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3月 19 2012

仏陀をめぐる女性たち・チュダリヤ・チュダーダ

10:25 AM ブログ

城を飛び出された釈尊は六年の間、苦行に明け暮れます。しかし、悟りを得ることはありませんでした。

「このままでは悟りを得ぬうちに肉体の方が持たなくなり、死んでしまうかもしれない」

そのような惨憺たる気持ちになっていた釈尊に、ある歌声が聞こえてきました。

   弦の音は 強く締めれば糸は切れ

   弦の音は 弱くては音色が悪い

   弦の音は 中ほどに締めて音色がよい

   調子合わせて踊ろよ 踊れ

   みんな輪になり 踊ろよ 踊れ

その歌声を聞かれた釈尊は「ハッ」とされます。

「……分かった。やっと分かった」

釈尊はこの歌を聞くことによって、偏った心を持っていては悟ることができないということを思われ、苦行を捨てられ、どちらにも偏らない『中道』という心を悟られ、その中道を物差しとした心で反省されて悟りを開かれることになるのです。

園頭先生はスジャータ(チュダリヤ・チュダーダの愛称です)の歌を聞いて釈尊が気づかれる場面を次のように書いていられます。(同じく「仏陀をめぐる女性たち」より抜粋します。以下のものも同じです)

<朝もやをついて流れてくる若く澄んだ女の美声に、すっかり心を揺り動かされてしまった。東の空は赤く染まり、まさに太陽がのぼらんとしていた。

「弦の音は、中ほどに締めれば音色がよい」

歌の文句を、心の中で反復した。

「わかった、やっとわかった」

今まで求めてこられた謎が、この歌声によって一瞬にしてわかった。

天啓即ち直観というものは、じっと座って瞑想している時だけに起こってくるものではないのである。ふとした人の話の中から、ちょっと見た新聞や本の中から、或いは、なにか仕事をしている最中とか、ある瞬間にパッとひらめくことが多い。わたくしの経験でも、じっと瞑想して考えていた時に受けたこともあれば、或いは、歩いている途中にパッと受けたこともある。大事なことは、一つのことに対してずっと思い続けているということである。

        (中   略)

釈尊の場合がそうであった。悟りのきっかけになったのは、河で身体を洗って、土手の芝生の上で心をリラックスされているところに、スジャータの歌声が聞こえてきた。それによってパッと悟られたわけである>

そうして釈尊が悟られるきっかけを与えたスジャータを次のように書いていられます。

<釈尊は男性である。男性である釈尊は、女性のスジャータによって悟りのきっかけを与えられたのである。

このことからして、わたくしはこう考える。

男性の心を神にまで開かせることができるのは、その女性の清純さであると。スジャータは清純であった。

世のすべての女性が、みなスジャータのような清純さをもって男性に接したら、男性の心も自ら浄化されてゆくであろうと。

清純さを失った、まして、女でありながら女らしさも失ってしまった、欲望と脂肪の固まりである女性も、自分の美容にだけはこだわって、自分をきれいに見せかけようとしている女性も(それも我欲の欲望であるから)ともに男性の心を開くことはできないばかりか、男性の本来の使命をもくらませて地獄の道へ走らせてしまう。

女性たちよ、スジャータのような清純さを持って、男性の前に立て。わたくしはそう叫ばずにはいられない>

一番小さい面積で一番金がかかるのが女性の顔と言われます。そこまで顔の化粧にこだわらなくても…と私たち男性は思いますが。(笑)

最近はずいぶんきれいな女性が増えたように感じますが、しかし、外見ばかりに執着し内面(心)をまったく磨いていない女性では、そんな女と一緒にいる男は決して良くはなりません。

女性が女性としての恥じらい、控えめさなどの、男にはない女らしさを忘れてしまっては、男はその女性に魅力を感じないでしょうし、女性としての清純さまで忘れてしまうようでは、そんな女に男は心を開くことはありません。

私はこの釈尊が悟られる場面を見ていて、釈尊が悟りを開くきっかけとなったのが女性の歌声であり、どれだけ偉大な聖者であろうと、一人でその聖者が現われたわけではなく、そこに女性の助けがあって、初めて偉大な聖者が生まれた、というところに神の心を感じます。

キリストの心を唯一癒されたのはマリアという女性でした。キリストの苦しみ(十字架)を一人悟ってキリストの足にキスをされ、その足に涙を流しながら髪の毛で香油を塗ったのです…その恥じらいのある控えめな行為が、どれだけキリストの心を癒されたでしょう。

聖者といわれる方でも一人で聖者足りえるわけではありません。男と女が調和して、そこに初めて聖者が生まれるのです。女性の清純さは男の心を浄化し、恥じらいのある控えめな行為は男を癒します。

女性としての恥じらい控えめさは男の心を癒し、清純さによって男の心は浄化され神にまで昇華されるのです。

女性の心の大事さを知ってください。

(愛知県でも東日本大震災の瓦礫の受け入れを表明されたようです。さすが大村知事です。頑張ってください)

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