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3月 16 2021

神敵(しんてき)

11:00 AM ブログ

今日など朝、目をさましてしばらくしたらです。

急にガチャ―ン、ガチャ―ンという音が響いて来ました。それで窓を開けて「何だまた誰か死んだのか」ときいたんですが、その音はやみません。「何人死んだんだ」ときいてもずっとやってましたね。そんなことをです。

朝の五時ちょっと過ぎくらいでしたかね。しかしやります。そんな時間からそんなことをです。

どこかの会社かなと思ったらどこかの会社は真っ暗でした。じゃあ別の連中なんですかね。しかし、似たような非常識なことをする人はいるものです。そういうことをすればするだけ恐ろしいことは起きてくるのにです。

そのあとのことです。(今度は六時半ごろ)どこかの会社からもカーンという音がまたきこえて来ました。(そうして今はドン引き中です)

もうこの近所だけでも、急死する人が止まらないようです。

しかし、昨日は多かったですね。怒っている人がです。しかし、昨日怒っていた人たちは今日のように何か起きて怒っているのではなかったようです。

昨日のブログを読んでそれで怒っている、そのような人たちばかりのようでした。

昨日のブログを読んで、それまで静かにしていた人たちが急に怒り出したのです。実際、その前に通った時までは静かだったところがあちこち急に怒り出していたからです。

そうして昨日は、会社や現場どころか家から出て来て怒っていた人が多かったことでも(ほとんどが爺さん婆さんでしたが)その事実が分かります。

結局、これまではコロッと逝く人があちこちに出ているので、それで自分もそうなったらかなわないと静かにしていた人たちが、おとなしくしていても自分もいつコロッと逝くか分からないと昨日のブログで分かったものですから、それで私が歩いていると怒って嫌がらせをして来たのでしょう。

そういう人たちは皆、死んでも私に布施などしたくないと思っている人たちばかりであったからです。

そういう人たちがコロッと逝っていると書いたら、とたんに、そう思っている人たちが家から出て来て怒って私に嫌がらせをやり出したというのですから、ずいぶんせこい話ではないでしょうか。(苦笑)

それで八つ当たりの嫌がらせですか。本当にせこいですね。それなら感謝して布施しようとは誰も思わないのでしょうか。そういう人たちはです。

こちらは別に何万円も何十万円も布施をしろといっているわけではないのにです。(別に出してもらってもいいですけど。〔笑〕)気持ちだけでいいから布施しなさいといっているだけなのにです。

そうすれば、そんな(恐ろしい)ことは起きませんよと、教えてあげているだけなのにです。

では、感謝されこそすれ嫌がらせされる筋合いではないのですが、それにしても、このブログを見ている多くの人たちは神理を見るだけ見ていて、感謝の心のかけらも出て来ないというのでしょうか?

本当にどんだけ罰当たりなんでしょう。この正法神理など早々、巡り合える教えではないのにです。

どれだけそれを(その価値を)認めなくても、これだけのことが起きているのです。この起きている現象で、この教えがどれだけ価値あるものなのかは分かるはずです。

他の宗教をどれだけ無視しても、どれだけ逆らっても、これほどの天罰は現れては来ないからです。

この正法神理だけであるのです。これだけ奇跡も天罰も起きてくるのはです。では、その価値はどれだけあるのでしょう。

他に比べられるものではないではないですか。そんなことが起きてくる教えなど他にないのですから。

それにもかかわらず、その価値を絶対に認めないばかりか、少しの布施さえも頑なに拒否し、そうして罰が当たると、それは全部私のせい。

恥ずかしくないですか。それだけ自分本位なことを皆が皆、していてです。

だから昨日そんなケチ臭い嫌がらせをして来た人たちはもう全員コロッと逝ってしまうでしょうね。(ずいぶんいましたけどね。十~二十人くらい)それだけひどい罰は当たるということです。それだけのひどいことをしているからです。その人たちはその自覚がないだけでです。

しかし、今日は朝からこんな感じなのです。昨日ケチな嫌がらせをしてきた人たちなど大丈夫ですかね。すでに出ていませんか。コロッと逝く人がです。

この近所だけで昨日今日だけでもずいぶん出ているようであるからです。そのコロッと逝く人がです。

しかし、どちらにしても今の態度を変えないのであれば、そのような急死する人は止まりません。

布施くらいされませんか。昔から神理を伝えられた人たちはみな感謝の布施をしてくれていたからです。それを拒否した人たちなどほとんどいなかったからです。(まったくいなかったとはいいませんが)

そんなこれまで(過去の人たちが)したことがないような不遜なことをしているから、これだけの天罰もくだるのです。

このブログを見ている人たちだけなのです。神理をきいていてまったく布施しようともしない人たちはです。(一部の人たちをのぞいて)

今のまま私のいうことを無視し続けるならもう本当に危ういのですよ。自分の命がです。

しかし、もし天罰で死ぬようなら、それは神敵ということになって末代まで祟られることになります。

そうなったらもう自分だけの問題ではなく、自分の身内まで災いが及ぶのです。神敵となって死んでいくなら当然そうなるからです。自分だけの問題ではなく一族郎党みなに災いが及ぶということです。

神敵とは神に敵対するものなんですから、当然そうなるでしょう。自分が考えているほど天罰で死んでいくということは甘いことではないのです。自分だけではなく自分に縁ある多くの人たちに迷惑がかかるからです。

それだけ神敵となって死んでいく人の罪は重いということです。

今年は桜が咲くのが早いようですね。

昨日歩いていたら桜の木があったのでもう咲きそうかなと芽をのぞき込んでいましたが(その芽を少しさわろうかとも思いましたがやめておきました。また自分の目がチクチク痛み出してもいけないからです。桜の妖精に芽をさわるなと怒られてです。〔笑〕)こちら名古屋はまだすぐには咲きそうにないですね。

私が見た桜はまだつぼみが固そうなものが多かったからです。しかし、中にはもう一輪二輪、咲いている桜の木もありましたので桜の花が咲き始めるのももうまもなくでしょう。

そのきれいな桜を観たくはないのでしょうか。このブログを見ている多くの人たちはです。

しかし、こちらがこの状態では、そのきれいな桜を今年は観られるかどうか分からないのです。こう急死する人が増えて来てはです。

この状況で急死するなら、その人は即、地獄に直行ということになり、桜など観られないからです。(残念ですが、地獄に桜はありません)

今日の早朝(五時ごろでしたか)茨城で震度4の地震が起きたそうですが、東京も揺れたようですね。朝も早くからです。

昨日の和歌山と同じなんではないですか。東京の人たちもいつまでたっても神理を見ているのに布施の一つもしない。それでは神の怒りを買います。

同じような災いは起きるでしょうね。東京にも当然神理に縁の深い人たちはいるはずだからです。(というか、たくさんいるんじゃないですか。東京は人が多い分です)

神理を知らされていて感謝(布施)一つしないというのは今生の人たちだけです。

そのような態度を改めない限り、まだこれからも災いは止まらず、死んでいく人たちもドンドン増えていくことでしょう。そのような(傲慢で罰当たりな)人たちは滅ぼされていくからです。

しかし、そのような天罰で死んでいくような人たちはみな神敵となって、滅ぼされた後も永い間地獄で苦しみ続けることになります。

昔の人たちなら、こんなことをきけばみな恐れおののき、自分のそんな傲慢な態度をすぐに反省したのです。

だから多くの人たちが助かったのです。間違った考えを持っていても、その間違った考えを改める人も多かったからです。

しかし、今生の人たちはどれだけそれが間違いだといっても、そうして、それに伴う天罰をどれだけ受けても、決して自分の考えを変えようとせず自分の間違いを認めようともしません。

その結果が多くの災いを呼び、その災いがまだこれからどれだけ増えてくるか知れないという、そのようなすさまじい状況となっているのです。

しかし、それでも反省しようとしない。それでは、その考えを改めない人たちは全員が神敵となって滅ぼされ、この後、永い間、苦しみ続けることになります。深い地獄でです。

そんなこと屁でもありませんか。しかし、それは今だけなのです。そのような威勢のいい考えでいられるのはです。今はまだ自分の身体が元気であるからです。

しかし、この状況では、その元気な体も五分先にはどうなっているのか知れないのです。心臓は自分で動かしているわけではないからです。自分はその心臓を止めたくはなくても止まる時には止まってしまうからです。

人の心臓は人が動かしているわけではなく神が動かしているからです。

では、その心臓を神が止めるなら、自分はすぐに地獄に直行してしまいます。うんもすんもありません。

そうなってもいいのですか?

先のことを全然考えられないほど愚かな人たちはいません。昔の人たちは皆そのような先のことまで考えていたのです。

少しは昔の人にならいませんか。今だけのことしか考えないほど愚かな話もないからです。

神理を実践するなら、いつ心臓が止まろうと困ることはありません。神理の実践こそ救われる唯一の道であるのです。

これほどの奇跡が起きているのです。その神理を信じ行いませんか。そうすれば、そんな恐ろしことを(急に心臓を止めるなどというです)神が行うはずがないからです。

この神理を行うなら多くの奇跡が起き救われていきます。それは私が証明しているのです。

これだけ奇跡が起きて救われる教えは他にはありません。それは長年このブログを見ている皆さん方が一番分かっているはずです。

これだけ災いが起きているのです。

この奇跡が起きる神理に頼らずして、一体何に頼るというのでしょうか。

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