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8月 21 2024

愛を出す大事さ

10:30 AM ブログ

朝からおかしなニュースばかりが流れてきますね。

ゲリラ雷雨が凄くて道路が川のようになっている映像とか、猛暑がひどくていくつもの作物がおかしくなっている映像とか、衝撃的なのは福井の海でしたか、子供がイルカに襲われている映像など、これもまた凄いですね。

子供がイルカに襲われて泣き叫んでいるなど、ちょっと昔では考えられないことであるからです。

こういうことは皆、愛があれば起きないことなのです。最近は多くの人たちの出す愛がどんどん減っています。だからこんなおかしなことばかりが起きるのです。

愛がない世界とは、そんなおかしな世界であるからです。

最近は本当に愛を出さない、その典型みたいな光景も私は見たことがありますしね。

前にも書いたことがあるかもしれませんが、しばらく前に外を歩いている時、急に雨が降り出したのです。

それで私は傘を持っていたのでよかったんですが、それでも歩いているうちにその雨が強くなり、ザーザー降り出したので、傘を持っていない人などずいぶん濡れながら歩いていく人もありました。

その時、私の近くを三人の女子中学生が通ったのですが、その中学生三人は二人が傘を持っていて一人は傘を持っていませんでした。

私はその三人を見て驚いたのですが、その三人のうちに傘を持って歩いている二人は傘をさしながら歩いているので濡れていませんでしたが、その中の一人の傘を持っていない中学生は、そのままずぶ濡れになりながら歩いていくのです。

二人いた傘を持っている友達であろう中学生たちは、そのびしょ濡れの友達であろう中学生一人と平然と歩いているのです。まるで何事もないかのようにです。

どちらか一人が持っている傘の中に、その傘を持っていない中学生を入れてあげれば、その中学生はああも濡れないだろうに、横でびしょ濡れになっている友達が歩いていても平気で自分だけ傘をさして歩いていられるのです。

その傘を持っている中学生二人はです。

さすがにあの時は「すげえな」と驚いてしまいました。あまりの愛のなさにです。よく横で友達がびしょ濡れでいて平気でいられるものとです。(こういう中学生が大人になって結婚したら夫や子供をどう扱うのだろうと考えたらゾッとしました)

あの時、思ったのです。最近は本当に愛がなくなったなとです。

私たちが小さな頃では考えられなかったからです。そんな一緒に歩いている友達が濡れているのに、自分だけ平気で傘をさして帰るなどです。たとえ、その友達とけんかをしていたとしても、それでも傘など入れてやったものです。別にそんなことは当たり前のことであったからです。

雨が急に降りだして、それで自分が傘を持っていて傘を持っていない友達がいるなら、その傘の中に、その友達を入れてやるくらいのことはです。

別にそれで自分が損をするわけでもなし(多少はよけいに濡れるのでしょうが、しかし、どうせ雨など降りだしたら濡れるのです。傘など持っていてもです)というより、横でそんなびしょ濡れになっている友達と歩いていく方がよほどこちらは苦痛であったからです。

そういう友達を横で見ながら歩いている方がです。

しかし、今の子供らはそんなことも感じないのでしょうか? 横で友達がどれだけ濡れようが、その雨に濡れて友達が風邪をひこうが関係ないのでしょうか。全然知らない、他人ならともかくです。一緒に帰るくらいの仲のいい友達であってもです。

だからいっているのです。それだけ愛がないからこうなるとです。あのおとなしいイルカにまで子供が襲われるだのの考えられない事件まで起きるとです。それだけ子供らにも愛がなくなっているからです。(ということは、もちろん親に愛がないということです)

だからこうなるのです。天気もおかしくなり、天変地変もよく起きるようになり、クマやハチのようなものばかりでなくあのおとなしく臆病なイルカにまで襲われるのです。

あまりに多くの人に愛がなくなっているからです。

こちらでもそうです。神理を見ているだけ見ているのに感謝どころか嫌がらせしかしない。(今日もやっていますが)まったく愛など出そうとしない。怒りしか出さないんですから、いいことが起きてくるわけがありません。

だからこうなる。悪いことしか起きない。愛を出さないからです。

だからそれはどこでもいっしょなのです。自民党総裁選が過熱してきましたが、その総裁選に出るといっている人たちが、皆が皆(今のところ総裁選に出ると発言している人たちは)緊縮財政の人たちばかりなのです。(唯一積極財政派の高市さんはまだはっきり出るといわれていませんから)

ということはです。今度総理になるであろうと思われる人たちは、今の貧困化した日本をもっと貧困化させると宣言しているようなものなのです。(緊縮財政では当然そうなりますから)

緊縮財政では、貧困化している日本国民はほっておいて、それで日本をよくするといっているようなもので、それでどうやって日本をよくするのかよく分からないんですが、しかし、それでいいのです。愛のない政治とはそういうものであるからです。

日本国民より日本をよくする(?)ことの方が大事であるからです。ということは自分たちがよくなればそれでいいということだからです。つまり自分のことしか考えていないということなのです。

当然そうでしょう。国民の多くがそう考えているのです。そうであるなら政治家も同じでしょう。口では日本のため、国民のためとはいいますが、それはもちろん口だけで、実は自分のためとしか考えていない。こういう愛のない世の中になるなら当然政治家もそうなるからです。

だからそういう政治家が多いでしょう。なんですか、どこやらの知事など(兵庫県でしたっけ?)あれだけ証言者が多いのに、まだ自分はそんなこと知らないだの、記憶にないだの、しらじらしい嘘ばかりついています。愛のないことを散々職員にしているくせにです。

それなのにとぼけまくり、嘘をつきまくり、自分は知らないの一点張り。

昔ならああなる前に潔くやめたのにです。それなのに最近はそんな潔さもまったくなくなった。女々しくて責任逃ればかりする(どっかの国会議員もそんなのいましたけど)卑怯な政治家が増えた。

有権者にそんな人が多いからです。だから、そういう政治家しか選ばない。類は類を呼ぶという法則通りにです。

だから結局、苦しむのです。愛を出さなければ自分がです。その出さない愛は巡り巡って自分に返ってくるからです。

するとこうなる。苦しみばかりが増えてくる。誰でもない、自分が愛を出していないからです。

愛を出す大事さがいい加減分かりませんか。

愛を出すなら、その愛はやがて自分に返り、その愛で自分が癒されるのです。(私が典型)

愛を出しませんか。愛をです。そうすればその愛で自分が救われていくからです。

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