だからよけい悪いことが起きるのです。自分たちが悪いところは悪いとちゃんと認めないからです。

もう、そのような自分たちの悪いところを素直に認めて反省するしかないのです。そうしないと、災いはドンドンひどくなり死ぬ人も出てくるからです。

そういう人も実際いるからです。(いるはずです)

しかし、そんな天罰を食らって死んでいく人はどうなると思いますか?

昨日のウナッシーさんのコメントの叔母さんではありませんが、そのような人たちはみな地獄に堕ちるのです。そういう死に方はよい死に方ではないからです。

昨日のウナッシーさんの夢のコメントを読みましたか?ずいぶんリアルではないですか。

叔母さんが寒い寒いと身を震わせて立っていて、その叔母さんの顔を見ると真っ青で唇も紫色で、怪談映画に出ているお化けそのものであったとか。

ウナッシーさんの叔母さんは寒冷地獄に堕ちているのです。(高橋先生はそういう地獄もあるといわれていました)そういうことが実際に起きるのです。心と行いが悪いまま死んでいく人はです。

このブログを読んでいる人はずいぶん冷たい人が(愛のない人が)多いので、そのような寒冷地獄に堕ちていく人も多いのではないですか。

その心の通りの世界に死後はいくことになるからです。

あとはやたら怒っている人も多いので、逆に火炎地獄に堕ちる人もいるかもしれませんね。怒りの炎に常に包まれているのなら(怒っている人は皆そうです。怒りの炎に包まれているのです)そういう人は死後、その心の通りの火炎地獄にいくことになるからです。

まあ、どちらかの世界にいくのではないですか。特にこの辺りでこのブログを見ている多くの人たちはです。そういう極端な人が多いからです。(やたら怒っているか、やたら冷たいか)

だから、この神理を実践しないといけないといっているのです。神理を実践するなら、そういう両極端な考えは段々変わってきて中道の心になってくるからです。

中道の心にならない限り、天上界には往けないのです。

前にこのブログに書いたことがありますが、昔中国に道林禅師という禅匠がいました。

その道林禅師のもとに著名な老詩人が訪ねて来て仏法の極意は何かとたずねます。

道林禅師は次のように答えられました。

「諸々の悪をつくらず、多くの善を行い、自らその心を清くすべし、これ諸仏の教えなり」

するとその老詩人は、そんなことは三歳の童子でも知っていると、何だそれだけかと、重ねて問うたのですが、すかさず道林禅師は「たとえ三歳児でもそれを知るといえども八十の老翁でもこれを行い得ないではないか」と答えるのです。

同じことがこの辺りでも起きているのです。

仏法の極意(私のブログに書いている神理)は、それこそこの辺りは三歳の子供でも知っています。(さすがにそれは少しオーバーですが〔笑〕小学校低学年でもこの辺りの小学生は私のブログを読んでいます)

しかし、八十を超えた老人でさえこれを行い得ないのです。この辺りで私は、八十を超えた年寄りに嫌がらせをされたことなどいくらでもあるからです。

しかし、そんなことをしていては、それをしている年寄り連中はみな地獄行きなのです。

そのような行いは間違っているからです。

仏法を伝えられているにもかかわらず、少しも感謝もせず、嫌がらせをしていることが正しいはずがないからです。

仏法の(神理の)極意は「諸々の悪をつくらず、多くの善を行い、自らその心を清くする」ことなのです。

たったこれだけなのです。

しかし、そのたったこれだけのことが出来る人が、この辺りにはまったくいないとは一体どういうことなのでしょう。

分かりませんか。

だから、これだけ多くの災いが起きているのです。

この辺りの人たちは、仏法の極意を知らされているのに、それを実践できる人がいないからです。

仏法の極意を実践するなら確実に奇跡が起きてきます。それは私たちが証人なのです。

自分たちの行いを正し、多くの善を行い、心を清くされることです。そうすればその災いは起きなくなるからです。

超簡単な、仏法の極意を実践されるだけで、災いどころか奇跡が起きてくるのです。

なぜ、しないのですか?

それを実践している私たちにはそれが不思議でならないのです。

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