7月 02 2021
幸せへの道
またどこかの会社、滅びた人が出たみたいですね。(怖)
今日は朝も早くからガンとかしていましたし、今ドン引き中です。態度で分かりますね。もう何が起きているのかはです。
朝起きたら誰か亡くなっていたんでしょうか?
しかし、よくそんなことが起きていて怒っていられるものです。本当にこの辺りの人たちの行動は謎ですね。普通であるなら、こんなことが起きてきたのならビビりまくって当たり前であるからです。しかし、この辺りは誰も怖がらないからです。
こういう不幸な話ばかりでなく、たまには幸せな話も書きたいんですが、それで何かないかと考えていたら、最近は有名人の結婚が多いんですよね。これは幸せな話だなと思うんですが、しかし、その反面、離婚も多い。(苦笑)
それだと結局これも不幸な話ということになるのですが、しかし、昨日など、またそんなニュースが流れていましたからね。(昨日は有名アナウンサーの離婚ですか)
園頭先生は芸能人の離婚など問題外だといわれていましたが、まあ、有名芸能人など外見もよければ金もたくさんあります。
例えば、そういう嫁さんなどもらえばです。全然いうことなどきかないでしょうね。自己中が凄くてです。(苦笑)自分はきれいで金まで持っているとなるときく理由がないからです。旦那のいうことなどです。では、そういう嫁と長く一緒にいられるわけがありません。
だから園頭先生は芸能人の離婚など問題外といわれていたのでしょうが、そう考えると有名芸能人で死ぬまで仲よくいられる夫婦って、一体どれだけ人間が出来ているのかということにもなるのでしょうが(笑)それはともかくです。
昨日、流れていた有名人の離婚のニュースでも不倫か何かが原因のようですが(もちろんそれだけが原因ではないのでしょうが)そういう有名人のマネだけは決してしないようにということで、正法誌から園頭先生が離婚危機の人(妻)に対してされた指導の例を一つ二つ抜粋しておきます。
1980年、六月号より抜粋
<ある県で今、自動車学校を経営しておられる人は、四人の女の人が出来ていた。その人が本妻の家に帰られることはほとんどなかった。その本妻の人から相談を受けた。
「夫に裏切られた。夫を騙した女がひどいといわれますが、では、あなたは妻として、どれだけ夫のために尽くしたというのですか。愛は求めるものでもあるがまたより多く与えるべきものなのです。あなたは夫の愛を奪うだけで与えることをしなかった。だが、四人の女の人たちは与えているのです。女としてあなたは負けたのです。あなたが夫の心を満たしてやっていたら、そのような女の人たちと関係が出来ることもなかったのです。その点からいうならば、その四人の女の人たちは、あなたが夫を愛し夫に愛を与えることをせずに夫をさびしがらせた結果の被害者です。あなたが妻として完全であったら、そんなことにならずにすんだのです。自分の思い至らぬ結果が、その女の人たちをそのようにしてしまって、それでいてなお、その人たちを憎むというのは筋違いです。女としてあなたは成長すべきです。愛は与えるものです。愛して放つものです。夫がその方が幸せだと思うのであったら、あなたが本当に夫を愛しているというのであったら、愛する夫が幸せになるという道を夫に選ばせなさい。あなたが愛さなければならない夫に、あなたの夫を愛してきたその四人の女の人たちにも感謝すべきです」といった。
その人は女から母に成長した。夫を愛するからこそ放つ心になった。その人がそういう心になると、夫は段々その人のところに帰ってくる日が多くなってきた。そうして四人の女の人も自然に別れていって、それから自動車学校の経営を始められたのであった。
(中 略)
ある人は七才になる小児麻痺(しょうにまひ)の女の子を背負ってこられた。それは昭和二十八年頃のことである。その女の子は生まれつき小児麻痺で足が立たないのである。同じ年頃の子供が学校へ行き始めると、わが子もなんとかしてと思って相談されたが、医者はどこもその子の足は立つようにはならないといったという。
その人のご主人というのは小学校の同級生であった。その夫は満州で結婚しておられたが、終戦直前になって召集されソ連へ抑留された。妻は早く引き上げてくれているであろうと、シベリアの冬のきびしさにも飢えにも耐えて復員してみたら妻は満州から帰っていなかった。
手を尽くして調べたが妻の消息は分からなかった。復員してきて二年待っていられたが妻は帰ってこない。そこで妻は死んだものと諦めて、まだ独身であったその人と結婚されたのであった。そうして、その子供さんを妊娠された時に、その妻であった人がひょっこり帰ってこられたのである。
自分一人を頼りに家内はあの満州から苦労して帰ってきたのかと思うと、その夫たる人は妻であった人を慰めないわけにはいかなかった。
それが分かるとその人は「子供まで出来ているのになんですか」と夫とケンカする日が多くなった。板ばさみになって苦しむ夫の心はそっちのけに、その人は夫を自分のものにしようと夫を責めるのであった。しかし、責めれば責めるだけ夫の心はその人から離れ、逆にその夫たる人は妻であった人と東京に逃げてしまった。
そうして生まれてきた子供が先天的な小児麻痺であったのである。先天的な小児麻痺は妊娠中の心のあり方に問題があるのであって、先祖の祟りでもなければ本人の業でもない。
「その人を愛されるならば、その人を赦しなさい。憎んで恨んでいても問題は絶対によくならないのである。悪くなるばかりである。この子供さんを幸せにしようと思われるのなら赦しなさい。愛とは放つことです。人間は霊を成長させるために生まれてきたのです。東京へ行かれた二人が幸せになるよう祈りなさい。それによってあなたは成長するのです」
その人がそういう心になりきれるまでにはまだまだ泣かれる日が多いことは分かっていたが、しかし、そういう心になる以外に解決の道はないのである。
しばらくしてその人は心の落着きを取り戻されると、心静かに東京の二人のために祈り始めた。母親の心が変わると同時に、これまで座らせたら座りきりであったその子供さんがお尻を上げてつかまって立とうとし始めた。立つことが出来るようになるとタンスにつかまって伝え歩きをするようになった。七年間、座ったままであったから足は細くて歩みは遅かったが、少しずつ歩くようになられた>(分かりにくい部分は意味が変わらない程度に書き直しました)
尽くす愛、放つ愛、赦す愛、愛の心を出せば出すだけ奇跡が起こり幸せになっていきます。
だから自分が幸せになりたいのであればです。愛を出すことです。愛を出すなら、出した分だけ幸せになれるからです。
今なぜこれだけ不幸な人が多いのか? それは愛を出す人が少ないからです。



人目の訪問者です。

静岡県の熱海で痛ましい災害が起こりました。この大雨で予想もしなかった災害が起こったのです。それも映像で残せた偶然もありメディアで取り上げられたのである。行方不明になられた方の安否が心配です。しかし、あの土石流を見ていると、まるで流れゆく先が決められたようにあっという間に家屋を飲み込んでいったあの猛威は自然の怖さを突きつけられたものでありました。これまでも自然災害に遭われ悲しくも命を落とされた方の中には、あまりにも突然の出来事で分けも分からずにこの世を去ったことになったのかもしれません。それを思えば尚、神より頂いた命の尊さをしみじみ感じるのです。その尊い命があることを知ろうが知るまいが、時として自然災害のような形で警鐘を鳴らしてくださるのです。尊い命の犠牲の上に私たちは何のために生まれて、何をすべきかを考え、見直す良い機会であるのです。それを説いているのがこのブログであり、縁のある方々はすぐにでも心を改めることです。そうして自らその扉を開けるのです、前へ進むのです。もう一度自分自身を見つめ反省するのです。心から浮かぶそんなの思いは、今回のような災害を目の当たりにするとより一層そういった思いが強くなり祈らずにはいられないです。
だから私はいったのです。知事のことをあれほどです。選ぶ知事を間違えてはならないからです。間違えればこういうことも起きるからです。
この前に知事選でウナッシーさんがどなたに投票されたのかは知りませんが、完全に間違えましたね。静岡県民は選ぶ知事をです。
まだこれから危ないですよ。まだこの梅雨の大雨は静岡に降るからです。
この前、選ばれた静岡県知事の心が(非常に)悪いからです。
今朝からもの凄い雨に見舞われています。この異常な雨も神からかけ離れた心がそうさせているのです。このブログに縁こある方なら既に分かっているはずなのです、布施の行為は即ち神の心の現れであり、布施をもって神理に帰依することであり、それは自らが望む正しき道であることをです。もう時一刻を争うのです、真の己を信じて、その正しさを信じて布施をするのです。布施をするならば真の自分に安らぎを得て神に感謝する想いによって祝福に満たされるのです。それは真の自分を知ることであり進むべき道であったことがわかるのです。さあ、自分の、多くの人を幸せにしたいという広く大きな神の心布施の行為でその神の心を現すのです。
引き続き、先生からのメッセージです。
「昨日布施してくれた人がありましたが、その方には心より感謝いたします。それでその布施をこれまでされた方にいっておきます。そういう方々は自分の回りに自分よりも少し大きな光の輪をイメージされるといいそうです。その神の光に包まれているイメージをされると新型コロナから守られるとのことです。前に新型コロナから守られる祈りも伝えましたが一日に一度くらい自分が神の光に包まれているイメージをされるとより一層新型コロナの感染から守られるとのことです。(または感染しても軽症ですむ)最近は感染者が急増しています。くれぐれもお気をつけ下さい」以上です
布施をするのが目的ではいけません、布施をする貴方の心に多くの人の幸せを祈る神のような愛の心がなければ皆を救うことは叶わないのです。真実の自分を見てください、そうしてより強く皆を救いたいという愛を高丸野です。その心を神は観てくださっているからです、
大矢先生からのメッセージです
神理を止めている間は災いは止まりません。こちらの天罰はどんどん現れる(私に嫌がらせをした人に次々に病気が現れているようです)大雨は降る、新型コロナの感染爆発は止まらない、と増える一方です。
それもこれも神理を止めていることが主原因となっています。布施をもらわねば神理を動かすことは出来ません。早く理解してください。神理を見ていながら布施をされない人たちの罪の重さをです。」以上。
しっかりとメッセージを受け取って頂き、メッセージ通りのことをやって下さい。
このコメントを見る縁のある方々へ。そもそも何故大矢先生は布施しろと言われるのか考えたことあるのですか?言っている言葉だけを捉えているのなら浅はかなことだりうと思わずにはいられないのです。人は愛ある行いによって己の心を深く大きなものへと育てていくために生まれてきたわけであり、その心の在り方が問われるのです。何を思ってどんな行動をしたのか?心に刻まれたその思いを大事にしなければならないのです。しかし、皆さんはもう一つの言葉を知らなければなりません。それは「行即光」なのです。これは高橋信次先生の言葉であり神の言霊なのです。正しい愛のある行動によって為された事は神の祝福を受け神の光に満たされるのです、布施は正にその言葉を意味する行いであるのです。なぜそのことを理解しようとしないのですか、何故その愛深い言葉に素直になれないのでしょうか。反発する心があるということは正当なことであるという証なのです、それを分かっていながら布施をしないのはもったいないことであり、批判するなどは決して許されない大罪であるからです。
人は他人から指摘されている時が華だとか言いますよね。布施しろ、布施しろと長年にわたり言い続けてくださっている大矢先生のその愛の深さに何故応えないのでしょう。老若男女、誰彼問わず布施しろと言って下さることをしっかり受け止めることなのです。私たちは何のために生まれて、何をすべきなのかを見つめ直す時がきているのです。他人(ひと)の為に施すには大変なことなのです。しかし、心から愛を出すことを知ればできるのです。誰もが持つ愛の心。その愛を惜しみなく出すことなのです、その愛を知る行いが布施であり布施を行うことで為すべきことが見えてくるのです。先生の言われる布施をお勧めします。