9月 16 2020
滅びの道
昨日は堀川から六番町の辺りを回ったんですが、怒っている人たちばかりでしたね。これまで怒っていなかったところまで怒り出しています。
それで気づいたんですが、これはどこかの会社だけではありませんね。もうそこらじゅうの人たちが(会社や現場が)進んでいるのではないですか。滅びの道をです。
だから怒っている人たちばかりなんでしょう。そういう人たちが次々に滅ぼされていっているからです。
よく考えてみればそれはそうですよね。この辺りの人たちは、みな神理をきいていながら誰一人感謝しないんですから。嫌がらせしかしないのですから、滅びの道に導かれるのも道理でしょう。
それでなくても滅びていっているのです。(日本全国でも激しい天変地変や様々な病気などで)では、こちらなどそれに輪をかけたようなことは当然起きてくるでしょう。
神理に露骨に逆らっている人が多いからです。それでは、多くの人が滅びていくのを止めようがないからです。(このような日本で、唯一救われる教えである正法神理に露骨に逆らっているのです。こちらの多くの人たちはです。では滅びるのに拍車がかかるのは当然でしょう)
だからそのような恐ろしい現象がドンドン増えてくるのです。多くの人が自ら滅びの道を凄い勢いで進んでいっているからです。自分たちが気づいていないだけでです。
だから止まらないのです。こちらなど特に多くの災いがです。止まるどころか、ますます増えるのです。
自分から進んで滅びの道に進む人が多いからです。(どこかの会社など今日は昨日以上に引いています。もはや相当やばいです。〔汗〕)
この状況ではどう考えても『神の国は近づけり悔い改めて福音を(神理を)信ぜよ』しかないと思うんですが、どう思いますか?
特にこの辺りの人たちなどはです。
それともまだ「お前のせいでこうなった」と私に嫌がらせをし続けますか?これだけ災いが、というより滅んでいく人が増えているのにです。
昨日や一昨日(その前もそうですが)私に嫌がらせをした人たちは大丈夫ですか?
すでに天罰がくだっている人がいるのではないですか。(いるでしょうね。絶対)まだこれからドンドン出てくると思いますよ。天罰がくだる人がです。もうこちらも分かるからです。
明らかに前より、その天罰がくだる率が上がっているということがです。
私に嫌がらせをしたところは(会社や工事現場など)ずいぶんたくさん何か起きている様だからです。その次に通ると同じ態度を取るところは皆無だからです。というか、ほとんどのところがもうドン引きしているからです。
従ってはどうでしょう。この神理にです。
もう災いが起きているところはこの辺りだけではないからです。すでに全国ですさまじい災いが激しく起き出しているからです。
その激しい災いを防ぐことが出来るのはこの正法神理以外ないのです。この神理さへ実践しているのなら、奇跡は起きても災いなど起きては来ないのです。
もう信じてもらえませんか。私のいうことをです。
ですから、災いばかり起きているところは(特にこの辺りはそういうところが多いようですが)一度、この神理を説いている私にです。
感謝して布施してみてはどうでしょう。それで災いが止まるなら安いものだからです。
多くの災いが起きるよりはよほどマシだと思いますがどうでしょうか。少々布施するくらいのことはです。
もちろん、イヤイヤ布施されても意味がありませんが(それでは災いは止まりません)少しでもこの神理に対し感謝の心があるのなら、そうして救われたい心があるのなら、そのような心で布施されることです。
そうすれば、その人は必ず救われるからです。
それともまだいろいろあがきますか?何をしたってもうその災いは止まらないのにです。
怒ろうが、泣こうが、わめこうがです。またどんな有名なパワースポットなどいってパワー(?)をもらおうが、高名な坊さんに祈ってもらおうが、どれだけお祓いをしてもらおうがです。
その災いは止まりません。
この神理に感謝して布施する以外ないのです。その災いを止める方法はです。
それが唯一正しい行いであるからです。あとはすべて間違った行いであるからです。
感謝して布施しただけで災いが止まる、それほど偉大な力を持っているのです。この正法神理はです。
南の海にまた雲がたまり出しているようですね。今日くらい台風になる雲が出てくるようですが、今回の台風は幸いこちらには来ないようです。
しかし、今のようにまだこのブログを見ている多くの人たちが、私のいうことを無視し続けるなら、その辺りに出来た台風は必ず日本に向かってきます。
もうききませんか。神理を説いてこれだけ奇跡が現れている私のいうことをです。
私のいうことを信じて、少しでも感謝の心があるなら、そうして救われたいという心があるのなら、その心で布施してください。
そうすれば必ず奇跡は起きるからです。
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追伸…昨日のブログで良心のことを書きました。
その良心のことで園頭先生が正法誌に書かれていたことですが、私たちは死ぬとまず収容所のようなところにいって、そこで、その良心に従って生前して来たことの反省をするそうです。(あの臨死体験をした人が、自分の一生を一度に観たとかいわれるあのような体験です)
そうして、良心を基準にして生前して来たことで善が多い人は天上界にいき、悪が多い人は地獄界にいくことになるそうです。
それは自分自身で決めることになるのですが、その時に立会人がいて、その立会人を菩薩がするそうです。(だから当然ではありますが嘘やごまかしは出来ません)
もちろん、その立会人の菩薩はニコニコ顔でその人を迎えるのですが(そうして、いろいろ質問されるそうですよ。その菩薩からです。〔「あなたは生前何をして来ましたか?」とか「どういう愛の行為をされましたか?」とかです。愛や慈悲の行いについてきかれるそうです〕その時、答えに窮するようでは地獄行きです)しかし、その時この世で悪いことばかりして来た人などは、その菩薩の顔が怒っているように観えて怖くて仕方がないそうです。(自分のこの世で悪いことばかりして来たその後ろめたい心が作用するのでしょう)
そのようなことから、その立会人の菩薩のことを閻魔大王のように観える人もいて、それで、死ぬと閻魔大王がいて、自分が地獄に行くか極楽に行くか裁かれる、という話も出て来たようですが、そういう話もあながち間違ってはいないのです。
それに近いことは死ぬと体験するからです。(ただ、その話と現実の違いは、実際は閻魔大王〔菩薩〕が裁くのではなく、自分自身の良心で自分自身が自分を裁くということです)
だからいっているのです。良心を基準に生活をしていかないと後で困りますよとです。そうしないと、どちらにしても(良心を無視して生活していると)死ねば確実に地獄に堕ちるからです。
そのような正しい生き方の指針がこの正法神理なのです。(そうしてこれまで犯してきた間違いの罪を、きれいさっぱり落としてもらえるのも、この正法神理の反省だけなのです)
このようなすさまじい状況になって来てやらない手はないと思いますが、いかがでしょうか。
やれる範囲でよいのでされてはどうでしょう。この正法神理をです。
そのされた分は確実に救われていくからです。