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6月 08 2024

フィルター

10:22 AM ブログ

K鉄バスの運転士、昨日もキレていましたね。

本当に哀れです。キレていてそれでどうにかなる話ではないのにです。それがまだ分からない。まあ、そういう人が多いんですが、しかし、そうしている間にもどんどん滅ぼされていきます。

いい加減理解することです。神の恐ろしさをです。神理の正しさをです。そうしないと、どれだけ不幸になるかしれないからです。

こちらの方もいい加減理解してもらえないでしょうか。神の恐ろしさを、そうして神理の正しさをです。

昨日も打てませんでしたね。(点が入りませんでしたね)予想通りの結果です。というか、予想以上ですか? また零封負けしていたからです。

もちろんどこかの球団なんですが、昨日など相手チームより打っているのにね。(どこかの球団は八安打、相手チームは六安打)それなのに安打が少ない方に点が入り(2点)多い方が0点って一体どうよという話になりませんか。不思議なほど点が入らないからです。このチームはです。

だからいっているのです。神に(天に)打てないように(点が入らないように)させられているとです。

じゃなきゃおかしいでしょう。これだけチャンスに打てないのはです。もう何年にもわたってそうなのです。そんな何年にもわたって打てないなどあり得ませんよね。プロの野球チームがです。なにか対策はするはずだからです。打てないチームなら打てるようになる対策はです。

打てる新人をたくさん取ったり、打てる選手をたくさん集めたりしてです。しかし、それをしているのに、それでも打てない。チャンスになるとことごとく凡退する。打てる選手まで(チャンスに強い選手まで)打てなくなるのです。不思議とこの球団にくるとです。

元四番などいい例です。他のチームではチャンスに強いのにこのチームにくると打てなくなる。(たまには打ちますが)

いい加減ご理解ください。神理に逆らっているとこうなるとです。

残念ではありますが、従ってもらわぬ限りチャンスに打てるようにはならないのです。つまりよく点が取れるチームにはならないということです。それはつまり勝てるチームにはならないということです。

何度もいいますが、野球は点取りゲームであり点が取れない限り勝てないからです。いくらピッチャーが抑えてもです。点が入らなきゃ勝てない。だから勝たせないということです。神理に感謝するまで神はこのチームをです。

いい加減、神を信じ恐れて頭を下げませんか。それが神の子の人間として当たり前の謙虚な態度であるからです。

そんな当たり前の謙虚な態度を当たり前に取れるようになるなら、当たり前のようによくなっていくからです。

だから異常なんですよ。今の日本人はです。平気で無神論などいって傲慢な態度を取り続けているからです。

だからその分、他からやられる。どこかの国のいうことはききっぱなしだし(最近は特にひどい)横の大国にもなにもいえない。神の後ろ盾がないからです。神に逆らっている分、他からやられるからです。それも因果応報。謙虚に神に頭を下げることが出来るなら、他の国とも五分にやれるのにです。

しかし、神など無視して自分たちだけでやろうとするからどんどんやられていく。向こうは軍事力から食料からちゃんと揃えているからです。しかし、日本はなにも揃わない。全部、他国のいいなりであるからです。

前回も書きましたが、表側だけ見て裏まで考えないから、あらゆる面で取られていく。金から物から土地からすべてです。だから、ちゃんと裏まで見ないといけないが、しかし、裏まで見ている人たちは、今度は裏ばかり見てしまい(裏ばかり考えて)全部裏があると、それでよけい混乱し、別に恐れなくていいものまで恐れてしまう。それにもこれにも裏があるということでです。

だから前回書いた通り本当に裏があるのかどうかはよく吟味した方がいいということです。裏があるという人とそれはないという人と両方の意見をきいて、そうしてその時の状況をよく考えて、それで判断しないといけないということです。

後からつけたし、つけたしで、どんどん真実味を持たせてしゃべる人はいくらでもいるからです。だから、裏のことを全然考えない人もダメだし、また裏のことばかり考え、全部、裏があると見る人たちもダメであるということです。

結局、深読みが過ぎれば、それは読みが足りない人たちと同じであるからです。過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如(ごと)し、であるからです。

そのようなことへの正しい見方のフィルターがこの正法神理なのです。どちらにも偏らない中道が神理の基本であるからです。

その中道の中、すべてのことを行うことが出来れば多くの奇跡が現れてくるのです。だから現れないのです。裏を見ない人たちも、また裏ばかりを見ている人たちもです。そのような中道の心を知らないからです。見たりない、あるいは見すぎているのもまた偏っていて中道から外れているからです。

そのようなすべての事への正しさのフィルターがこの正法神理であるのです。

まだ分からないのですか? 神理の大事さがです。そのようなフィルターを通さない限り、なかなか正しいことは分かってはこないのです。(そのような中道の心でいると、いろいろ教えてももらえるのです。心の中からです。そういう気づきももらえるということです。中道の心でいられるならです)

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