6月 03 2020
正しい態度
やはりそうでしたね。
昨日、先週いった六番町の辺りを回ったのですが、マンションをつくっているでかい工事現場の連中が昨日はまたガンガンやってきたのです。
先週は静かにしていたのに「一週間でよくこれだけ変わるわ」と少々呆れ、ちょうどいいと思ったのできいたのです。
「死んだ奴が出たんだろう」とはっきりです。(その方が分かりやすいからです)
そうしたら、そうきいたとたん「シーン」となってしまうのですから本当に分かりやすかったです。コロッと逝く人が出たということがです。
静かにされていたら逆に分からなかったでしょうね。この連中がしゃべることなどないからです。仮にこの工事をしている連中がしゃべっても正直に起きていることをいうとは思えないからです。
しかし、態度はごまかせません。必ず態度には出ます。いま起きていることがです。
だから騒いでくれてかえってよかったです。起きていることが分かりやすかったからです。
しかし、何でこの連中、こんなことが起きているのに嫌がらせをしてるんだろうと「そんなことが起きているのに、嫌がらせなどしていたらもっと起きてくるぜ」といったんですが、そういうことをいうとよけい怒って嫌がらせをしてきます。
こういう愚かな連中ばかりです。天罰の意味が分かっているんでしょうか?
自分たちが悪いこと(間違ったことを)をしているから起きているのにです。にもかかわらず、同じ態度を続けたらもっと天罰は起きて来ます。
ここまで天罰に対し(恐れもせず)なめた態度を取った人たちは多分、歴史上はじめてでしょう。昔の人たちなら誰も天罰など食らうなら反省したからです。(それもこんなひどいです)
しかし、天罰を食らっているのにまったく反省しようとしない。それを全部人のせいにして怒っている。気は確かでしょうか。
その間違った態度をいさめるとよけい怒ってなお嫌がらせをしてくるというのですから、こういう人たちにこの先、一体何が起きてくるのか?
ちょっと考えただけでも怖いんですが(いま現在もそうですが、その行いが死んだあとまで祟るのに)そういうことさえも考えようとしない。
本当に愚かというしかありませんが、なにか現代の人たちは天罰を恐れることがカッコ悪いみたいに思っているようですが、これほどバカげた態度もないのです。
そうではないでしょうか。そんなことが起きているのなら(コロッと逝く人や癌になる人が出ているのなら)怖いに決まっているのに、それを無視して強がって嫌がらせをし続けたところでです。
そんなの誰が見たって無理していることは分かるのです。それなのに、怖くないふりだけしてやせ我慢して無理やり嫌がらせをし続けていますが、これほど見苦しい態度もないのです。(また、これだけ危ない態度もです)
それが全然分かっていない。本当に哀れです。
怖いなら怖いと正直にいって、頭を下げた方がよほど正直で男らしいのにです。そちらの方がよほどカッコいいのに、現代の人たちは、本当のカッコよさ、そうして男らしさを知らないようです。
なにか、そのような見苦しい女の腐ったような態度が(こういう書き方すると、今は男女差別とか何とかいわれるんですかね。〔苦笑〕くだらない。昔はよくこういういい方をしたのにです。男と女は性格が元々違うんですから分かりやすくていいのです。こういう言い方もです。〔男女平等とかいって男と女を一緒くたにしている方がよほど間違っています〕男らしさどころか優しい〔はずの?〕女性よりさらに意気地がない最低の男という意味です)男らしいと勘違いしているようです。
そんなわけないでしょう。怖いものは怖いと、そうして自分たちが間違っていたのなら間違っていたと、正直にいって頭を下げた方がよほどカッコよくて男らしいのです。
それが本当の男であり、昔の人(男)はこういう人が多かったのです。自分が間違っていたと分かったのなら、素直に頭を下げる、男らしい真の男がです。
しかし、最近は女らしい女も減りましたが、男らしい男も本当に減りました。
これも男女平等、同権などというバカげた左翼思想がもたらした悪弊以外のなにものでもないのです。(こういう間違った思想を広げた左翼の連中も死後はみな地獄に堕ちます。こういう連中は地獄に堕ちても権力闘争をしているそうです。左翼は安らぎを知りません。とにかく揉める闘争ばかりを繰り返しています。だから、そういう人ばかりがいる世界に堕ちていくのです)
だからこんなカッコ悪い見苦しい態度を何年にもわたって続け(そういう態度が正しいと思って)多くの人がドンドン天罰を食らっているというのですから、目も当てられません。
そのような見苦しい態度は間違っているのです。
だからこれだけ悪いことが(災いが)起きているんでしょう。自分たちの態度が間違っているからです。
ではもう素直にそれを認めて頭を下げるのが、人としての正しい態度でしょう。
しかし、それをする人が一人としていない。それではこれだけの災いも起きるわけです。ということは、この辺りは一人として正しい態度を取る人がいないということであるからです。
正しい態度とは、これだけ起きてくることが違うのですから、もう自分たちのこれまでの間違いを認めて反省し、そうして神理を教えてくれてありがとうございますと素直に頭を下げ、心からの感謝の布施をするということです。
そのような態度こそ正しい態度であるのです。
この辺りの多くの人が、それを行うなら一変にこの辺りで起きている災いは止まります。
しかし、誰もそのような正しい態度を取ろうとしない。だから止まらないのです。この辺りで起きている災いはです。ひどくなる一方なのです。
間違いを間違いと認めず(知らず?)多くの人がいつまでたっても間違った態度を取り続けているからです。
私は昨日は六番町にいく前に少し堀川をのぞいていましたが、昨日などもうたくさんの小魚たち(細かい魚たち)が水面まで上がって来ていました。
昨日の堀川はもう凄い数の小魚たちがあちこちで泳いでいたのです。
「今日はまた凄くいるな」と思って「お前ら元気か」と声をかけるともうあちこちから小魚たちが浮いてきて、あちらに黒い塊が(細かい魚たちが固まって水面まで上がってきますので)こちらにもまた黒く大きな塊が、もうそこらじゅうに出来ていて、そうかと思うと私の目の前に黒い長い(二~三十センチくらいの幅の)線が出来て来て、それが段々長くなっていきます。
その黒く長い線とは細かい魚たちが固まって泳いでいて、それがずっと長い線になっているのです。
もう凄い数の魚たちが目の前を次々と泳いでいきます。
その魚たちに声をかけていると私の前でピチャピチャ跳ねるのもたくさんいて、可愛いものです。
その目の前の魚たちばかりに気がいっていると、あちらでザバン、こちらでザバンという音がきこえてきます。
「ン?なんだ」と思ってそちらを見ると、黒い塊になっている小魚たちが一斉に跳ねているのです。そうするとそこに波が立って、その小魚たちが一斉に跳ねる波の音が堀川のあちこちからきこてくるのです。
まるで、あちらの小魚たちやこちらの小魚たちが、こちらも見てくれといわんばかりです。
そういう光景が私の目の前の堀川のあちこちで展開されているわけです。
凄い光景といえばいえるでしょう。すさまじい数の小魚たちが(数千、数万、数億匹の)あちこちで泳いでいて、そうしてそこらじゅうで飛び跳ねているということだからです。
正しい態度を取るならこういうことが普通に起きて来ます。つまり正しい態度を取り続けているのなら愛ある光景にしょっちゅう巡り合えるということです。
間違った態度を取り続けるなら、間違った現象がドンドン現れて来て心は不安になり不幸になります。しかし、正しい態度を取り続けるなら、愛ある現象がドンドン現れて来て心は安らぎ幸福になるのです。
どちらがいいのかは申すまでもないでしょう。
しかし、自分たちが正しさに目覚め、そうして自分で自分の間違った態度を正しく変えない限りは、絶対に幸福にはなりません。間違った態度を取り続けている限りは不幸が続くということです。
すでにこのブログを見ている多くの人たちは、正し態度がどのようなものなのかは知っているはずです。
しかし、多くの人がその正しい態度を取ろうとしない。しかし、正しい態度を取らない限りは絶対に幸福になることはない。
さてどうしますか?
それでもまだ間違った態度を取り続けるのですか。それだけ愚かな行いもないのです。
(こうしている間にもドンドン不幸は起きるのです。〔例えばどこかの会社などです〕反省して正しい態度を取るなら、不幸は即座に止まり幸福が現れてきます。それでもまだし続けるのですか?間違った態度をです。〔頑張るところが違うと思うんですけどね…〕)



人目の訪問者です。

新型コロナの第二波ですかね、これでまた世間は自粛だの予防措置だのと心に負担がかかって来るのでしょう。しかし、それを重荷とても言い換えれば早く下ろした方が楽になり、日々身動きも軽快になると思うのですがね。昨日も家内と接している時に、少し気に入らない事があると人が入れ替わった様に不機嫌になったのです。いつまでそうした事を繰り返すのかと愛の眼差しで見ていましたが、それも反省をすれば良いことであり、これまでも幾度か繰り返してきたことであり必ず後になって後悔してあるのに、これではいけないといつ気付くのだろうとみています。本人が気付かない限りは仕方ないのですが、そうした自分が好かないと感じては、それも本人の心の重荷になっているということです。
そうですね。奥さんも早くこの神理を知ってもらえればと心から思います。