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9月 15 2020

罪の重さと正しい基準

10:55 AM ブログ

ずいぶん出ているようですね。どこかの会社など災いがです。昨日も夜まで怒っていましたから。そうして今日も朝からお怒りなんですが……ずいぶん腰が引けています。(もうすぐに分かります。態度にすぐ出るからです)

これは……また出ていませんか。コロッと逝く人がです。(朝もはよからカーンとかしていましたし)だとしたら怖いですね。本当にこの会社、滅ぼされつつあるからです。

前に障害者施設で数十人もの人を殺傷した事件がありましたが、ああいう事件を起こした犯人もです。

その時、多くの人を殺したり傷つけたりしたのですから、それ相当の罪を負うのはこれは当然のことでしょう。多くのかけがえのない人の命を奪ってしまうのですから、その罪の重さは計り知れないからです。

しかし、どこかの会社の連中などはです。人の命は取りませんが、ほぼ毎日でかい音を立て嫌がらせをし続けているのです。私に対してです。

もちろんそのでかい音は私だけではなく、周りの多くの人たちにもきこえているわけで、ということは、この連中はほぼ毎日私だけではなく、周りの多くの人たちにも同じような嫌がらせをし続けているということになります。

では、この連中、ずいぶん大きな罪を負っていることになりませんか。

この連中は結果的には凄い数の人にほぼ毎日、嫌がらせをし続けているということになるからです。

そうであるなら、この連中の罪は一体どういうことになるのでしょうか?

この連中は会社がやっている時はほぼ毎日、私に対しでかい音を立て続け嫌がらせをし続けているのです。それがもう十年にもなるのです。(正確には十年以上ですね)

その間この連中の嫌がらせの数を数えるなら、もうどれだけ多くの数の嫌がらせを私に対してしているか知れないのです。

しかし、その嫌がらせは私だけではなく周りの多くの人たちにも同時にしている。

では、この会社の連中の罪はどういうことになるのでしょう?もし、一つ一つの嫌がらせが罪になるのだとしたらです。

どれだけ多くの罪をつくっているか分からないということになります。凄い数になるからです。この連中のこの十年以上にわたる嫌がらせの数はです。

実はこの嫌がらせは罪になるのです。もちろん日本の法律には引っかかりませんが。しかし、心の法律には引っかかるのです。

だから、この連中にこれほどの災いも起きるのです。そのしている嫌がらせは一つ一つすべて罪になるからです。

だからこれだけ天罰もくだるのです。嫌がらせが罪になるなら、この連中はどれだけ多くの罪をつくっているか知れないからです。

前にも書きましたが、心の世界の基準は「良心」なのです。だから、その良心に照らし合わせてみれば分かるはずです。嫌がらせが善か悪かはです。

良心に照らし合わせれば当然嫌がらせは悪です。では、この連中にいいことが起きてくるわけがないのです。

どこかの会社の連中は、これだけ多くの(それこそ計り知れないほどの)嫌がらせという悪を多くの人に長い間し続け、未だ罪をつくり続けているからです。

では、心の世界から観たらです。先ほど書いた障害者施設を襲った者と、どこかの会社の連中と一体どちらの罪が重いのでしょうか?

これは比べるまでもないのです。もうはるかにどこかの会社の連中の方の罪が重いからです。

それほどすさまじい罪をどこかの会社の連中はつくっているということです。

だからこの連中はこれほどの天罰も(コロッと逝くような死刑までも)食らうのです。もし、障害者施設を襲った者の方が罪が重いのなら、その者にはこの会社の連中以上の天罰がくだらないといけないからです。

しかし、その犯人に天罰がくだったという話はききません。(今もピンピンしているんでしょう。刑務所でです)

それは本当の善悪の基準は心の基準であるからです。

だから、良心に照らし合わせてよりひどいことをしている人たちの方が罪は重いのです。(だから、殺人を犯すより、ストーカーなどしてより長く被害者を恐れさせる方が罪は重いということです。だからといって決して殺人の罪が軽いといっているわけではありません。もちろん殺人の罪も重いですよ。人の命を奪ってしまうのですから。しかし罪の重さだけ見るなら、そのようにより長く心を悩ませた人の方が罪は重いということです。この殺人ということでもう一つ書いておきますが、最近有名人の自殺がよく話題になりますが、自殺も殺人です。〔自分で自分を殺すのですから〕だからこれもまた大きな罪になります。だから自殺する人は百パーセント地獄に堕ちます。救われる道は必ずあるのです。神にさへ頼ればです。自殺する前にまず神を信じ祈ることです。〔というか、この神理に帰依すればいいのです〕そうすれば必ず道は開けてくるからです)

そうであるなら、なぜこの辺りの人たちが天罰をよく食らっているのかも分かるはずです。

それだけ罪が重いことをしているということです。この世の法律には引っかからなくても、心の法律には(良心には)引っかかるようなことばかりしているから、次々に天罰を食らうのです。(神理をきいているのに感謝もせず嫌がらせばかりしているのですから、そりゃそうでしょう)

そのような態度を直されたらどうですか。本当の正しい心の基準が分かっているのはこの正法神理だけだからです。

だから、次々にこちらに奇跡も現れてくるのです。正しい基準が分かっているからです。

だから、嫌がらせはもちろんですが、人の悪口をいったり、人に分からなければいいと悪いことを陰でしていたり(よく話題になる芸能人の薬物などもそうですが)いま皆がネットでしているような匿名で人のことをボロカス書くような行為などもすべてです。

すべて罪になるということです。だから分からないからいいと、そういう悪を平気でしていると後で泣くことになるということです。そういう人たちは全員です。一人の例外もなくです。自分がつくった罪は自分で償わないといけないからです。

善悪の正しい(本当の)基準とは良心なのであり、その正しい基準に沿って正しい行いをしているのなら、その人に不幸が起きてくることもなく、幸せな人生を送ることが出来るということです。

しかし、人は仮にそのような基準を知っていたとしても、なかなか、その基準を守ることが出来ません。

だから、正しい信仰が必要なのです。その信仰が、その正しい基準を守ることの後押しをしてくれるからです。そうして、それプラス神の力もいただけます。

私など昨日は庄内川にいったんですが、川のすぐそばまでいって呼びかけていたら(お前らいないのか、とです)川底から白いものがチラチラと見えだして「ん」と思っていたら、その白いものが段々増えて来て、それは魚の腹であることが分かり(だから、魚たちが反転しながら〔わざわざ白い腹を私に見せながらです〕川底から上がって来ているのです)そのうちにたくさんの魚たちが私の前で泳ぎ回り、大きな魚も数匹くらい寄って来て、目の前の川がずいぶんにぎやかになりました。

そのような魚たちに気を取られていてふと横を見ると何匹もカニも出て来ていて、いつの間にか、周りもずいぶんにぎやかなのに気づきました。

もちろん鳥たちもあちこちから飛んできています。(サギなども「ギャー」とか鳴きながら飛んでいきました)このような神の愛の力が私には毎日現れて来ます。

こんな感じで楽しいですよ。この神理を実践しているとです。(そうして私に嫌がらせしてくる人たちには毎日天罰がくだってです。これもある意味楽しいです。〔苦笑〕ザマーミロとか思ってです……本当に哀れな人たちです)

天罰ばかり食らっている人生と、こういう愛の現象が毎日起きる人生と一体どちらが楽しいのでしょうか。またどちらがより実りのある人生なのでしょう。

まだ分かりませんか?自分たちがどれだけ回り道をしているのかということがです。この正法神理の道をまっすぐ進むならこれだけ幸福で、楽しく、実りある人生もないのです。

しかし、その道から離れれば離れるだけ、不幸で、険しく、中身のない人生となります。

早く気づいてください。正しい道をです。正しい道をいくなら、幸福で楽しく実りある人生を送れるからです。

そうして、そういう人生を送った人だけが、死後、天上界に昇れるのです。

今の自分の人生は楽しいですか?(もちろん心からですよ)愛ある奇跡が起きて来ますか?そうして充実はしているのでしょうか?

その送っている人生で、自分のしていることの善し悪しは理解できるのです。

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