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7月 28 2021

心のあり方

10:52 AM ブログ

東京は新型コロナの一日の感染者が昨日は過去最多を記録したようですね。

そうして首都圏はどこも感染者がドンドン増え出して、他の地域と比べても感染者の数が突出しているようですが(大阪は別として)それに加えて台風は直撃する、地震も起きだすと、オリンピックエリア内はもう次々に災いが現れてきています。

ほんと最悪ですね。大丈夫なんですかね。こんな調子で災いが増え続けていてオリンピックはです。(金メダル、金メダルと騒いでいますけど)

これは下手すると本当に途中中止もあるかもしれませんね。(総理はそれはないと断言されていますが)すさまじい数の災いがオリンピックエリア内に起きてきたら、さすがにそれを無視してオリンピックを続けることなど出来ないからです。

そうしてこちらはこちらで、やはり天罰がメチャメチャ起きだしたようで、やたら怒っているところはある。(それもずいぶんたくさん)ドン引きしてしまったところはある。前回まであれほど怒っていたのにドン引きしてしまい、中から人が出てきてこちらを変な顔でジッと見ているところはある。(こういうところは相当出ているのです。その会社の責任者か誰か、そういう人がわざわざ出てきて怒りまくって〔困りきって〕いるようだからです)

そして、あの最近は何もしてこなくなっていたS運輸のトラック連中がみな怒り出してブシュブシュやり始めました。ここももう止まらなくなったのでしょう。ということは、他のところの運転手も似たようなものではないのでしょうか。どこももう止まらないのです。災いがです。(難病、奇病がです)

だ・か・ら、いっているではないですか。もう詫びを入れて布施をしろとです。それ以外ないからです。災いを止める方法はです。

本当に頭は大丈夫ですか? そんなその災いに怒って嫌がらせなどしていたらよけい出るでしょうが、そのような態度が悪いばかりに起きているからです。その災いはです。

子供ではないのですからいい加減理解することです。自分たちの態度の大間違いをです。(自分たちの心のレベルの低さをです)

自分たちの態度の間違いに気づいて正しく直さないと(だから心を向上させないと)そのような災いは、そのような間違った態度の人がいなくなるまで続くからです。

もういい加減、神の存在に気がつき、神理を説いている者のいうことをききませんか。そうしないと、いつまでたっても災いはおさまらないからです。増えていく一方であるからです。自分たちの心のレベルがあまりに低いままではです。

そういえば私が、このように神理を説き奇跡が起きてくるようになる前に四十日間断食をするような状況が現れてきたのですが、それと同じ状況がやはり園頭先生にも起きたことがあります。(園頭先生は急に高熱が出られて食欲がまったくなくなったそうですが)

園頭先生がそのような状況になられた時は、大東亜戦争の時の出征先である中国でのことなんですが、その時の心境を園頭先生は正法誌に書いていられます。その部分をちょっと抜粋しておきましょう。

1980年、七月号より抜粋

<十歳の頃から人間は何のために生きるのかに疑問を持ち始めた私は、仏教、キリスト教を学び、鹿児島商業を卒業して父のすすめによって現役志願兵として入隊、幹部候補生に合格、支那事変が勃発して少尉に任官、出征して連帯旗手を命ぜられたがなぜかやりたくなくて名誉ある旗手を辞退、連隊副官を命ぜられて一週間目に発病、四十余日病床に呻吟(しんぎん)することになり、死を予期してそれまでの人生を反省し、何の悔いもなく安らかな心で死んでいきたいと思った。

(中  略)

発熱して床につくようになってしばらくの間は、せっかく連隊副官という要職につくことになったのに、こんな突然の発病でつけなくなったという栄進昇進への道を断念しなければならないのかという地位欲、名誉欲への執着あせりもあったが、床について一ヶ月もなるとそれももはや断念しなければならなかった。なにか食べなければこのままでは死んでしまうとは思っても、四十二度、三度という高熱の苦しさに耐えるのが精一杯で食欲はなにも起こらなかった。中支の第一線の陣地の中であるから、当番兵が食事の度に「食事はどうしましょうか」と聞きにくるだけで誰もかたわらにいて看病してくれる者もいない。もうこのまま狂い死にしてしまうのではないかと思うほど、頭の芯ががんがん痛んでくると、こんな時やさしく「苦しいですか、しっかりして下さい」と慰め励ましてくれるやさしい人がいてくれればどんなにこの苦しみにも耐えやすいことであろうかと、子にとって母の、そうして男にとっての女の存在は、その子が、その男性が元気一杯の時もであるが、弱って力をなくしたような時には再び起き上がる力を与えてくれる存在として大事なものであると、神が女性に、そうして母なるものに与えられた愛のやさしさの大事さ、不思議に思いを馳せるのであった。

そうした発熱の苦しさの中で、母を亡くしたゲーテが、突然椅子から立ち上がると「おお、母、なんと偉大なる言葉であろうか」と、ズボンのポケットに手をつっ込んだまま檻の中の熊のように室の中をあっちこっちに歩き回ったと「エッケルマンとの対話」の中に書いてあったことを思い出して母を思い、また、法律家で帝室評議員であった父と、市長の娘であった母との間に生まれたゲーテが、女の心の中にある真実を求めて幾度か恋愛してみても、それがゲーテの人格完成、人格形成を満足させるものとならず、イタリアで出会った造花女工クリスティアーネ・ブルピッウスの素朴な愛によってはじめて心の孤独が満たされ、どちらかといえば高貴な生まれのゲーテが、身分の卑しい女工と結婚することに対して周囲や世間は反対したにもかかわらず家庭の愛と幸福を守ったこと、それがやがて「ファウスト」のような偉大な作品を書くことになったことを思い、男と女というものは相互に人格形成し完成しあっていくことの中に真実の愛を満たしていくべきであることを思い、ただ肉体的な性欲、官能の欲望を満たすだけの男女夫婦の関係は卑しむべきものであると思ったりすることであった。永い結婚生活が、少しもお互いの人格向上、人格形成とならず、どちらからもお互いの人格を傷つけあうだけのものであったとしたら、どんなにそんな結婚生活はわびしいものであろうかと思った。

一方では戦争が終わった後の幸せな人格形成のための結婚生活を夢見ながら、いつ死んでもいい、なに一つ思い残すことのないように心をきれいにしておこうと死の覚悟を決めて反省を続けていくのであった>

やはり違いますね。心の高い人はです。そう思いませんか。責任転嫁ばかりしている皆さんはです。(苦笑)

自分がもう死ぬかもしれないと思い定めた時でも、それでもまだ人格向上を目指して反省を行うなど、まさに人間としての鏡であり、こうでないとよい(幸福の)道も現れてはこないということです。

特にこれからの時代、ひどい心のままではです。次々に災いが現れくるからです。(実際にそうなっています。ひどい心の人が多いからです)

少しは参考にしてください。園頭先生のお心をです。

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