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2月 24 2021

神理を見ている側の責任 無理せず素直に

10:15 AM ブログ

例えば、息を吸うばかりで吐かなかったらどうなるでしょう。ご飯を食べるばかりで下から出さなかったらどうなるでしょう。

そんなことをしていれば身体を壊すということです。(下手すりゃ死ぬかもしれないし)

このブログを(神理を)見ているばかりでまったく報恩の行為を(布施を)しないということはそれと同じことをしているのです。

だからそういう人が病気をしたり死ぬ人まで出て来ているのです。

神理をもらうばかりでお返しをしようとしないからです。神理をもらうばかりでお返しを何もしなければ、そういう悪いことも起きてくるということです。

それほど神理を知らされるということは有難いことであるからです。

もう布施をしたい人もいるようですのでしてはどうでしょう。そういう人が出てくるなら悪いことも(災いも)減ってくるからです。

しかし、それをしない限り、悪いことが増えはしても減ることはないからです。

しかし、神理を説いている者が金に困るとは一体どういうことなんでしょう。そういうことになるなど、では、その神理をきいている人たちは一体何をしているのか、ということになるからです。

その神理を説いている者が無茶な金の使い方をして、それで金がなくなったというのなら話は別でしょうが(そういう者に神理は説けませんが。そんなデタラメな金の使い方をする者に正しい神理はです)それ以外で神理を説いている者が金に困るなど、その神理をきいている人たちがよほど金を出そうとしなかったということになります。(実際その通りですが)

そうなると大変ですよ。このブログを見ている人たちは死んだ後、どれだけ叱られるか知れないからです。その責任はずいぶん大きいからです。

特に金に余裕がある人たちほど叱られるのでしょうが(金を出せるのに出さなかったということでです。松下幸之助さんがいい例です。あの人は死んでから相当叱られたようだからです)しかし、それは死んだ後だけではなく生きている時から段々そのようになっていくのです。

段々悪い方、悪い方に導かれ、だからこのブログを見ている人たちは運の悪い人が多いのではないでしょうか。特にこの辺りなどはです。

昨日もずいぶんお怒りの人が多かったんですが、そういう人は私の顔を知っているんだから、ではこのブログを見ている(見たことがある)ということになります。

それで感謝の(布施の)一つもしたのでしょうか?

してないでしょう。わずかな人からしか布施をもらっていないのですから、そういう人たちが布施などするわけがありません。それで怒っていても、それでは怒るようなことも起きてくるでしょう。

それだけ罰当たりな態度もないからです。(神理を見るだけ見てお礼一ついうわけでもなく知らん顔をしている、それだけ罰当たりな態度はありません)

だからいいことも起きて来ないのです。自分がしていることが悪いからです。

神理を見ているのですから、感謝の布施くらいするなら起きてくることも変わってくるのに、本当に残念です。それは絶対にしないからです。この辺りの人たちはです。(嫌がらせはしてもです。ほんと危ないことだけはしています。神理を説いている者に平気で嫌がらせです。それでは自分から罰を当たりにいっているようなものだからです)

しかし本当に変わってくるのにです。神理を実践するならです。

実践すれば周りに起きてくることがドンドンよく変わってくる教えを自ら見ていながら(自分からですよ。私がこのブログを読めとなど一言もいっていないのにです)全然それを実践しないなど、それではおいしくて栄養満点の食べ物が目の前にあるのに、それを食べようとしないで我慢していることと同じなのです。

そんなものが目の前にあるならみな食べたいですよね。しかし、多くの人が、それを食べずにやせ我慢しているのです。自分から、そのようなおいしいものが目の前にあるその席にいっていながらです。

それはなぜか? まだ他にも食べ物があるからです。

だからそちらを食べている。そのどの食べ物よりもっとおいしくて栄養があるものが目の前にあってもです。

それでも食べようとしない。一度その目の前にある栄養満点のおいしい食べ物を食べてしまうと、他の食べ物が食べたくなくなるからです。

つまり、それを認めたくないのです。その目の前にある食べ物がこれまで食べて来たどの食べ物よりもおいしくて栄養満点であるということをです。

しかし、その食べ物以外の食べ物は段々栄養不足になって来て数も少なくなっている。だから、そのような食べ物をどれだけ食べても自分の栄養にはならず、段々自分たちはやせ細っていっている(中には栄養不足で死ぬ人まで出て来ている)しかし、それでも食べようとしない。

くだらない意地を張ってです。今さらそんなものを食べられるかとです。

しかし、本当は食べたくて仕方がない。その目の前にある食べ物さえ食べるなら自分たちは救われるからです。

いま現在の神理を無視している人たちを例えるならこういうことになるのでしょうが、そのおいしくて栄養満点の食べ物もいつまでも目の前にあるものではありません。

それがなくなってからでは食べようがないのです。

それを自分で食べさえすれば自分は助かるのです。では、食べてはどうでしょう。そのようなおいしくて栄養満点のその食べ物(神理)を素直にです。

昨日は私は堀川の辺りを回っていましたが、その堀川に昨日はずいぶん鵜がたくさんいました。(大量の数いました。また鵜の大軍が来ていたようです)

そのたくさんの鵜が、私の前を行ったり来たりしていたのですが、そのうちにまた私の周りをたくさん飛び回り始め、凄い数の鵜が昨日はしばらく私の周りを飛び回っていました。(ビデオがあったらさぞ迫力ある映像が撮れたのですが、そこは残念です)

このように、この神理を実践するなら多くの人間を含めた生き物から祝福を受け(そうして神や天上界からも)多くの奇跡も現れて来ます。(神や天上界から祝福を受けるから多くの奇跡も現れるのです)

いつまで悪魔の側にいるのですか? だから奇跡の一つも現れず、よいことも起きて来ないのです。

神の側に来ませんか。そうすれば愛ある奇跡や不思議な奇跡が次々に現れ幸せになっていくからです。

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