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2月 13 2021

出さなければいけないものは出さなければいけない 神理の偉大さ

11:31 AM ブログ

やはりあそこはかなり出ているみたいですね。あそことはあのマンションの鉄骨を組んでいたところです。

昨日またそこの横を通ったんですが、全然進んでいないのです。鉄骨を組むのがです。

あれ? ここは半分しか鉄骨を組まないのかなと思って歩いていくと、そうではなく他の部分も鉄骨を組んでいるのですが、まだ一階あたりのところで四、五日前に見た時とそれほど変わっていません。

やっぱり進んでいないなと思って近づいていくと、一階の辺りの鉄骨を組んでいるので下に作業員がたくさんいるようでした。そのうちの一人、二人作業員がこちらに荷物を持って歩いて来ます。

やばいなと思いながら、歩いていくと一人の作業員がまたガンとか音を立てて、その荷物を地面に置いたのです。

またやってるよと思い「またここの作業員が減るからな」とかいいながら歩いていきましたが、他の作業員はもうドン引きしているようで、こちらに近づいて来ません。引きつった顔をしている人もいたようですので、やっぱり何人かの作業員に一変に天罰がくだったのではないでしょうか。

そこの作業員は一人、二人は怒っていたようでしたが、全体的にはもうドン引きしているようであったからです。

だから「感謝して布施してな。そうせんとまた天罰がくだるで」といいながら歩いていきましたが、ここだけでもかなり出ているようなのです。天罰がです。

それ以外でも、前回、怒りまくっていたところがドン引きしていたり、マンションを(多分マンションでしょう)つくっている現場があるのですが、その現場は最初私が通った時はガンガン音を立てて嫌がらせをして来たんですが、その後はピタリと嫌がらせをやめてしまいました。すぐに天罰がくだったからでしょう。

それから数ヶ月、私が歩いていても全然嫌がらせをしてこなかったのに、そこが昨日はまた急にガンガンやってくるではありませんか。

あれ、ここも出たんだなと思って「何だ何か起きたのか? もうそこらじゅうで天罰がくだっているようだからな。そんな嫌がらせしっぱなしで知らない顔をしていても罰は当たるの。神理を見ているんだからもう感謝して布施しろよ。それしかその天罰を止める方法はないんだから」といっておいたんですが、そこも怒っているだけでした。

しかし、もうこういうところがこの辺りはそこら中にあるのです。ずっと静かだったところが急に怒り出したとか、怒りまくっていたところがドン引きしたり、ドン引きしていたところが、急にすさまじく怒り出したりです。

このような会社や現場ばかりでなく、家なども嫌がらせして来たオッちゃんがいたところを次に通ると、今度はオバちゃんが出て来ていてすごく怒っていたり、逆にオバちゃんが嫌がらせをして来たところを次に通ると、今度はオッちゃんが出て来ていてすごく怒っていたり、そのようなところが最近はたくさんあるのですが、こういうところなど嫌がらせをして来たオッちゃんやオバちゃんにすぐに天罰がくだったのでしょう。

だから、その家族の人たちが怒っているのです。

そういうところが増えています。家の方でもです。二度続けて嫌がらせをして来た家はまずないですね。最近はです。

だから歩いている時に嫌がらせをしていく人とか、ブシュとやっていく運転手などもみなすぐに出ているんではないでしょうか。天罰がです。

だって、会社や現場や家にいて嫌がらせをしてくる人にはすぐに天罰がくだっているようなのです。では他の人たちに天罰がすぐくだらないとは思えないからです。

どこも同じように出ていると思うからです。

だからもう次々に出ているんではないですか。この辺りは天罰を食らう人がです。それだけ嫌がらせをしてくる人が多いからです。そうして、もう布施しなければいけない時も来ているからです。(こちらももうお金がありませんので)

もう理解しませんか。これだけのことが起きているのです。(これだけ罰が当たっているのです)布施くらいしないといけないとです。

何でそれがいつまでたっても理解出来ないのか、こちらはまったく理解出来ませんが(苦笑)ただこれだけはいっておきますが、神理を説いている者が金がなくて神理が説けなくなるなど天は絶対に許さないのです。

そうであるなら、その金を出さなければいけない人たちがちゃんと金を出すよう、そのことに気づくよう天は全力でそのような人たちに気づきの現象を現します。

それがこれだけ起きている天罰のまず第一の理由であるということです。

それをどれだけいっても現代の人たちは理解しませんが、出さなければいけないものは出さなければいけないのです。

それは神理流布に必要なものであるからです。

それを出そうとしなければ絶対に天罰がくだるのです。だからこれだけ簡単に天罰がくだっているのです。こちらの人たちなどはです。

出さなければいけないものを出そうとしないからです。 そうして出してはいけないものを出しているからです。(出してはいけないものとは、もちろんそれは怒りです。感謝の替わりに怒りを出しているのですから話になりません)

だから簡単にくだるのです。天罰がです。 だって、こちらなど私の前で(悪意を持って)鼻をすすっただけで、それで天罰がくだった人もいるのです。(いますよね。そういう人もです。何人〔何十人〕もです)

「何でそれぐらいのことで」ではないのです。しないといけないことをせずにいて、嫌がらせなどしてくるから、その罪は数倍、数十倍となって、それでひどい罰も当たるのです。

そういうことをしてくる人にです。 そのような見た目の行いではないからです。そのやっていることの罪の重さ、深さであるからです。

だから、そのような罪は非常に重く深いということです。神理を見ていながら、感謝もせず嫌がらせをしている、その罪はです。

だから子供にまで当たるのです。そういうことをしたら天罰がです。大人であろうと子供であろうと罪は罪で同じであるからです。 だから、この世はまだ子供だからとか、何でそれくらいのことでとか、見た目で判断しがちですが、そうではなく、心の世界(あの世)から観たら、そのような人たちは大きな罪を犯しているということです。

神理に対する大変大きな罪をです。

だから、そのような結果が現れてくるのです。 この世界はやった通りのことが自分に返ってくるからです。それだけひどいことが自分に起きたということは、それだけひどいことを自分がしているということを自覚すべきなのです。それがどれだけ大したことがないように見えることであってもです。

それはこの世の見た目だけの話であって、心の世界から観たらしていることの罪の重さ、深さがまったく違っているからです。

この世の法律とあの世の法則は全然違うからです。(何度もいいますが、この世は法律が善悪の基準ですが、あの世は良心が善悪の基準であるからです)

だからもう理解してもらえませんか。神理を見ているのなら感謝しないといけないとです。(大人は報恩の行為である布施までしないといけないのです。それをしてくれないと神理が説けなくなるからです)

しないと罰が当たるのです。そのような行為は大間違いであるからです。

それを現代の人たちは知らないのです。そうして、そのような大事なことを現代の人たちは理解しようともしないのです。

だから、神理を見ているのに(それが分っているのに)感謝などしなくてもいいと、神理と他の文章と一体何が違うのかと、別に変わらないだろうと、勝手にそう思い、どれだけ私がそれをいっても(神理をただ見ているだけではいけないとです)それを理解しないのです。

神理も他の文章も同じであると思ってです。

しかし、全然違うのです。他の文章をただ見ているだけでは罰など当たらないからです。しかし、神理は感謝もせずただ見ているだけなら必ず罰が当たるのです。(しかもそれプラス嫌がらせなどしてしまったら、その罰に拍車がかかる)

だから、罰が当たっていない人たちは、それはまだ当たっていないだけであって、いずれは当たるのです。神理に対し、そういう不遜な態度を続けている人たちには罰がです。

それだけ神に対する不遜な態度もないからです。

神理を伝えられているということは(本当の)神の心を伝えられているということであり、それだけ有難いことはないからです。

だから昔の人たちは誰も感謝の布施をされたのです。神理を伝えられたのならです。それだけ有難く救われる話をもないからです。 その有難さが今の人たちは全然分からない。だからこういうことが起きているのです。こちらなどすさまじい天罰がです。

それだけ有難いものを感謝もせずにきいて、平気で嫌がらせをしているからです。(どれだけ罪深いことをしているのでしょう)

どれだけそれを否定しようとこれだけのことが(天罰が)起きていることが、その何よりの証拠なのです。神理の有難さを物語る何よりのです。

だから、そのような正しいことをです。(神理に対するです)理解しなければ、いつまででも天罰はくだりますし、よいことも起きて来ません。

それほど有難いものであるからです。正法神理とはです。

どれだけそれをいっても現代の人たちは理解しませんが(神理のすさまじい有難さをです)しかし、理解するまでいい続けるしかありません。それが事実であり、その事実を多くの人たちが理解し神理に対し正しい態度を取るまでは、よいことは起きては来ないからです。

こういうすさまじいことが起きてくるから、昔の人たちは決して神理には逆らわなかったのだし、大切にされ多くの人に伝えたのです。それだけ神理とは偉大なものであるからです。

偉大であるから、これだけのことが起きてくるのです。その偉大な神理に逆らうからです。

では、従うならどうなるのでしょうか? いい加減、そのことを理解してください。神理に従うならすばらしい世界が現れてくるとです。

神理を見ている人たちがそれを理解しない限り、神理の偉大さは多くの人たちに伝わってはいかないのです。

だから、このブログを見ている人たちは、それだけ大きな使命があるといっているのだし、だからそれだけひどい天罰もくだるのです。 その使命をいつまでたっても悟らず、平気で神理を無視し続けているからです。

だから神理を見ているのなら(もうその時点で大きな使命が発生するのです)出すものは出さないといけないのだし(もちろん布施です)その神理の偉大さを悟り、やるべきことをしないといけないのです。

神理流布というやるべき大きな使命をです。

それを(その大きな使命を)自分は関係ないといつまでもはねつけているからいいことが起きて来ないのであって、そこまでしたくないという人はです。(神理の勉強や流布まではです)

最低限布施の行為まではしないといけないのです。神理を見ているのなら、そこがギリギリのところであるからです。

神理に縁があった人たちのやるべき行為のギリギリのです。

もうそれを理解してください。私がいっていることが正しいから、これだけの奇跡も起き、これだけの天罰もくだっているからです。

しかし、ケチな態度をいつまでも取っているのではなく、心を入れ替えて真剣にこの正法神理を学んでみませんか。そうすれば楽しいですよ。

周りに多くの奇跡が現れて来てです。

どちらにしても今のまま私のいうことを無視し続けるなら、災いはボンボン起きて来て取り返しがつかないことにもなります。(もうなっているところもあるのだし)

これだけ書いていることが起きるブログもありませんし、これだけ行うなら奇跡が起きてくるブログもありません。

そのこのブログに書いている神理の偉大さ、いい加減ご理解ください。

2コメント

2 コメント to “出さなければいけないものは出さなければいけない 神理の偉大さ”

  1. うなッシー2021/02/13 at 11:04 PM

    こんにちは、いつもお世話になっております。さて最近私の身に変化が起きています、それは会社にせよ家にいてもです。私は周りから注意されることがあるのですが楽天家の気質もありいつまでも引きずることはないのですが、最近その注意されたことに対し、他の人が真実を話してくれたり真実の現象をみる機会があったりするのです。しかしそうして私に非がないことが分かったとしても、過去のことを蒸し返すことなど馬鹿馬鹿しいし何の得にもならないので放って置いてます。返って自分を戒めるものとして受け入れるようにしております。そして輝かしい光ある未来への希望を祈りながら、神への感謝と自身の反省を通して縁ある皆さんの幸せを祈りながら日々を静かに暮らしております。本当に素敵な縁をありがとうございました。

  2. gtskokor2021/02/14 at 1:13 PM

    頑張ってください。

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