1月 14 2021
法則の無謬(むびゅう)と公平
もうモタモタしていても危ないだけでしょう。
実際どこかの会社など毎日のように天罰がくだっているのです。(昨日も夜まで騒いでいましたし今もドン引きしながら怒っています)
こうなったらどうします。大変不幸になるのですよ。そういう自覚が全然ありませんけどね。どこかの会社などはです。
そんな天罰などくだらなかったら、どれだけ自分たちの生活も仕事も安心して出来たか知れないのにです。
しかし、この会社など毎日天罰がくだるため、どれだけ不安な毎日を過ごしている人が(従業員や家族が)多いか知れないのです。
その差は歴然だと思うんですが、しかし、あまりそういうことを感じないようです。
ほんと哀れなほど鈍くて痛い連中なんですが、しかし、それはこの辺りの人たちも同じなのです。このブログを見ている人が多いのにまったく感謝もせず平気で嫌がらせをしてくる人がいますが、ドンドンそういう人に天罰がくだっているのです。
そういう人がいるところには(会社や現場)確実に天罰がくだっているのですから、歩いていて私に嫌がらせをしていく人も同じでしょう。(もちろん、運転手連中も同じだし)そのような人には何か天罰がくだるのです。確実にです。
では、それだけ不幸な話もないのではないですか。私に嫌がらせをしなければその人に天罰などくだらなかったかもしれないからです。
しかし、自分は神理を知らされているのに(それだけ有難い話もないのに)それにはまったく感謝せず、そのお返しが嫌がらせでは百パーセントそういう人には災いが返るでしょう。
その災いの元を自分でつくっているからです。神理のお返しが嫌がらせではこれだけ恩を仇で返す行いもなく、それだけ災いが起きる原因もないからです。
そのような原因を自分でつくれば、その原因は必ず自分に返ります。
だから、そんな態度を取る人は百パーセント天罰がくだるといっているのです。その天罰とは、自分の行いが自分に返って来ているだけだからです。
因果応報。そのような法則は誰であろうと必ず作用するからです。
だから、この辺りはそういう災いの元凶を自分でつくっている人がたくさんいるのですから、そういう人は一刻も早く私に感謝して布施した方がいいといっているのです。感謝もせず嫌がらせをしっぱなしでは、もう百パーセントそのような人には災いが現れてくるからです。
しかし実際に、そのような災いが現れている人が(そうして滅ぼされた人まで)もうこの辺りには数えきれないくらいいるのですが、そういうことに対しただ怒っているだけ。
本当に痛い人たちばかりです。分からないんでしょうか? 起きていることの意味がです。
自分の行いさえ変えれば、その災いは止まるのにです。運命はよい方に変わるのにです。
しかし、どれだけ悪いことが起きて来ても、その行いを変えようとしない。では、同じ悪いことが起き続けます。
先ほども書きましたが、その自分の行いが自分に返って来ているだけであるからです。
因果応報(原因結果、作用反作用)という法則は誰にでも正しく現れ、決して間違うことはないからです。
だから自分の行いの結果が自分自身に現れているにすぎないのです。
しかし、別に私に嫌がらせをしていなくてもです。このブログを長年見ていて、何のお返しもしないという人はこれもまたこれだけ不遜な話もないのですから、そういう人にもよいことは返って来ないでしょう。
だからこちらで天罰がくだっている人たちは、何も私に嫌がらせをした人ばかりではなく、していなくてもくだっているはずです。そういう人など私のブログを(この神理を)ただ見ていただけであるからです。それもまたよいことではないからです。
だから、ちゃんと報恩の行為をするなら、少なくとも災いは返っては来ないのです。そのような人にはです。
だから、このブログを見ているのなら感謝の布施を(子供らは感謝を)しないといけないとどれだけいったか知れませんが、それをする人はこちらではほとんどいないようで、それで大人から子供まで同じように天罰がくだるのです。
法則は間違わない(無謬な)だけではなく公平でもあるからです。だから、大人であろうと子供であろうと公平に作用するのです。子供だからかわいそうだとか、年寄りだから仕方がないとか、そのようなえこひいきはないからです。
大人であろうと子供であろうと、もっというなら、たとえボケてしまった老人であろうとです。公平に作用するのです。
その人がボケたのも人のせいではないからです。それもまた自分のせいであるからです。普段から頭を使いよい本など読むならいくつになってもボケることはないのです。
そういう努力をしていなかったから、ボケているのであって、それで間違ったことをするなら法則は確実に現れてくるということです。そのような人にもです。
だから、そのような法則は理解しないといけないし、従わなければいけないのです。そうしないと確実に自分が不幸になっていくからです。
それは現代の人たちを見れば分かるのです。
現代の多くの人たちが、そのような法則を無視しています。
しかし、昔の人たちはそうではありませんでした。因果応報、悪いことをすれば罰が当たるということを信じ、自分に悪いことが起きて来たのなら、まず(まずです)自分の行いを反省したのです。
しかし、現代の人たちはどうでしょう。まず現代の人たちは因果応報などということを信じません。そうして悪いことをすると罰が当たるなどというなら大笑いされます。
それは大人だけではなく、小さな子供でもそういう態度を取るというのですから、現代の人たちがいかに法則というものを分かっていないのかがよく分かるのです。
だから、現代の人たちは悪いことが起きて来ても、平気で周りのせいにするのです。(この辺りの人たちなどその典型でしょう。悪いことが起きて来たら全部お前〔私〕のせいですから)法則が全然分かっていないからです。
だから、その起きている悪いことを決して自分のせいにはしません。何か周りのことに結びつけ、そのせいで自分にはこんな悪いことが起きて、それで不幸になったと、まったく自分の行いを顧みることをしないのです。
それが大間違いであるということです。
だから、これだけ災いが止まらないのです。その災いの原因は他でもない自分自身にあったからです。
だから法則を知らないといけないというのです。法則を理解しないと、自分がドンドン不幸になっていくからです。
そうして、その法則は決して間違うことなく公平に確実に作用します。
だから、この辺りなど不幸になる人が多いのです。その法則を私がこれだけ書いていながら、それをまったく理解することなく素通りさせている人が多いからです。その法則が分かっているのなら、決して私に嫌がらせなどしなかったはずであるからです。
そうしてすぐに感謝の布施をしたはずであるからです。
そうした方が絶対に自分が幸せになると(そうして運命もよくなると)理解出来たはずであるからです。
だから逆にです。このブログを見ている人たちのほとんどが私に対し感謝の布施をしないということは、それだけ法則を分かっていない人が多いということであり、その結果が、これほどの不幸を呼んでいるということです。
それこそ、自分たちを滅ぼしてしまうほどのです。(それはこちらの天罰だけではなく天変地変もそう、コロナ禍もそうです)
それもこれもすべて自分たちがよく因果応報という法則を理解しなかった(信じなかった)それが原因であるということです。
昨日も私は昼から辻説法をしがてらあちこち回っていたんですが、少し歩き疲れてあるところで座っていたのです。すると横の木に四、五羽のすずめが飛んで来てピィピィ騒いでいました。
「お前ら来たのか」と声をかけると嬉しそうに木々の間を飛び回っています。しばらくそれを見ていましたが(そういうのを見ているだけで癒されます)見上げているのも疲れるので、そのうちにボケっと前を見ていたのですが、ふと気がつくとすずめの声が先ほどより大きくなっています。
それでまた横の木を見上げるとすずめの数が増えていました。いつのまにか十羽くらいになっています。
「あれ、また増えたな」とかいっていて、しばらく前を見ているとまた雀の声が大きくなってまた見上げるとまたすずめが増えています。「おいおい、よーけ来たな」などと声をかている最中にもどこからかすずめが飛んで来て、結局三十羽くらいになったんですかね。
そこにとまっているすずめの数がです。(だから、何かその木にすずめがなっているようでした。〔笑〕)
それだけ多くのすずめが横でピィピィ騒いでいるのです。かわいいものですよ。そういうのもです。(ちょっと、というか、かなりうるさいんですが。〔苦笑〕)
このように愛を出しているのなら、必ず愛が返ってきます。(私など人が愛を返さないものですから、他の動物たちから愛が返ってきます。〔苦笑〕)
もっと法則を理解し、正しく愛ある行いをされませんか。
それが自分を幸せにする一番の道であるからです。
(しかし、自分たちが滅びていっているのに、それでも愛を返そうとしない。怒りや憎しみしか返そうとしない。いやはやすさまじいにもほどがありますね。現代の人たちはです。それではどれだけ愛がないのかということにもなるんですが、少しの愛くらい返しませんか。もっと広く大きな愛をです。自分本位な愛など本当の愛ではないからです。そんな偏狭な愛などただのマスターベーションにしかすぎず、だからそういう愛しか出さない人に愛が返って来ないのです。そのような狭く小さく自分本位な愛など正しい愛の出し方ではないからです。私のようにそこらじゅうから愛が返ってくることこそ正しい愛の出し方であるからです。正しく法則を知って正しく愛を出しませんか。それがブログの最後にも書きましたが、自分を幸せにする一番の道であるからです)