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8月 09 2020

神を信じた正しい判断

10:54 AM ブログ

昨日でも朝もはよから怒っていました。どこかの会社などです。

そうして、その日一日怒っていました。よくああも毎日怒っていられますよね。この会社などもう毎日何か起きているようだからです。

しかし、怒りより先に怖くはないのでしょうか?次は自分に何か起きるかもしれないとか思わないんですかね。この連中はです。

本当に不思議ですね。この辺りの人たちは、そういう発想の人たちばかりです。(大人から子供まで)何で怖がらず怒っているのでしょう。

怖くはないのでしょうか?癌になるような人がドンドン出ているにもかかわらずです。

普通であるならです。こんなことばかり起きれば怒りより先に恐れがくるはずですが(または絶望ですか。もう自分がいつ癌になるか知れないなどと思ったら先がありませんもんね。普通は絶望しますよね)しかし、この辺りの人たちは全然恐れません。

本当に頭がおかしいのではないでしょうか。もうボンボン災いが現れているにもかかわらず、それをまったく恐れようとしないからです。

恐れるどころか災いに対し怒っているだけだからです。

そのような傲慢な態度がよけい災いを呼んでいるのです。正しい態度を誰も取ろうとしないからです。

だいたい態度がおかしですよね。この辺りの人たちは誰もです。

普通であるならこんなことが立て続けに起きれば、恐れおののいてお経を上げるだの、お祓いをするだの、もう少し焦ってもいいはずですが、この辺りの人たちは焦るどころか、それを私のせいにしてただ怒っているだけです。

それで最近などもうこの辺りは、ひどい災いがボンボン現れているようなのですが(そういうところが多いようなのですが)それでもそれを私のせいにし続け(バカの一つ覚えか、と突っ込みたくなりますが。〔苦笑〕)何一つ自分たちの態度は変えようとしない、バカじゃないでしょうか。

態度を変えれば起きてくることは変わるのにです。態度をいつまでも変えようとしないから、いつまでも同じ(恐ろしい)ことが起きているのにです。

だからもう気づいたらどうでしょう。私のいうことをきかないから悪いことが起きているとです。そうして私のいうことをきくなら、その悪いことは起きなくなるとです。

それが事実であるからです。どれだけ認めたくなくてもです。

しかし、それだけ災いが起きているのならです。(どこかの会社を筆頭に、そういうところがいくつもあるようですが)普通であるなら、もう同じ態度はやめようと誰だって思うはずですが、この辺りの人たちの多くは(そこもほんと不思議なんですが)どれだけ災いが起きてもです。

嫌がらせをやめようとしません。私の顔を見れば嫌がらせです。(これもまたどこかの会社を筆頭にいくつかの会社や運転手連中など)それでまた災いが起きる、その繰り返しなのです。

そういうことをし続けているところがいくつもあるのです。

分からないのでしょうか?そういうところは、その嫌がらせをやめない限り、災いは止まらないとです。止まらなくてもいいのでしょうか?それよりも悔しさが先に立って、それでやめられないのでしょうか?

しかし、災いが起きてくるより嫌がらせをやめた方がよほどいいと私は思うんですが、そうして、それだけでは災いが止まらないということであればです。(そういうところがほとんどでしょうが。ずいぶん悪いことをしていますから。こういう連中はです)

それこそ、頭を下げて布施した方がいいと思うんですが、そのような災いが起きるだけでも不幸なのに、その災いでもし自分が命を落とすようなことでもあればです。

地獄に行かなければいけないということももう分かるはずであるからです。

そういうことを私はすでに何度もいっているからです。

私のいうことはずいぶん当たっています。もう信じてもいいのではないですか。それを信じようとしない人たちにこれだけ災いが現れているからです。そのような災いが現れることが証明なのです。

私のいうことを信じないといけないというです。

しかし、未だ多くの人たちは私のいうことを信じようとしない。だからバカじゃないかといっているのです。

私のいうことを信じ行うなら救われるのにです。しかし、信じないから(そうして私のいうことに従わないから)不幸が起きているのにです。

しかし、それをいつまでたっても認めない。その通りのことがこれだけ起きているにもかかわらずです。

その通りのことが起きているのですから、これだけ正しい話もないはずですが、それが分かっているのに、それでもその事実を認めず、逆らい続けている。

では、その災いは止まりません。私のいうことをきかないからです。

私の(神理を説いて奇跡が起きている者の)いうことをきない限り、災いは止まらないからです。

しかし、昔の人たちなら(何度もいいますが)こういうことが何度も起きて来たのなら、もう奇跡が起きている者のいうことを信じ従ったのです。だから救われたのです。災いもおさまったのです。

その奇跡が起きている者のいうことこそ唯一正しいことであったからです。

だから災いが止まらないのです。その奇跡が起きている者以外の人のいうことは、間違っているからです。(いっていることにどこか一ヶ所でも間違いがあれば、それは正しいとはいわないからです。すべて正しくないと正しいとはいえないのです)

少なくともです。いま起きている災いについて、正しいことがいえるのは、神理を説いて奇跡が起きている者(私)だけなのです。

その者がいっていることが正しいから奇跡が起きているからです。その起きている災いは奇跡でないと(奇跡が起きて来ないと)止まらないからです。

だから、奇跡が起きている者のいうことをきかないといけないというのですが、しかし、現代の人たちは、その唯一正しいことをいって奇跡が起き続けている者のいうことを無視し、同じ間違いを(同じ態度を)し続けています。

だからいつまでたっても災いが止まらないのです。増えてくるのです。間違いをし続けているということは、ドンドン心が退化しているということであるからです。(間違いをし続ければ当然心は退化しいきます)

心が退化すればするだけ災いは増えてくるからです。(だから逆に心が向上すればするだけ奇跡も増えて来ます。釈尊、キリストがよい例です)

何で、災いが(必ず)起きるのに、神理を説いて奇跡が起きている者に嫌がらせをし続けているのですか?

何で、災いが起き続けているのに、神理を説いて奇跡が起きている者のいうことをきこうとしないのでしょう?

それでは災いは止まらないのです。

いい加減、まじめに考えませんか。いま起きていることをです。あまりに軽く見すぎているのです。現代の人たちは、その起きている災いをです。

だから私のことも、私のいうことも、そうして私に起きていることも軽く見ている。(見すぎている)私のいう神という言葉を信じないからです。

しかし、昔の人たちは、その神という言葉を重く見て、起きていることを真剣に考え、そうして従ったのです。

そのような奇跡が現れる人にです。皆、神を信じていたからです。

それが唯一の正解であったのです。だから、救われていった。昔の多くの人たちはです。

神を信じ、正しい判断が出来る人が多かったからです。

しかるに現代の人たちはあまりに間違った判断しか出来ない人が多い。

神を信じない人が多いからです。(もうそこから間違えています。だから神を信じないということは最初から間違えているということなのです)

それがこれだけ多くの不幸を呼んでいるということです。神を信じない人が多いがためにです。

しかし、もう神を信じて、正しい判断をしないといけない時が来ています。いつまでも神を信じないばかりに、どれだけ多くの災いが起きているか知れないからです。

実際、そのような災いがもうすさまじい勢いで起きているからです。

さすがにもう、それが分かるところまで(分からないといけないところまで)来ているのではないでしょうか。いくら神を信じようとしない現代の人たちであってもです。

この災いは多くの人の間違った判断(考え)によって現れて来ているものです。

もう神を信じて正しい判断をされませんか。そうすれば、その起きている災いは起きなくなるからです。

神を信じれば多くの奇跡が現れて来ます。奇跡が起きている者のいうことをきいてはどうでしょう。

そうすれば多くの人たちが救われていくからです。

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