>>ブログトップへ

3月 13 2012

フッと思ったこと

10:58 AM ブログ

先日、あることを思い出したのですが、それは私がまだ園頭先生の悪口ばかり言っている女講師の会にいた時の話です。

その会のある幹部の人が「何時までも亡くなった園頭先生の話ばかりしていてはいけない、何時までも亡くなった人のことを言っていてもしょうがないでしょう」と私に注意されました。(この時は園頭先生が亡くなられて一年ほど経った頃のことです)

そこで私は「では、イエス様やお釈迦様の話をしてもいけないのですか?」とその幹部の人に言うと、その人は何も答えることができず黙り込んでしまいました。

また別の幹部の人が「自分は園頭先生とは同じ釜の飯を食べたわけではないので関係ない」と私にあてつけるように言いました。どういう意味か分からなかったので、意味をよく聞いてみると、園頭先生とは講演会の後などで一緒に食事などしたことがないので、そんなに親しくないから関係ない、ということを言われたようでした。(しかし、この方、園頭先生の下で何十年も弟子でいて、園頭先生の弟子であった頃は、自分はずいぶん長く園頭先生の下で勉強している、と威張っていられたような気もしますが…そればかりではなく、園頭先生が参加されていた忘年会にも、たしか出席されていたようにも思いますが…?)

よほど文句を言ってやろうかと思いましたが、さすがに私もあちこちの幹部に文句ばかり言っていては、この会に居づらくなるとも思い、この時は何も言いませんでした。(この頃の私は、この会以外で法を勉強するところはないと思っていましたので)

先の幹部もこの幹部もそうですが、ずいぶんお粗末な考え方です。

先の幹部は、死んだ人のことを何時までも言っていはていけない、と私に注意してきたのですが、この人は園頭先生の教えや取られた行動など無視し、肉体だけ見て、その肉体が無くなったのであるから、園頭先生の話はするなといっているのです。

それでは、釈尊やキリストのことを言ってはいけないのでしょうか?釈尊やキリストも亡くなられていますが、釈尊やキリストのことを話す人はたくさんいます。この人は園頭先生の肉体しか見ていませんが、園頭先生は肉体が無くなっただけで、実在界にいられるのですから、そんなことを私に言っていて後々(もちろん死んだ後という意味です)大丈夫なのでしょうか?

後の幹部もそうですが、散々園頭先生に教えを学び救われたこともあったはずなのに、この人もまた園頭先生の肉体が無くなると、途端に自分は関係ないという態度をとっているのです。(それに師に対し同じ釜の飯を食べたことがない、などという言い方は、そもそも不遜極まりないのであり、同じ仲間にそういうならともかく、弟子が師に向かっていう言葉ではないのです)

この幹部たちに共通して言えることは、この人たちは園頭先生の肉体しか見ていなかった、ということです。

この人たちは園頭先生の下で何十年も勉強していたのですが、一体何を勉強していたのでしょうか?まるで法が分かっていません。

このように何十年も勉強していても、法が分からない人は分からないのです。

法はどれだけ勉強しても分からない人は分からないし、分かる人は一度見ただけでも分かります。年数ではありません。要は心の問題なのです。

私の周りで、このブログを読んでいる人がどれくらいいるのか知りませんが、その人たちに言っておきます。

多分その人たちも私の肉体しか見ていません。ですから、私のブログを読み共感できるところは共感するかもしれませんが、自分と意見の違うところを見ると面白くなかったり腹を立てたりしているのです。

ただ、それを言っても理解できないかもしれませんが、私とあなた方は違います。私は法の流布に命を懸けなければならないのですが、あなたたちはそこまですることはないと思います。

言っている意味お分かりですか?

こちらは命懸けなのですから、その邪魔をもししたとなると、必然的にその人も命を懸けなければならなくなりますよ、と言っているのです。(だから少々気に食わないことがあっても私など相手にしない方がいいのです)

私のブログを読んで、あまり腹が立つようなら読まない方がいいし、読むのは自由で、私に協力してくれとは言いませんが、読んで腹が立ったからと余計なことはしない方がいいのです。(そんなことをすればその人の罪になるからです…〔この世の罪にはなりませんが〕なるのですよ、本当に、だからあまり腹が立つ人は読まない方がいいし、私にかかわらない方がいいのです)

キリストは「救世主を尊ばないのは故郷の者たちだけである」といわれました。

なぜ、そういわれたのか?それはやはり近くに住んでいる人は肉体しか見ないからです。その心まで理解できる人は少ないのです。すると「コイツと俺で何が違うのか」ということになり、何を偉そうなことをいっているのか、ということになって、自分の思いと違うことを書けば腹も立つのでしょう。

しかし、肉体が同じでも心が違います。(祈って大雨を降らせたり、地震を起こしたり、あるいは大洪水を引かせたりできますか?私と同じようなブログが書けますか?もし、私がいい加減なことを書いていると思われるのなら、なぜ、そんないい加減なことを書く者のブログを読むのですか?)

だから、納得できない部分はあるにせよ、私のブログを読むのであれば、素直に読まれた方がいいのです。おかしなことを書いている、と思われても、後々、結局それはその人のためになることであって、私は常に祈りながら(天に問いながら)このブログを書いているのですから、現在の自分の考えだけで、いい、悪いという判断を早急に出さない方がいいのです。

正しい判断(これが一番難しいのですが)をしていただきたいと思っています。

(一人の人を徹底的に祈っている件ですが、やはりやめておきます。祈ってみないと分からかったのですが、この人は今、祈らない方がいいですね。あまりはっきり書きませんが、この人早く心を変えた方がいいと思います)

0コメント

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。