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10月 12 2020

逆恨みと法則

10:52 AM ブログ

1979年 五月号より抜粋

<法  語

第三十三章 作用と反作用

物理学における「作用反作用」の法則は同時に心の法則でもあります。

「すべての作用には、大きさが等しく方向が反対になる反作用が伴う」

この「作用と反作用」の法則を、心の面で表現したのが「善因善果」「悪因悪果」という「因縁」の法則であります。科学の法則と心の法則は一つであり、この一つの法則を創造して、心と物質とを同一法則によって活動せしめている大生命力、大エネルギーを宗教的には「神」というのです。法則は人間のほしいままな心によって左右されることはありません。この人は悪いことをしたが、前に善いことをしたことがあるから今度は少し手加減して悪いことが起らないようにしてやろうというようなことは絶対にないのです。その人の運命は、その人がこの法則を知っているにせよ知らないにせよ厳密にこの法則によってつくられていくのであります。

第三十四章 法則の管理者は自分である

人間が神の子であるということは「作用と反作用」の法則を自由にコントロールできる心の自由を与えられてあるということです。

あなたはあなたの今の運命がどうであろうとも、それはあなたが知っていたにせよ知らなかったにせよ、皆あなた自身の心が造り出したものであって誰をも怨むことはできないのです。怨む、憎むということは自分の運命の責任を他に転嫁していることです。自分が下手な絵を描いたのに、あの人が私にこんな下手な絵を描かせたと思って、自分では何もしようとしないのが、怨むとか、憎むという心なのですから、怨む心、憎む心が自分にある間は運命は絶対によくならないのです。十年間の腎臓病が治られた大牟田の小柳さんは「憎んでいる人があったらその人を赦しなさい。赦すことによって誰が一番幸せになるのかというと、赦すことができたあなた自身である」という話を研修道場で聞かれて「そうだ赦そう」と思われた瞬間から病気がよくなったのです。これを読まれた方で、もし誰かを憎み怨んでいたとしたら、その人を赦しなさい。そうすれば必ずあなたの運命はよくなります。我々は、自分自身の運命の主人公なのです>

以上、正法誌から抜粋しました。

なぜこの箇所を抜粋したのかといえばです。もう何度も書いていますが、最近はこの辺り災いが増え、私のことを恨んでいる人もずいぶん増えていると思ったからです。(苦笑)

この近所でもどこかの会社ばかりでなく、バシバシ窓を閉めたくっている人とか、夢遊病者のように外をウロウロして嫌がらせをしてくるおかしな人まで出てきました。(悪いことが起きすぎて頭がおかしくなったようです)

だから、先ほどのところを抜粋したわけです。園頭先生が書かれた正法誌からです。

この世はすべて法則の下に成り立っています。

どれだけ悪いことを人のせいにして怒ったり、恨んだりしたところで、その悪いことは自分のせいで起きているのであって、人のせいではありません。

そのような(作用反作用の)法則は絶体であるからです。

それを理解していない(または責任転嫁している)だけなのです。

自分の悪いところをしっかり反省しないといけない時がもう来ているのです。だからこれだけ全国的にも(そうして世界的にも)災いが増えているのです。

すでに、そのような時代(正法の世)となっているからです。

だから出現したのです。この正法神理がです。そのような正法の世とともにです。(正法の世に正法神理が現れなくては正しさの基準が分からないからです)

これまでのような口と腹が(心が)全然違う偽善者ではなく、もう心から真の善人に生まれ変わらなければいけない、そのような時が来ているのです。この正法神理に従ってです。

そんなの嫌だも自分の勝手もありません。私はただ、そういう時が来ていると書いているにすぎません。

その書いていることが正しいから奇跡が起きてくるのだし、私のいうことに逆らったり無視したりしている人たちに災いが起きているのは、そのような態度が間違っているから、そういう災いが起きているだけなのです。

つまり皆、自分のせいで奇跡も災いも起きているだけであり、私以外の人たちに起きている災いは別に私のせいでも何でもないということです。

単に、そういう時代になったから、心が悪い人たちには次々に災いが起き出したのであり、心が善い人には奇跡が起きているだけだということです。

それもまたこれまで書いて来た通りです。その書いた通りのことが起きているにすぎないのです。

ここに書いていることが正しいから、その通りのことが起きているだけなのであり、別にそれを(そのような災いを)私がしている(起こしている)わけではないということです。(だいたい、ただの人間の私にやれるわけがないし、そんなこと)

いま起きていることはすべてです。すべて法則に従って起きていることなのであり、よいことが起きてほしいのなら、自分の心と行いを正しくすればそれでいいということです。

それだけの話なのです。

だからくだらない逆恨みをしている暇があるなら、法則をよく理解し、そうして神理もよく理解して、自分の心と行いを正した方がよほどよいということになります。

そうすれば確実によいことは起きてくるからです。

私たちは園頭先生も書いていられますように、その法則を自由にコントロール出来る心の自由を与えられています。

だから、よいことをしようとしない人はドンドン悪いことが起きてくるのです。どれだけ悪いことをしてもそれは自分の自由であり、悪いことをすればするだけちゃんとその悪いことは自分に返ってくるからです。

自分の悪いことを棚に上げていれば、その悪いことはずっと自分に返り続けます。その棚に上げている悪いことをしっかり反省し、よいことに変えない限りはです。

責任転嫁して泣き言をいっているだけでは進歩はありません。これまでの間違いをしっかり反省し、よいことをされませんか。

そのよいことをしてです。一番幸せになれるのは他でもない自分自身であるからです。

追伸…大阪都構想を問う住民投票の告示が今日からされるそうですね。

いよいよですか。しかし、よほどよく考えた方がいいと思いますよ。大阪市民の皆さんはです。この大阪都構想とは何かということをです。

だって名古屋市民の私でも都構想を知れば知るだけやばいだろうと思うからです。

都構想の意味をよく知らない時は、都構想もいいのではないかと漠然と思っていましたが、少し都構想の意味を知り始めると「どう考えてもよくないだろう、このなもの」としか思えないからです。

だって、都構想は二重行政の解消のため大阪市を廃止して四つの特別区にするわけですよね。

ということは大阪市は政令指定都市の権限を捨て、ほとんど権限のない特別区になるということになりますが、それで大阪市に何のメリットがあるのでしょうか?(政令指定都市と特別区では全然権限違いますよね)

それに広域行政を大阪府に統合して基礎行政は新たに創設するその四つの特別区が担うといいますが、それをつくりかえるだけでも大変な費用がかかりますし、それを一から始めるとなると大混乱を起こしませんか。

それこそ大阪市だけではなく大阪府全体がです。行政から府民から何から何までです。

それに大阪をたった四つの特別区だけで切り盛りできるのでしょうか?これだけ行政を減らしてしまって(二重行政の解消か何か知りませんが)どうして住民サービスが落ちないのでしょう?

まったく都構想をいっている連中は不思議なことをいいます。とても出来るとは思えないような絵空事を平気でいっているからです。

だから「これ大丈夫か?」と名古屋市民の私でも心配しているのです。

大阪都構想を賛成多数で進めてしまって大失敗でも起こされたら、日本全体がおかしくなってしまうからです。

だって、大阪が下手すればグチャグチャになるのでしょう。(うまく都構想に移行出来なければです)そうなったら日本全体の問題になって来ます。

大丈夫なんですかね。都構想を推進している維新の連中はです。もしかしてずいぶんいい加減なこといってませんか?

単に都構想を進めたいばかりにです。(だいたい、二重行政の解消とか今は知事も市長も同じ維新の会なのですから、話し合いでいくらでも出来るでしょう。たいした問題ではないではないですか。これ大丈夫なんですかね。こんな大規模なことをそれだけで進めてしまってです)

どちらにしてもです。大阪都構想は日本全体にかかわる大問題でもあります。慎重の上にも慎重に進めてほしいものです。

住民投票だけで一足飛びに決めるのではなしにです。

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