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9月 23 2020

苦しみを与えれば苦しみが 愛を与えれば愛が

10:00 AM ブログ

早速、布施をいただきましたが、しかし、その方はもう何度も布施をいただいている方です。

たとえ、そういう方でもです。布施をもらえるということはそれだけ愛の行為を行っているということになりますので、その分、災いは減るのでしょうが(台風十二号がずいぶん離れたところを通る予報に変わったのはこのせいでは?)しかし、そういうことをしたことがない人が神理に対し愛の行為を行うなら、その愛の行いの価値はより高くなります。(これまでしたことがない分です。その分、多くなるのです。愛の量がです)

そういう方の布施をいただきたいのです。そうすれば大きな台風は来ないからです。

どちらにしてもです。いま現在ボンボン天罰を食らっているような人たちが、その天罰を止めるには、自分の心と行いを変えるしかないのです。

そういう人たちはもう布施をするしかないということになります。自分で愛の行為を行わなければ自分に愛の行為は返って来ないからです。自分に愛の行為が返って来なければ、それだけ行いの悪い人たちは災いしか起きないからです。

昨日も夕方帰ってくると烈火の如く怒っているのがいましたね。どこかの会社の連中などです。出たんでしょうね。恐ろしい病気がです。(だから今日も朝から怒っています)昼間やかましいことを平気でしているのです。仮に自分が病気をしたくらいでその罪が許されるとでも思っているのでしょうか?

本当に考えが甘いのです。そこから苦しみが始まるのです。(自分が人に与えた苦しみのお返しがです)そういう苦しみをこの者たちは、周りの人たちに毎日与え続けているからです。

人に与えた苦しみは当然自分自身に返って来ます。この連中は周りの多くの人たちに苦しみを与え続けているのです。自分が病気で苦しむ程度ではそのお返しは終わらないでしょう。

本当に哀れなんですが、そういう哀れな人たちがこの辺りにはたくさんいます。しかし、人に苦しみを与えるのなら、その分自分も苦しまなくてはいけなくなります。

愛を与えてはどうでしょう。

人に愛を与えるなら、自分にもその愛は返ってくるからです。

昨日歩いていて、そういえば最近は家の前に立っている爺さん婆さんがいなくなったなとふと思いました。

しばらく前まではです。私が歩いているとよくあそこの家とかこちらの家とか同じ家の前に爺さん婆さんが出て来ていて、私が通っていくと必ず嫌がらせをして来たものでした。

そういう爺さん婆さんが回る場所によって必ず何人かはいたのです。それこそ私が歩いてくるのを待ちかまえていて嫌がらせをしてくるような、そんな爺さん婆さんがです。

そういう爺さんや婆さんによくいっていたものです。「そのうちに罰が当たるぞ」とです。だから「オジちゃん(オバちゃん)神理をきいているのだから感謝して布施しろよ」ともいっていたのですが、年寄りはきく耳を持たない人が多いので、もちろん私のいうことなどきくわけがありません。

そういう年寄りは「お前が人を病気にしている」という考えしかなかったのでしょう。だからわざわざ待ち伏せまでして嫌がらせをして来た。それだけ人を悪人扱いしているからです。

そういう悪人のブログをよく読んでいるものですが(苦笑)そのような待ちかまえていて嫌がらせをしてくるような年寄りがです。

最近はいなくなったなと昨日気づいたのです。最近はそういう人を全然見かけなくなりましたから。だから、前に私をよく待ち伏せしていた人の家の前を通る時「おっちゃん(またはオバちゃん)元気してるか。元気なら布施でもしろ」と声をかけていく時がありますが、シーンとしている家が多いのです。

そういう人は年を取った人が多かったので、みな罰が当たって滅びてしまったのか(縁起でもありませんが)それともそういうくだらないことはもうやめたのか、どちらか分かりませんが、そういう人たちが反省していないのならよいことは起きていないでしょう。

だからそういうことをしていた爺さん婆さんはです。(まだ生きているのならです。〔苦笑〕)今度は私が通る時に感謝の布施でもされたらどうでしょう。

そうすれば、よいことも起きて来て死後もよい世界に(まあ、反省次第ですが、天上界に)往けるからです。

だいたい、神理を説いている者にはそうするのが当たり前なのです。(何度もいいますが)神理を説いてもらえるくらい有難いことは今生ないからです。

それほど有難いことをしてくれている人に対し、布施することくらい何ほどのことがありましょう。(布施するくらい大したことではないのですから)だから過去の人たちも当たり前にしていたのです。

神理を説いている方に対する布施などです。

それで、何度この世に出て来てもいつきけるか知れない神理がきけるなら安い物であるからです。

しかし、現代の人たちはその神理の有難みが全然理解できない。どれだけ説明してもです。そうして神理に対し、感謝しないことの罪をこれもまたどれだけ説明しても全然理解できない。

それがこれだけ悲惨な結果を招いているということを理解してください。(それもまた理解しませんが。〔苦笑〕)

しかし、人に苦しみを与えるなら苦しみが、そうして愛を与えるなら愛が確実に返って来ます。

私など神理を毎日のように発信し続けているお陰で(ということは、これほどの愛の発信はありません)昨日も荒子川沿いを歩いていると、たくさんの魚たちが出て来て泳ぎ回っていました。

その一日、二日前には庄内川にいくと、また川底から多くの魚たちが浮かんできて、あっちでざばーん(小魚たちが急に跳ねるのです)こっちでざばーんと泳ぎ回っていました。

大きな魚もたまに泳いできてカニたちも顔を出します。そうして鳥はもちろんですが、まだセミが鳴いているのです。(私がいくと急に鳴き出したから分かったのです。多分ツクツクボウシでしょう。そんな鳴き方をしていましたから)

一人でいっているのに本当ににぎやかなことでした。

このように愛を出しているとたくさんの愛が返ってきます。(人が出さない分、動物たちが出しています。〔笑〕)

愛を出しませんか。多くの人が愛を出すなら、これだけ多くの災いも(そうして天罰も)起きることはないからです。

くだらない怒りや憎しみばかりを出しているから(しかもほとんど逆恨みから)これほどの災いも現れてくるのです。愛を出す人が増えるなら災いなど現れることなく奇跡が現れて来ます。

それは私が証明しています。

私は口ばかりでなく現象でも現しているのです。多くの奇跡と天罰をです。

少しは従ってはどうでしょう。神理を説いている者に従うなら、確実に幸せになれるからです。

(いつまでも神理を説いている者に逆らっているから、それだけ不幸なのです。多くの人たちがです)

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