1月 04 2021
現象が現れる有難さ 時代に合わせた進歩
昨日の箱根駅伝は凄かったですね。最終十区で奇跡の大逆転。
こういうことが起きてしまうんですよね。間違った宗教団体がつくっている大学などはです。
そういう時代になっているのです。(正法の世)だからあんな普通では起き得ないようなことが起きるのです。とても逆転されそうもない差を大逆転されてしまうような、ああいう運の悪いことがです。(最終区で三分以上の差があったんですから。一位と二位との差はです。普通なら楽勝で優勝できてます)
もし、あのままあの大学が優勝してしまうなら、やはり、その宗教は正しいと、この信仰をしていたから優勝できたのだと、その大学の大学生など思ってしまいます。しかし、あんな考えられない大逆転負けが起きればどうなりますか?
自分たちがしている信仰は本当に正しのかと疑問を持ちます。だからそのように導いているのです。神がです。
何度もいいますが、もうそういう時代になっているからです。いつまでも間違った信仰などしていれば災いが起きる(天罰がくだる)そういう正法の世にです。(数日前に起きた天理教教会の火事なんかもそうでしょう。そういう運の悪いことが起きるのです。間違った信仰などしているところはです。段々正法の世が深まって来ているからです)
だから、これほどの災いも起きてくるわけです。いま現在は間違った信仰をしている人たちばかりであるからです。
そうして、その反面、次々に奇跡が起きてくる人もいるわけです。正法の世には必ず正法神理が出現するからです。
だから、その正法神理を実践している者は必ず奇跡が起きてくるのです。
だから、その奇跡が証明となって、神理の実践者は分かるはずなのに、それが分かっているにもかかわらず神理を無視している。
どんだけ罰当たりなのかということになります。現代の人たちはです。
そういう罰当たりな人たちばかりだから、これほどの災いも起きてくるのです。現代の人たちの傲慢さはまさに言語に絶するからです。
しかし、もうそういう態度を取っていれば災いが起きると誰だって分かるのです。(このブログを見ている人たちなら)それでもまだ同じ態度を取り続けるというのはあまりに進歩がないのではないでしょうか。
これだけ分かりやすく現象が現れ続けているのにです。
また、これだけ分かりやすく教えてもらえるのも神理にかかわっているからなのです。だからこれだけ親切丁寧に(?)教えてもらえるのです。自分たちの間違いをです。多くの災いが現れることによってです。
有難い話なのではないですか。普通であるなら分からない自分の間違っているところがいろいろ分かってくるからです。そのような災いによってです。
時には命を落とす人までいるようですが、それは自分が悪いのです。いつまでもくだらない我を張り続けているからです。
そのような我を張っていてはいけないと、自分の間違いは素直に認め反省しないといけないと、最悪命をなくしてまで教えてもらえる。
これだけ有難い話もないのではないでしょうか。そこまでとことん正しいことを教えてもらえる教えなど他にはないからです。
だから、甘えは許されないということです。この神理の前ではです。
大人であろうと子供であろうと神理の前で間違った心を押し通すなら、最悪命を落とすこともあるということです。そういう命懸けの教えなのです。この正法神理はです。
有難い話でしょう。命を落としてまで正しいことを教えてもらえるのですから。
ある意味これほどの教えもないわけです。黙っていても命懸けで勉強できるからです。(そんなつもりなどなかったもへったくれもありませんよ。私はそういう話を前から書いているからです。そういう気がない人たちはこのブログを見ていてはいけないとです)
だから、一々、自分たちに何か起きたからと私のせいにされても困るのです。神理にかかわるなら、そういうことが起きるのが当たり前であるからです。またそういうことが起きることが有難いからです。
そのような現象が起きないと分からないでしょう。自分が正しいということも間違っているということもです。奇跡も災いも起きなければ口でいっているだけでは、本当にそのことが正しいのかどうかは分からないからです。
そのような現象が起きて来てはじめて自分のいっていることは正しいと(または間違っていると)分かるからです。
だからこれほど有難い教えもないのであって、だからいつまでも同じ態度を取っていてはいけないといっているのです。そんな態度を取っていると災いが現れますよといっているのです。
実際そういうことが起きているからです。また、そういうことが確実に起きるのが、この正法神理であるからです。
だから、悪いことが起きたとこちらを逆恨みされても、間違ったことをしていれば、そういうことが起きるのであり、また、そういうことが起きることが有難いのであり、他のどの教えであろうとそんなことは起きて来ないのです。
だから、そういうことが起きて来たのなら逆に凄いと驚いてもらわないといけないのです。そんなこと普通は起きては来ないからです。普通では起きて来ないことが起きているからです。
だから進歩していかなくてはいけないのです。そうしないと悪いことは起きてくるからです。
それに、そういう悪いことはもう特別この神理にかかわっていなくても起きるのです。先ほども書きましたが箱根駅伝や教会の火事など見てもそうでしょう。
そうして、コロナ禍や大雪など見ても分かるでしょう。間違った信仰をしている人たち(心が成長していない人たち)には、そういう悪いことが次々に起きてくるのです。
もうそういう時代になっているからです。
だから、そのような時代になったのなら、そのような時代に合わせて進歩していかないといけないのであって、そのように進歩している者にはちゃんと奇跡が起きてくるのです。
私たちのようにです。
だから進歩がないから、災いが起きてくるのであり、心が正しく進歩、成長するなら悪いことなど起きずにちゃんと奇跡が起きてくるのです。(心が成長している人でも、その人の心の成長を促〔うなが〕すような、そういう悪いことは起きて来ます。しかし、そういう悪いことは、後でそういうことが起きたからよかったと必ず思えるのです)
それなのにそれをいつまでも責任転嫁している、本当に進歩がありません。そういう進歩のないことをしている間は災いは止まらないのです。なぜなら、その災いはその自分の進歩がないことを教えているからです。
そういうことが、神理にかかわるなら非常によく分かるということです。
こういうことが分かるのもこのブログを(神理を)見ているからです。また、そういっていることに間違いがないから私には奇跡が起きているのです。
このブログを見ている人たちは、知らず知らずの間に心に関する多くのことを教えられているということです。そういう自覚が自分たちにないだけでです。
少しは感謝されませんか。そのような感謝(報恩の行為を)するということが、自分の心の進歩向上につながっていくからです。



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