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9月 27 2020

天の眼(まなこ)とドッペルゲンガー現象

10:44 AM ブログ

一昨日の夕方、帰って来た時のことです。

どこかの会社の連中が妙に引いて怒っているのです。おかしな怒り方をしてるなと思っていたら翌日の昨日も同じような怒り方をしていました。

それで私が「なんだコロッと逝くのが止まらないのか」と声をかけると、急に中の連中が怒り出しました。(ゴンとかガンとかやり始めてです)

本当にそうなのかと思って「そんなことしてたらもっと死ぬ奴が増えるぞ」といったら、もう凄い怒りようです。

本当に止まらなくなったようです。コロッと逝くのがです。だったら今日も出ているんじゃないですか。天罰に日曜日もないからです。

本当によく怖くないですね。この連中、実際に周りの人たちがドンドン死に始めているのにです。

しかし、この連中にこんなことが起きだしているんですから、他のところもさぞ出ているんでしょうね。多くの天罰がです。

そこらじゅうでコロコロ逝きだしたとは思いませんが(しかし、やたらキレたりドン引きしたり極端な態度を取るところが増えていますので分かりませんが。〔怖〕)ただ、私の周りで起きていることは正確に書いておきます。

このどこかの会社のような(本当に滅ぼされる、恐ろしい現象がたくさん現れだした)ところがあちこち出て来ているのは事実のようであるからです。

だから、それを知らずに軽い気持ちでこちらに嫌がらせなどして来てはあまりに危ないからです。

少し前に、あちこち歩いて辻説法をしていると、家の前にいて嫌がらせをしてくる爺ちゃん婆ちゃんがよくいたということを書きましたが、そういう爺ちゃん婆ちゃんをです。

まったく見なくなった人もいますが、たまにそういうことをしていた爺ちゃん婆ちゃんを見ることもあります。そうするとです。もうほとんどの人が(というか全員です)私の顔を見るとギョとして静かになります。前と同じような嫌がらせをしてくる人はまずいないのです。

たまに意地になって、私の顔を見ると嫌がらせをしてくる人もいますが「祈ってもいいんだな」などというと、もう顔を引きつらせておとなしくなります。

そういう態度を見ているとです。私に嫌がらせをしてきた人、全員に何か起きていると思うんですがどうでしょうか?多分、そうだと思いますよ。こういう(頑固な)爺ちゃん婆ちゃんなど自分たちに何か悪いことが起きて来なければ、私に対する嫌がらせをやめるとはとても思えないからです。

だからずいぶん長く私に嫌がらせをしていた人もいるからです。

しかし、そういう人が一人もいなくなったということは、そういうことをしていた人、全員に何か天罰がくだったということになります。

どういう天罰がくだったのか(病気にでもなったのか、それともけがでもしたのか)それは知りませんが、何か悪いことが起きたことだけは確かでしょう。だから態度が変わったのです。このような人たちのです。

しかし、だとしたらです。私に嫌がらせをしてきた人には、多かれ少なかれ何か天罰がくだるということになります。この近所の人たちも、私に嫌がらせをしている人で何も起きていない人などいなさそうであるからです。何か悪いことが起きているようであるからです。(もちろん亡くなった人もいますし)

そうであるならです。あのブシュブシュやってくる運転手連中も、そういうことをした運転手全員に天罰が現れていると私は思うんですがどうでしょうか。

多分、現れているでしょう。さすがに運転手連中はこちらでは確認しようがありませんが(どこのどいつか分かりませんので)これだけトラックなど減っているのです。

出ているでしょうね。ほとんどの運転手に確実に天罰がです。それはこちらの人たちを見ていれば分かるからです。

こういうことを多くの運転手は知らないのではないでしょうか。だから平気で私にブシュブシュやってくるのです。

私に少々ブシュとかやっても、別に自分に何か起きることはないだろうと軽く考えているからです。

だから、ずいぶん多くの運転手が私の顔を見ればブシュブシュやってくるのでしょうが、そんなに軽いものではないのです。神理を説いている者に嫌がらせをしていくということはです。

天は観ているからです。だからすべて知られているのです。そういうことをした人はどこの誰かはです。

だからそのような人たちは、どこかで(早い人はその日のうちにでも)確実に天罰がくだるということです。神理をきいていながら、感謝もせず嫌がらせをしている人たちなどです。

天はすべてを知っていられるからです。

こういうことを考えればです。

私に対し、嫌がらせをした方がいいのでしょうか。それとも感謝して布施した方がいいのでしょうか。どちらがいいのでしょう。

嫌がらせをしている人たちを天が観ているのなら、神理を知らされたことに素直に感謝して布施される人もしっかり天は観ているということになります。

やってなんぼです。やれば変わってきます。自分たちの周りに起きることも、そうして私に対することもです。しかし、同じことしかしなければ何も変わりません。

したらどうでしょう。感謝の布施くらいです。そうすれば、光の天使との関係も出来てくるからです。

「ドッペルゲンガー現象」というものをご存知の方も多いと思います。

このドッペルゲンガー現象とは、自分の姿を自分で見ることや、あるいは同じ人物が複数の場所に姿を現す、一種の幻覚(霊)のような現象をいっているわけですが、このドッペルゲンガー現象が現れると、その人物は近いうちに死ぬことになるといわれています。

実際にこういう現象があるのかどうか、それは知りませんが、私はこのドッペルゲンガー現象とはです。次のような現象が混同していわれているのではないかと思うのです。

私たちは、実際に死が近くなった人など、あの世の霊が観えるようになります。それは死の間際になると私たちは誰も心があの世と同通しだすからです。

だからそれまで観えなかった霊が観えるようになるのです。あの世と同通しだすなら当然あの世の霊は観える(霊視出来るようになる)からです。

結局、この世に出てくるとあの世のことを一度は忘れてしまいます。そうして中にはこの世のことだけしか信じない人も多くなるため(最近は特に増えました。そういう人がです)死んでいきなりあの世の霊とか出てくると、驚いて(パニくって)訳が分からなくなる人も出てきます。

それでなれさせているのです。死に際が近くなってくる人たちにはあの世の霊とか、あの世とかにです。

それで死が近くなるとあの世と同通しだすのですが、だから、死が間近い爺ちゃん婆ちゃんなど人がいないところを見て「あそこに立っている人は誰だ」とか「昨日死んだ母と話してきた」とかいう人がいますが、別にそれは嘘でも幻覚を観たわけでもないのです。

本当にそういう人(霊)を観たり(多分それはその人の守護霊でしょう)そういう人と会ったり(幽体離脱してあの世までいって死んだ肉親と話したり)しているのです。

ご本人はです。

そういうことは死の間際になれば誰にでも起きることであるからです。例外なくです。

こういうことからもあの世の存在は分かるのですが、このような現象を混同して、ドッペルゲンガー現象とかいわれているのではないかと私は思うのですが、そこはどうなんでしょうか?(死の間際になれば先ほども書きましたが、幽体離脱する人も出てきます。幽体離脱をすれば自分で自分を観ることは可能であるからです)

そこのところはよく分かりませんが、ただ、人の生き死には潮の満ち引きが関係しているといわれます。

満ち潮の時は人が生まれて来て、引き潮の時は人が死ぬとです。

そうであるならです。この辺りの人たちは(まあ、長くこのブログを見ている人たち全般かもしれませんが)引き潮の時間帯などせいぜいお気をつけください。

その時間帯に死神など観るならもうコロッと逝ってしまうかもしれないからです。そういうことがこちらでは頻繁に起き出したようであるからです。(その死神は私だったりして。〔苦笑〕)

そうであるならです。満ち潮の時間帯に神理を説いている私に感謝の布施でもされてはどうでしょう。

そういう人はです。

新しく生まれ変わることが出来るからです。

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