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2月 27 2021

止まらない不幸 布施の効用

10:57 AM ブログ

栃木県足利市の山火事は、火を消しても消してもあちこちに飛び火して、そこからまた燃えだしてキリがないようですね。

やはり雨が降らないと消えないようです。この山火事はです。

昨日は雨は降らなかったようですね。近くくらいまでは降っていたようですが、残念ながら足利市まで雨は降らなかったようです。

もう少しだったんですがやはりきかれませんでしたか、私の祈りはです。

これくらいの祈りなら心ある人たちが数人で祈ればすぐにきかれるのですが、この状況ではそうなるでしょうね。

もう少し雨雲が上に上がればそこに雨は降ったのに、という惜しい状況にです。

私に布施して一緒に祈ってくれる人が何人も出てくるならこれくらいの祈りは(どこどこに雨を降らせることくらいです)すぐにきかれます。

早く目覚める人が出て来てくれることを願ってやみません。そうしないと不幸は止まらないからです。

だからこちらも不幸が止まらないようです。そのように目覚める人が全然出て来ないからです。

どこかの会社などももう凄いみたいですね。

今日も朝からバタバタ騒ぎっぱなしのようですし、昨日でも夜遅くまで騒いでいたし、コロッと逝く人まで出たようです。昨夜はこちら側の電気をつけっぱなしで帰ったようですからね。そういうことをする時は出ているのです。コロッと逝く人がです。

とにかくこの会社など朝から晩まで天罰が止まらないのです。

にもかかわらず、いつまでも平気で怒っています。怖くはないのでしょうか? 恐ろしい天罰が次々にくだっているのにです。

それなのに怒っている場合なんでしょうか。そんなことをしている間にも人が次々に病気になっているのにです。

そのようなところはここだけではないでしょう。昨日も烈火のごとく怒っていたところがありましたが、その起きている現象は怒るようことなんでしょうか?

怒るのではなく恐れないといけないのではないですか。

神の業を畏れもせず怒っているようでは、もうどれだけそのような神の業が現れてくるか知れないからです。(どれだけ傲慢なのかということでです)

現にその通りのことが起きているのです。災いが止まらないのです。そのようなところはです。

どれだけ恐ろしいことが起きたら分かるのですか。自分たちのその間違った態度がです。そういう態度だからドンドン起きてくるのです。

災いがです。

二、三日前にウナッシーさんからまた布施をいただきましたが、それをすればそのように起きている(激しくです)災いも止まりますが(少なくともずいぶん減ると思いますが)それでも嫌なんですか。

布施するくらいのことがです。

病気で死ぬよりよほどいいと思いますが、別に病気になろうが死のうがかまわないと、お前に頭を下げて布施するよりはよほどそっちの方がいいと本気でそう思っているんでしょうか? この辺りの多くの人たちはです。

本気ですか? 本当に出ているんですよ。この辺りは病気になって死ぬ人がです。しかもたくさんです。あまりに神理に逆らう人が多いからです。

本当に危ないのです。いつまでも神理に逆らっていてはです。というより、そのような心がいけない。

いつまでも責任転嫁しているのではなく、いま起きている恐ろしい現象の本当の原因を真剣に考えてはどうでしょう。同じことを繰り返しているだけでは同じことしか起きて来ないからです。

もうドン引きしているところも多いのですが、そういうところはどうなんでしょう。布施くらいしたらです。(そういう別な態度も取ったらどうですかといっているのです。態度を変えないと起きてくることは変わらないからです)

そうすれば、そこに起きている災いは止まるからです。心からの布施をするならです。

しかし、何もせずにいてただドン引きしているだけでは絶対にまた出ます。その恐ろしい現象はです。

しばらく静かだったが、また怒り出しているところも最近はあちこちにあるからです。だからドン引きして静かにしていても同じなのです。やたら怒っているところよりはマシというだけであって、それでは止まらないからです。

災いはです。

だからドン引きしていたところでいつまた誰が病気をするか分からないのですから、そうであるならした方がいいでしょう、といっているのです。布施くらいです。

その布施をするならまず大丈夫であるからです。

心からの布施が出来るなら、自分の心もずいぶん安らぎ、心が安らぐなら安心も得られます。

してはどうですか。感謝の布施くらいです。そうすれば本当に救われるからです。

しかし、今のまま態度を変えないのであれば自分もいつ病気になるか知れず不安でならないのです。そんな不安一杯の心が楽しいのですか?

金を出すのではなく心の安らぎを得るということなのです。愛ある布施をするということはです。

そこを間違えてはならないのです。多くの人は表面上のことだけしか見ませんが(金を出すとか、頭を下げるとかです)感謝の布施をするということは心の安らぎを得るということであり、その心が安らぐことで多くの災難から身を守ることが出来るのです。

心が安らぐことで神の光が、その安らいだ心から現れて来て(心は神と直結していますから)その光が自分を守るからです。

だから、まずです。まずその心の安らぎを得ないことには危なくて仕方ないのです。だから危ないこともこれだけ起きる。心に安らぎがない人ばかりであるからです。特にこの辺りはです。

そういう意味でも布施は大事なのです。布施のような愛ある行いを人に対してするということは、これだけ心が安らぐ行いもないからです。

それは自分で試してみれば分かるはずです。自分が人に対し怒っている時の心の中はどうでしょう。それに対し、自分が愛の行為を人に対し行った時の心の中はどうでしょうか。

一体どちらが心が安らぎますか? 試せば分かるはずです。どちらの心が安らぐかはです。

まあ、怒っていて心が安らぐ人などいないのですから、感謝の布施をする方が自分の心が安らぐのは誰だって分かるはずです。

その心の安らぎが強ければ強いだけ神の光は自分の回りに現れて来ます。

だから布施をするなら(心の安らぎを得るなら)安心だといっているのです。

それだけ神の心に叶う行いもないからです。そうであるなら、それだけ神から守られる人もいないはずであるからです。

だから、心からの布施が出来る人にはちゃんと奇跡も起きるということです。ウナッシーさんがよい例だからです。

だから、そういう心になれない人は仕方ありませんが(私に布施などしようものなら腹が立って仕方ないとです)もう出来る人はです。(心からの布施がです)

してください。それ以外ないからです。これだけ現れて来た災いから逃れる術はです。

しかし、もうこれだけ災いが現れて来ては、出来るとか出来ないとかいっている場合でもないでしょう。

出来ないなら出来るよう、自分の心を一歩前に進めることです。一歩でダメなら二歩、三歩と進めることです。同じところにいてはもう危ないだけであるからです。

いつまで同じところにいるのですか? 同じところにいては同じことしか起きては来ないのです。

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