3月 27 2012
宗教のおかしさ①
さて、そろそろ現代の宗教のおかしさを指摘しておきましょう。人には寿命があるのですから、今の間違った教えを平気でしている宗教を、そのまま信じて死んでいっても地獄に堕ちるだけですし、やはり死ぬ時は正しい考えで死んでいった方が、仮に地獄に堕ちるにしても、反省して天上界に上がるのも早くなるでしょうし、人は何時死ぬか分かりませんので。(縁起でもありません)
現在の日本の宗教事情を理解するためには、そんなに昔にさかのぼらなくても、江戸時代以来の宗教のあり方を少し知れば十分でしょう。
中世の鎌倉時代の仏教と比較して、江戸時代は多くの文献が明らかにしているように、教団の低俗化、高邁な教理から外れた民衆との妥協、僧侶の私生活の腐敗ぶりが顕著になります。
この傾向が現在まで続いていて既成仏教の堕落が、新興宗教の出現を促したといっても過言ではないでしょう。
ではなぜ、江戸時代に仏教が腐敗したのか、ということですが、いくつか理由はありますが、ここでその問題を詳しく書くことははぶきます。(あまりそのような問題に興味のある人も少ないでしょうし)一番の問題点だけ指摘しておきたいと思います。
その江戸時代の僧侶が腐敗した一番の原因は檀家制度です。
そもそも檀家制度の始まりは、キリスト教の厳禁と島原の乱にてこずった徳川幕府が、宗門改めを制定、宗門改めによる寺請制度が檀家制度です。
この宗門改めにより、日本人は必ずどこかの寺の門徒にならざるを得なくなり、各寺は門徒の家の家族一人一人の宗派、生国、年齢、名前、続柄、檀那寺名を書き上げ、家ごとにまとめたものを集めて管理します。つまり寺が(現在は役所でやっている)戸籍係をすることになったのです。
幕府は寺に、いわゆる戸籍係と門徒の統制をさせる代償として寺領を与え、寺の経営は檀徒が協力して指示することを命令します。
すなわち現在残る檀家制度は、信仰によってつくられたものではなく、幕府の政策と寺の権力によってつくりあげられたものなのです。(この部分に注目していただきたいのです)
このように信仰の有無にかかわりなく、強制的に寺と檀家の関係が決められ、寺の維持は、その寺領より取れる米と檀家の負担によってなされるのですから、こんな制度ができれば、僧たちは別に苦労して法を説いて民衆を教化しなくても、ただ座っていれば檀家が葬式を頼みに来て、それで布施をもらってやっていけるのです。
そうなると鎌倉時代の僧たちにみられるような、求法、弘法の情熱もなくなり、無気力で堕落した僧が出てくるのもまたやむを得ませんでした。
現実にこの檀家制度がつくられた後の僧たちの腐敗はひどいものでした。
僧でありながら金貸しをする者、自分の妻以外に二号、三号を置いて貸家の支配をさせる者、法を説くことよりも寺院の経営に重きを置き農民から奪取する者、寺で博打をさせて場代を稼ぐ者(博打のテラ銭の語源はここからきています)など、僧たちの堕落は止まるところがありませんでした。
あまりに被害が大きくなり過ぎたため、徳川幕府と各大名は寺社奉行、監理管を置いて寺領を没収します。
すると収入の減った僧たちは、今度は吉祥天、毘沙門天、子安観音、地蔵菩薩、鬼子母神、薬師如来などなど、いろいろな像を建立しお賽銭を集めます。そうして、ご開帳をやって縁日を開き、祈祷寺では星占いや占い、祈祷などして減った収入を増やすため人を集めました。
江戸時代中期から仏教の退廃期となります。この頃からの宗教家の退廃は、猥雑と浪費と迷信俗信を生み出し、それが今日にまで至っているのです。
(福島原発の二号機の格納容器の水位が、わずか六十センチほどしかなかったそうですが、こりゃいよいよチャイナシンドロームですね…原子力に感謝もしないで、ただ危険だから廃しようとしている、政治家から報道関係の皆さんまで、たくさんいられるようですが、それがどれだけ恐ろしい考えかまだお分かりになりませんか?早く気づかないと大変なことになりますよ)



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