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5月 23 2021

傲慢な人と愛ある人の違い

10:32 AM ブログ

しかし、これだけ悪いことが続いているのに、相変わらず皆さん態度を変えようとしません。

詫びを入れて布施しろといっているのにほんと誰もしようとしない。それで本当に大丈夫なんでしょうか。特にこの辺りなどです。

昨日も逆の態度ばかり取って(ということは嫌がらせ)怒っている人が多かったんですが、だから止まらないのです。災いがです。

ある工事現場など私が歩いていく真横でガンガンでかい音を立ててきました。大丈夫でしょうか、そんなことをしている人などすでに地獄にいるかも知れないからです。(朝起きたらコロッと逝っていたなどシャレになりませんから)

なんで神理をきていているのに嫌がらせをしているのでしょう。本当に罰当たりなことをしています。これで悪いことが起きない方がおかしい。

だから起きるべくして起きているのです。この辺りの災いはです。自分たちの行いが悪いからです。

横柄で傲慢、そのものであるからです。

本当にえらい違いです。起きていることが私とです。昨日でも私は洗濯がてら荒子川公園にいっていたんですが、昨日ではありませんが前回いった時でしょうか、川からニョロニョロしたものが上がってきたなと思ったらそれはヘビでした。(そういえばあの騒がれていたニシキヘビが捕まったそうですがよかったですね)

ヘビが川を泳いでいたようで、そのヘビが私が歩いている横の辺りに上がってきたのです。それで「お前元気か」と声をかけたのです。

すると、そのヘビは私の近くまで寄ってきて、近くでこちらをジッと見ています。舌をチョロチョロ出しながらです。なんとなく愛想がよかったのでしばらく見ていましたが「またな」と声をかけて歩いていきました。

すると、そのヘビは歩いていく私をジッと見ていました。チョロチョロ舌を出しながらです。何となくそのヘビもかわいかったですね。この前のトカゲ同様にです。(笑)

そうして昨日など荒子川を声をかけながら見ていたらよく亀が顔を出します。少し歩いて、また川に向かい声をかけているとまた亀が出てきました。

「なんだ、お前らばかりだな。魚はいないのか」と声をかけた瞬間でした。少し離れたところでバシャと魚が跳ねたのです。

「んっ」と思いました。たまたまかなと思い、しばらく川を見ているとまた違う亀が顔を出しましたので「だからお前らばかりだなつうの。魚はいないのか」といった瞬間でした。また同じところでバシャと魚が跳ねました。

あれ? と思って「魚って自分が魚だって分かるのかな」と思い「おいお前ら魚って言葉分かるのか」とそのバシャとかやっている辺りに声をかけたんですが、そうしたら二匹の魚がその辺りを泳ぎ回っています。

鯉かと思ったら鯉ではなく何か外来魚のようでしたが(なんか白っぽい魚だったので)しかし、そのようなことを魚たちはよく分かっているようです。

実はよく人間の言葉を(そうしてその意味も)魚たちは知っているのです。そういう反応を昨日などしっかりしていたからです。

他の人たちの前では動物たちがどういう反応をしているのか知りませんが、私の体験だけでいうならです。どのような動物たちも人間の言葉は非常によく分かるようです。

鳥や犬や猫などはもちろん、このような魚から、それこそ爬虫類のトカゲやヘビに至るまでです。私がいった通りの反応を素直にする動物たちも多いからです。(思いっきり逆の反応をするのもいますしね)

もし、人間の言葉が全然分かっていなければ、これだけいった通りの反応をすることはないと思うからです。動物たちがです。

だから、それを分かっていないのは人間だけなのです。どのような動物たちも多くは人間が何をいって何を考えているのかは分かっているのです。分かっていて、あえて無視したり、逆らったりしているのです。

動物たちは人間ほど深く物事を考えているわけではないからです。だから、簡単に罠にかかる動物たちもいるのですが、しかし、人間以上に人間のことを知っている部分はあるということです。私の体験からしたらです。

愛ある人には素直に動物たちは自分たちの知っていることを教えてくれるからです。そうしてもっと愛が深まるなら、植物とも会話が出来るようになるのです。

高橋先生はそれをされていたようであるからです。植物の精と(妖精)よく話をしていられたそうであるからです。

愛が深まるなら、そのようなこれまで分かっていなかったこともドンドン分かってきて、この世が実はどれだけ深いか知れないということがよく分かるのです。動物たちだけでなく、植物にも意識があり、いろいろな話も出来るということまで分かってくるからです。(そうすればまた知識も広がっていくのです。例えば、こういう草は人間の体にいいとか、悪いとか、そういうことも分かってきますし、もしかしたらそのような草花の中に人間の寿命を延ばすものもあるかもしれないし、奇病、難病に効くものがあるかもしれない。そういう夢も広がるということです。植物たちは、そのようなことをよく神から教えられているからです)

しかし、傲慢で我が強いままでは何も分からず、自分に罰が当たっているということさえも分からないのです。

それを認めないということではなく、結局、我が強いばかりにそういうことがまるで理解出来ないのです。

傲慢で我が強くては心がカチカチになり、何をいってもまた何を見ても、それを正しく理解出来ないからです。しかし、愛ある素直で柔軟な心なら何でも理解し、知識もドンドン広がっていくからです。それもまだ科学で解明出来ていない部分までもです。

だからそれを信じない人も多いのですが、しかし、愛ある人たちは、そのような傲慢な人たちには理解出来ないことを理解し、体験出来ないことを体験しているということです。

人のいうことを何でも否定し逆らう前にです。もう少し、そういう人の体験談を大事にしてはどうでしょう。愛ある人たちは、そのよう我の強い人たちでは体験出来ない貴重な体験をたくさんしているからです。そういう我の強い人たちのように口だけではないからです。

もう多くのところで多くの不幸が起きているようですが、しかし、愛あるの人の周りでは多くの愛ある現象が起きています。

傲慢な人と愛ある人とでは周りに起きてくる現象も、そうしてしている体験も、まったく違うということを知るべきなのです。

だから愛ある人は、我の強い傲慢な人たちより貴重なことをたくさん知っています。もう少し耳を傾けてはどうでしょう。愛ある人のいうことにです。

そうすれば、我の強い人たちも救われていくからです。しかし、我の強いままでは、絶対に救われることはないからです。

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