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3月 13 2021

逆もまた真なり 反省

10:27 AM ブログ

今日も朝からカーンとかでかい音を立てていましたね。どこかの会社などです。

また誰か急死したんでしょう。(これマジな話ですから。その音をこの近所の人たちはきいているはずです。ずいぶんでかい音を立てていましたから)この会社、最近は連日ですね。よく怖くない。

本当に現代人の神経が分かりませんが、このような罰当たりな態度を続けていては危ないだけなのです。

もう神に手を合わせて頭を下げるべきなのです。そうしないと、その災いは止まらないからです。

昨日も無責任に怒ってブシュブシュやって来たトラックやバスの運転手がいましたが(こういうバスの運転手は乗客がどうなってもいいそうです。死のうが生きようが知ったこっちゃないそうです)そういう運転手は好きにすればいいのですが、そうでもない人もいるんですよね。

もうずいぶん出ているのです。過ぎ越しの祭で急死する人がです。(どこかの会社などその典型でしょうが)よく考えてみれば、そこらじゅうにありますからね。この辺りはそういうところがです。

それでどれだけ私を逆恨みしたところで、私がその人を急死させたのなら私が急死しているはずです。

しかし、私はピンピンしているのです。

私がその人を急死させたわけではないのです。急死するには急死するだけの理由がその人に(またはその回りに)あったのです。だから急死したのです。その人はです。

どちらにしても急死する人がドンドン増えているのだけは確かなようです。そのように急死するだけの理由がある人がこの辺りにはたくさんいるのでしょう。

こんな状況で逆恨みしていたところで危ないだけなのです。(ほんとドンドン状況が悪化していきます)

自分たちが悪かったのです。神理をきいていながら、まったく感謝もせず嫌がらせをしていた自分たちがです。

そのことを反省し、心を入れ替えませんか。そうすれば急死することもなくなるからです。しかし、反省しないともうどんな病気になるか知れないのです。特にこの辺りの人たちはです。

それだけ大きな罪をこの辺りの人たちはすでにつくってしまっているからです。

この辺りは癌になる人や急死する人が続出しているのです。神理にあまりに逆らう人が多いからです。

ただそれを逆恨みしているばかりでなく、そのような現象をもっとよく考えた方がいいでしょう。こうなってしまった以上(こういう恐ろしいことが次々に起き出してしまった以上)自分たちの心と行いを変える以外、救われる道はないからです。

また、心と行いを素直に変えるなら、すばらしく救われる道が現れてくるからです。

よく考えてみてください。なんでこんなことがこれだけ起きるのかと、そうして神理に逆らっていてこういうことが起きるのなら、神理に従うなら、そういうことは起きないと、また防ぐことも出来るのではないかと、そういうことまでです。

逆もまた真なりだからです。

だから神理を実践するなら、奇跡が起きてくるだけではなく癌や急死する人を防ぐことが出来るということです。

現れるなら防ぐことも出来るはずだからです。

癌になって死ぬまではいかなくても、苦しんで癌治療を続けている人はたくさんいますし、再発しないかと心配しながら生活している人もたくさんいて、実際、癌が再発している人もたくさんいるのです。

神理を実践するなら、そういう人たちの癌が確実に早く治っていき、再発することもなくなるということです。

結局、そのような病気は心がつくるからです。その心が変わるなら(よい方に)病気は黙っていてもよくなっていきます。

だからそのような(よい)ことは起きるということです。神理に従い心を変えていくならです。

逆らってこれだけ悪いことが起きているのです。では従うならどれだけよいことが起きてくるでしょう。

そういうことも理解すべきなのです。お前がやったと、そこで考えを止めているだけではなくです。

反省するなら、もっと先に進めますが、怒っているだけでは先へも進めず何も観えては来ません。怒っているばかりでなくもっとよく考えてみてください。これまでの自分たちの行いをです。

そうして、いま起きていることをです。

少し考え方を変えるだけでまったく反対の世界が観えてくるからです。

謙虚に反省されたらどうですか。これまでの神理に対する態度をです。

どう考えても自分たちが悪いからです。だから、その悪い人たちに(一方的に)悪いことが起きているのです。

だからもうその悪い考えを反省するしかないのです。

反省するなら今とは正反対のすばらしい世界が現れてくるからです。

追伸…昨夜、祈りと反省禅定をしていた時のことです。

目をつぶって反省禅定をしていると、目の前に二、三日前にまた布施してくれた北海道の方が現れて来ました。(その方の顔を私は知りませんが、それらしい方がです)

そうしてウナッシーさんも出て来て、その後ろにまだ何人かの人たちが立っています。

そのウナッシーさんの後ろに立っている人たちは陰になっていて顔は分かりませんでしたが、何人かの人たちが北海道の方とウナッシーさんの後ろには立っていました。

「誰だろうと」と思っていると、心の奥から「友」という思いが出て来ました。

つまりその人たちは、私の昔からの友人であり、今生もその人たちは私とともに生まれて来ていて、その友の人たちが力を貸してくれないと今生私は自分の仕事が出来ないということが分かりました。

その友の中には前世でともに命懸けで戦った者たちもいるようだからです。

そういう友たちが今生はまったく何もしないで、私の戦いを傍観しているだけでは、それは私も戦えないでしょう。こちらはすでに命懸けの戦いを始めているからです。

そういう友たちが今生もまた私とともに戦ってくれるのかそれは知りませんが、今生ともに戦えないのであればです。

せめてです。せめて(布施の)支援くらいはしてくれませんか。そうすればまた自分たちの使命も果たすことが出来ると思うからです。

しかし、それもしないというのであればです。(傍観しているだけだというのであればです)それこそ自分たちの命ももう危ないでしょう。こちらではもう死ぬ人がボンボン出ているからです。(ほんと何かこちらはもう戦国の世のようです)

私がこの状態で何もしないのなら、もうそのような友たちは引き上げられてしまうでしょう。まったく自分の使命を果たさないということでです。(だから、このブログを読んで簡単に奇跡が起きた人たちなどもう相当危ないです。何でそういう奇跡が起きたのかということを考えないといけないのです)

いい加減目覚めてください。そのような友たちはです。そうしないともう自分たちが危ないからです。(昔はずいぶんピンチに駆けつけてくれたのに今生は本当に残念です。〔涙〕)

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