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8月 20 2020

天に逆らっている何よりの証拠

10:41 AM ブログ

もう真剣に考えたらどうでしょう。

昨日もあるところを通るとやたら怒っている会社がありました。そういえばここは数日前に通った時にガチャンと音を立て嫌がらせをして来たとこでした。

それで、それをして来た人に私は散々いったのです。

そのままでは必ず罰が当たるから、感謝して布施してくれとです。そうすれば罰が当たることはないとです。しかし、もしこちらのいうことをきかないのなら必ず罰は当たるから、それでもいいのなら無視するといいとです。

だからこちらのいうことを無視するならするでいいが、そのかわり何か悪いことが起きても絶対にこちらのせいにはしないでくれよと、嫌がらせをしたそちらが悪いんだからなと、そういう話をくどいくらいいったのですが、この辺りで私のいうことを素直にきいた人などいないのですから、そりゃその人もきかないでしょう。

それで昨日、その場所を通ったらまたガチャンとやられて(それもずいぶん離れていたところからです)やはり起きたなとピンときて、これは相当怒っているなと思って「だからいったじゃないか。そのままでは罰が当たると。だから感謝して布施してくれと。そうしたら罰は当たらないからとくどいくらいいったのに、それを無視したのはそっちの方だろうが」といったのですが、もう聞く耳を持たないようで、何か起きた本人かどうかそれは知りませんが、怒ってガチャンガチャンやりまくっています。

それで続けて「こちらではどうしようもないんだよ。鳥が寄ってくるのと同じで、こっちに嫌がらせしてくれば罰が当たるし、感謝して布施してくれれば奇跡も起きる。そのどちらもこちらでは止めれないんだ。全部そちらの行い次第だからな」ともいったのですが、もうこの連中、自分たちが悪いとは絶対に認めないようで最後まで怒りまくっていました。

何でこう理解しないのでしょう。誰もです。こんな態度ではまた罰が当たることになります。(今頃また当たってませんか。この連中に罰がです)

何で冷静に考えられないのでしょう。もう何度こんなこと起きているか知れないからです。私の周りではです。

もうそのようなことはこの辺りの人たちなら誰でも知っているはずです。私に、嫌がらせなどすれば罰が当たる(災いが起きる)とです。

それを承知でしているのではないのでしょうか?それとも、そうではなくてただ意地でしているだけなんでしょうか?(運転手連中もそうですが)

だから、何か災いが起きると怒る…だとしたら、相当のバカですね。

本当に罰が当たるのに、単に意地だけで罰当たりな行いをし続けているほどバカな行いもないからです。そういう人たちはその罰が当たっているという意味が分からないのでしょうか。

そんなことどう考えても人がやれることではないのです。

じゃあ、誰がしているのですか?誰が現すのでしょう。そのような災いをです。

神が、天が、現しているんですよね。そのような災いをです。人が(私が)出来ることではないからです。

では、怒って罰当たりな行いを続けているということは、その人は神に(天に)怒り、天に嫌がらせをし続けている(逆らい続けている)ということになります。

そういうことであるならです。

そういうことをし続けている人は、段々やることなすこと悪い方向へいき、そうして最後には哀れな死に方をして、死後は地獄に堕ちるということになります。

天に逆らい続けているのなら、そのような人生を歩むことになるのは必然だからです。決して幸福な人生は歩めないはずであるからです。天に逆らっていてはです。

だからもし、そのような人たちが(私に嫌がらせをし続けている人たちが)そのような人生を歩んでいるのなら、そのような人生こそ、何よりの証拠なのです。

自分は天に逆らっているというです。

天に逆らっているから、罰も当たるのだし、段々運命も悪くなっていくのだし、最後には哀れな死に方をするのです。(そうして、その後地獄にも堕ちる)

天に逆らう人生とは、そういう哀れで悲惨なものであるからです。

だから、もし自分がそのような人生の途中であると気づいたのならです。(どう考えても罰が当たっていると、そうしてどう考えても運命が悪くなっているとです)自分の考え方の間違いに早く気づいて(悪いことを私のせいにしている間違いに早く気づいて)天に従うことです。(私のいうことに従うことです)

そうすれば、その人の人生は段々よくなって来て、奇跡も現れだすからです。そうして大往生も遂げることが出来、天上界にも昇れるからです。

しかし、その自分の間違いを認めず間違った考えを押し通すなら、先ほど書いた通りの哀れで悲惨な人生を進むことになり、哀れで悲惨な最期を遂げることになるのです。

実際にそうなっている人がこの辺りにはたくさんいるのではないでしょうか。この近所の人たちなど見るとそうなっていると思われる人がたくさんいるからです。

だからいっているのです。もう真剣に考えてはどうかとです。起きて来ていることをです。

いま私の(神理を説いている者の)周りで起きていることはどう考えても人が起こしていることではないからです。

天が起こしていることであるからです。

では、私に逆らうということは天に逆らうということになり、だから逆らっている人ほとんどすべてが不幸になっているのです。

天に逆らっていて幸せになった人などいないからです。

だから、私に逆らっている人たちは、私にではなく天に逆らっているからドンドン不幸が起きてくるのであり、その起きてくる不幸が自分が天に逆らっている何よりの証拠であるのであり、では、天に従うのなら、その起きてくることは変わります。(もちろん不幸から幸福へです)

せっかく、天に従う方法がここに書かれてあるのです。そうであるなら従いませんか。

その天にです。その方がよほど幸福になれるからです。

ドンドン不幸になる人が現れています。なぜでしょうか?

それは、そういう人たちが天に従うということを知らないからです。

天に従うなら幸せになれます。その天に従う方法が正法神理の実践なのです。

追伸…祈りを変えたら、やはり起きてくることが変わるのでしょうね。急に態度を変えるところも出て来たからです。(ほんとどこかの会社など分かりやすいです。急に態度が変わりますから)

ここ一日、二日で何が起きたんでしょう?まさかコロコロ人が逝きだしたとかそういうことはないでしょうね。

もしそんなことが起きて来たのならまた教えてくださいね。(まあ、いわなくても教えてくれるでしょう。態度でです。〔苦笑〕)

しかし、神理を知ったのなら感謝くらいはした方がいいでしょう。それはどの人であってもです。(だからそれが総理大臣であろうとどこの国の大統領であろうとです。そういうこの世の地位名誉など神理には何の関係もないからです)

昔の人たちは誰も神理には感謝したからです。その感謝を一切しようとしない現代の人たちの方がおかしいからです。

だから、これほどの災いも現れてくるのです。平気で神理を無視している人が多いからです。

もうこれからは自分は関係ないではすまなくなります。私のいうことを無視し続けているなら、その災いは無視しているその人自身に現れてくるからです。

そういう祈りをしているからです。そうしてそのような神理の祈りは必ずきかれるからです。

神理をきいたのならちゃんと感謝してください。

それが天地開闢(てんちかいびゃく)以来の神の子の人間の常識であるからです。

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